第2話 ― 7

 文芸部のある第二部室棟から最寄りの自販機までは、少し距離がある。昨日体験入部をしに来た帰り道でその場所は一応把握していた。桃宮くらい小柄だと往復にそれなりの時間がかかっていたようだが、あいにく赤尾は同年代の男子としてまあ平均的か、少し背が高い部類に入る。足のコンパスが長い分、さほど苦になるような距離ではなかった。

 良くない傾向だなぁ、と部室を出る前の自分を思い返して道中でため息をつく。

 当初の自分のスタンスから考えれば明らかにのめり込みすぎである。


 冷めた態度を取っておきながら、結局は放っておけない――それは少女漫画にいそうな王子役だからこそ許されるものだ。自分がやるのは恥ずかしいやら情けないやら。恰好が付かないにも程がある。

 自分の事だから自覚がないわけでもなく、そして竹沢にも桃宮にもおそらく見抜かれていることを鑑みて自己評価はかなり辛めだ。


 とりあえず飲み物でも飲んで気持ちを切り替えてしまおう。そうしてさっさと依頼だけ片付けてしまえばあとはもう知ったことではない。改めて自分の立場と認識を再確認して、赤尾は自販機への歩みを速めようとした。


「……あ」


 速めた足の動きは、ほんの数歩で急激にペースダウンし、すぐに止まる。

 赤尾の視線は目標だった自販機の前に立つ人を捉えていた。


 どちらかと言えば痩せ気味な体格と、四角い眼鏡。

 顔のちょうど真ん中のラインで二つに分けられた、べたついてる癖毛はなるほど、竹沢に聞いた通りワカメのようだ。背はそれほど高くない。


 坂崎ってあいつか、と脳裏をよぎったそれは、何の証拠も根拠もないが確信めいた直感だった。


 咄嗟に携帯を取り出し、メッセージアプリを起動する。桃宮あてに『三島さんの言ってたお守り、形状とか色とか教えてください』とだけ素早く打つ。送信ボタンを押すのと同時に携帯はポケットにしまい、自販機の飲み物を選んでいる最中らしいその人影に赤尾は近づいた。

 すぐ後ろに立ったタイミングで自販機がガコンと重たい音と同時にペットボトルを吐き出した。目の前の男がそれを取り出すのを待って、意を決して声をかける。


「あ、それ美味しいっすよね」

「ん?」


 背後から声を掛けられたワカメ頭が、怪訝そうな顔をしてこちらを振り向いた。

 頭が悪そうに、人畜無害そうに。それだけを心がけて、にへら、と笑顔を作る。昨日桃宮から初対面で向けられたような威嚇の笑顔ではなくて、相手に「こいつバカっぽいな」と思わせるためのものだ。


「俺も好きなんすよー、そのお茶。仲間っすねぇ」

「は、はあ……?」


 当然だが、さすがに笑顔だけで警戒は解けない。だが赤尾の狙いはそれで十分だった。気付かずに立ち去られたり、逃げられたりしなければそれだけでいい。


「俺赤尾って言うんっすよ。今年から大学生なんすけども。そっちは?」


 聞いた話から坂崎が二回生だというのはわかっている。わざと「後輩である」ということを教えてから、雑な口調で質問を投げかけた。

 勘違いにストーキング、一度怖い目見ても懲りなくて、挙句誘いを断り続ける女に固執して物まで盗むようなやつだ。プライドは人並みかそれ以上にはあるはずだろう、という咄嗟の計算は当たった。怪訝そうだった表情が一気に不貞腐れたようなむすっとしたものに変わる。


「ああ、そう。坂崎だよ。二回生なんだけど俺」

「えっまじすか、すいません。失礼しました気付かなくって!」


 ビンゴだ。このワカメ頭が例のストーカー男で間違いない。緩みそうになった口元を慌てて引き締めて、わざとらしいくらい大げさに驚き、ぺこぺこと頭を下げると案の定向こうの表情は少し満足そうなものに変わった。

 そのまま下に見て油断してろよ――と顔には出さないが必死に祈る。そうしながら視界の端で常に相手の姿を捉えて、全身をくまなく観察する。会いに来るたび必ず見せつけるように手に持っていたと三島は言っていた。教室前で待ち構えているとかならともかく、大学の敷地内で偶然遭遇するときもだ。だとしたら、いつ遭遇してもすぐ見せつけられるような位置にあるはず。


 ――あった。

 汗で薄く黄ばんだポロシャツの胸ポケットに、親指の先端より一回り大きいくらいの不自然な膨らみを見つけた。ポケット部分はまだ黄ばんでおらず白地のため、中に入っているものが赤色をしていることはすぐに分かった。


「あ、俺も飲み物買っていいすか?」


 そう言って自販機のほうに向かい、買う飲み物を迷うふりをしながら携帯をポケットから取り出して確認する。桃宮からの返事が届いていた。


「ついでに悪いんですけど、大学の事ちょっと教えてくださいよ、坂崎先輩。俺入学したばっかりだから色々わからないことあって。先輩のどなたかに話聞きたいなぁって思ってて」

「え、あー、うん、まあ、いいけど?」


 無言だとそのまま逃げられると思い、適当に話をつなげた。さすがにわざとらしいかとも思ったが、坂崎は「先輩」として頼られることの優越感が気に入ったようだ。

 扱いやすい奴だな、と内心呆れつつ、携帯のメッセージを見る。


『茜色? ちょっと暗い感じの赤色みたいな、そんな感じの色だって。形は巾着袋で、大きさは親指の第一関節までくらいらしいよ』


 よし、と内心でガッツポーズを決める。欲しかった情報は全て書いてあった。昨日のうちにこのくらいの情報は聞いておくべきだったなとも思ったが、とりあえず後悔は後回しにして赤尾は素早く携帯をポケットに戻した。

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