第2話 ― 8
適当に選んだ飲み物を買って振り返る。そこには最初の怪訝そうな顔はどこへやら、すっかり「先輩」という目上の立場に酔った顔をしている坂崎がいた。三島や竹沢からも色々と話を聞いていたせいか、優越感を隠そうともしないその表情はなんというか、見ていてかなり腹立たしい印象だった。
さて、ここからが勝負どころだな――と赤尾は顔に出さないまま気合いを入れなおす。それから、坂崎の服の胸ポケットを指差した。
「なんすかそれ。めっちゃお洒落な色してる。キーホルダーとかですか?」
「あ、ああこれ? いや、まあ……」
「えー、見せてくださいよ先輩、俺そういう小物好きで、デザインとかも超気になっちゃって」
触らないですから、見るだけですから、とぐいぐい押していく。ここで警戒されたりすると面倒なのだが、こればかりは自然な言い訳というものが赤尾には思いつかない。
少し見せにくそうにしていた坂崎だったが、やはり先輩先輩と呼ばれて持ち上げられるのに悪い気がしなかったらしい。見るだけだぜ、なんて言葉の割に自慢げな顔で、結局はそのポケットの中身を赤尾の前に取り出して見せた。小豆色をもう少し暗くしたような色合いの、小さな巾着袋だった。黄色い糸で細かな装飾がよくできていて、全体的にべたついた外見の坂崎には不釣り合いな程お洒落だった。
よし、現物確認完了。赤尾はふう、と小さく息を吐いた。桃宮のメッセージから考えても、これで確定だ。
「へへへ、綺麗だろこれ。お守りなんだぜこれ」
赤尾のため息を感嘆と受け取ったのか、目の前の坂崎が頼んでもいないのにぺらぺらと話し始める。へえ、そうすか、と返した言葉に感情を乗せないようにするのは結構至難の業だった。
それ、あんたのじゃねえだろ。何を我が物顔で自慢げに。危うくそう口走りかけた。駄目だ落ち着け、と赤尾は自分に言い聞かせる。せっかく警戒心を解いて話を聞き出し、目標のお守りまで目の前に引っ張り出せたのだ。ここで台無しにするわけにはいかない。もう一回馬鹿っぽく笑え、自分。
自分を奮い立たせて、自分でも先ほどよりぎこちなく感じる笑顔を作ろうとして、
「内緒なんだけどさ、コレ俺の彼女からのプレゼントなんだぜ」
そんな言葉が坂崎から飛び出てきて思考がフリーズした。
「……はい?」
「だからさ、付き合ってる彼女からのプレゼント。大事なお守りらしいんだけどね、ぜひ持っていてって。由香っていうんだけど、彼女恥ずかしがりやでさあ、遠くから見かけたら毎回声かけてやってるんだけど、人前だといつも逃げちゃうんだよねぇ。いやー困っちゃうよなぁ」
へえ。
そうかそうか、なるほど。
お前の頭の中ではそういうことになってるのか。
由香ってあの人だよな、三島由香だよな。
話をしている間ずっと震えていたあの依頼人だよな。
「へぇー、そうすか。もう少し詳しく聞かせてくださいよ」
さっきまでは声に余計な感情が乗らないよう抑えるのに苦労したはずだが、口から出た声は機械のように平坦だった。人間、極限まで怒りを覚えるとむしろ頭がすっきりと冷静になるとは言うが、これがそうか。
冷静ついでにもう一度携帯を取り出す。坂崎は赤尾の要求に調子づいたようで、身振り手振りまで交えて自分の「彼女」とやらとの甘い日常を語っている。妄想話に夢中になり過ぎて赤尾の事など見ていないため、見とがめられることはなかった。
『すいません無理っす、強硬手段取ります。部室最寄り自販機』
桃宮と、ついでに桃宮経由で昨日教わった茶原にもメッセージを送る。昨日依頼を聞いてから一旦部室に戻って話をしたので、今回赤尾が関わっている依頼については彼も把握しているはずだ。
送信してすぐ携帯をしまう。これでおそらく桃宮のほうは確実に駆けつけるだろう。茶原はまだ部室に来ていなかったし、講義だろうから来れるかどうかは不明だ。
できれば駆けつけてほしい所だが、まあ駄目で元々だ。
「あれ、赤尾、お前話聞いてる?」
携帯は見つからなかったが、さすがに無言が長すぎたらしい。自慢げに話していた坂崎がこちらを不満げに睨みつけていた。お前に睨む権利があるか、と怒鳴り付けそうになる。
怒鳴る代わりに、一歩距離を詰めて、お守りを持った右手の手首をつかんだ。
「聞いてましたよ、もちろん。あんたのくっそ気持ち悪い妄想話だろ」
「えっ、な、なんだよおい」
「そういや、坂崎先輩。俺部活言ってなかったっすよね」
手を放せよ、僕先輩だぞ。そんな言葉が返ってきて、手首を握る手に余計に力が入った。
刺激しないように。穏便に。相手がどんな手段に出てくるかわからないんだから。
—―知ったことか。そもそももう押さえつけてるんだから穏便もなにもあるか。
「文芸部だ。そのお守りの持ち主から依頼受けてる。言ってる意味わかるか勘違い野郎」
口に出してみるとそのセリフは支離滅裂すぎてひどく滑稽だったが、やはりこの大学内では一定の意味と効果をちゃんと持っているらしい。坂崎の顔が一瞬真っ赤になってから急速に青ざめていく様子は、見ていて少しだけ胸がすっきりするものだった。
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