第2話 ― 9
「え、なんで、俺、何も」
「しただろうが。人の物勝手に盗んで何がプレゼントだ」
ぴしゃりと言い放つと、坂崎は青ざめた顔で口をぱくぱくと金魚のように動かして沈黙した。それを一瞥してから赤尾は部室棟のほうへ目を向けた。
怒りに任せての行動にはなってしまったが、これで解決するのならまあよかったのかもしれない。あとは桃宮が到着するのを待って……それからどうするんだろうか。さも警察か何かのように宣言して捕まえはしたものの、赤尾も桃宮も別に逮捕権限があるわけでもなければ留置場のような場所を持っているわけでも、そもそも他人をそんな場所に入れる権利も無い単なる学生だ。
そうすると、事務局のほうに窃盗の動かぬ証拠を持っていたとして突き出したりするのだろうか。それともここから「二度と依頼人に近づくな」などという交渉タイムにでも突入するのだろうか。
そんなことを考えながら眺めていると、部室棟のある方向から中学生のような小柄な女子がこちらに走ってくるのを見つけた。桃宮だ。右手は変わらず坂崎の手首を握っているので、空いた左手を振って場所を教える。
「あれ?」
桃宮はすぐにこちらの位置に気付いたようだったが、その様子に赤尾は違和感のようなものを覚えた。こちらに向かって走りながら、自身の頭を指さすようなジェスチャーを何度も繰り返しているように見える。
何をふざけているんだろう、なんて一瞬思った次の瞬間。
「僕の手を放せよ、このクソがっ!」
ヒステリー気味に裏返った絶叫が真横から耳をつんざき、同時に思いっきり視界が揺れた。側頭部の鈍く重たい痛みに、思わず坂崎を掴んでいた手の力が弱まる。その一瞬のうちに掴んでいた手は乱暴に振り払われてしまった。
そのまま倒れ込むようなことはなかったが、まるで状況が呑み込めないまま坂崎のほうを見ると、真っ青だった顔をもう一度真っ赤にして鼻息を荒げるワカメ頭がこちらを睨みつけていた。赤尾が掴んでいた方の手には茜色のお守りを握りしめ、もう片方の手には中身がまだ入ったペットボトル。
ああ、俺はあれで殴られたのかとようやく状況を理解した。
「かっ、かか返さないからな! ぼ、僕の言うことを聞かないあいつが悪いんだ! そんなに大事なら、僕が言ったことに頷いておけばそれでよかったのに! だいたい僕とあいつの問題だろ、関係ないじゃないか! 部外者が僕の邪魔するなよ!」
坂崎はそう叫ぶなり踵を返して、その場から走って逃げだした。慌てて追いかけようとするが、足元が少しふらついて出遅れた。
「赤尾くん⁉ なに、どういう状況なの!」
一歩遅れて合流した桃宮が慌てて赤尾のほうに駆け寄ってきた。桃宮からすれば気まずい質問から逃げたはずの赤尾が、唐突に訳の分からないメッセージを投げつけてきて、最後には「強硬手段に出ます」の一言と一緒に場所を指示されただけなのだ。混乱して当然である。
すいません、お守りが。走り去る背中がまだ見えている坂崎を指さしてそう呟くとおおよその事態がわかったらしい。携帯を取り出して電話を掛けながら赤尾が指さした方向へと桃宮が駆け出した。
後に残された赤尾の胸中は「やってしまった」という後悔で埋め尽くされる。
冷静ぶって結局自分勝手な妄言を流しきれず、怒りに任せて先走った結果、坂崎に逃げられた。逆上した坂崎が何かしらの手段に出たとしたら、それでお守りが三島のところへ返してやれない状態になったら、最悪の場合三島自身へ怒りの矛先が向いたとしたら。
そこまで考えて、弾かれたように赤尾は走り出した。まだ頭は痛むし足元も少しふらつくが、そんなことは些細な問題だった。
***
見てくれの割に存外足が速い。桃宮胡桃は走りながら小さく悪態をついた。
体験入部の後輩を桃宮の目の前で殴りつけ、大声で返さないだのなんだのとわめき散らかしたワカメ頭の男の背中はまだ追えているが、距離はじわじわと開きつつあった。顔を見たのはさっきが初めてだったが、そのワカメ頭が坂崎だというのは桃宮にもすぐに分かった。
相手だって決して運動部のような体力があるわけではないだろうが、いかんせん桃宮とは一歩の距離に差がある。自分の身長を恨むのはいい加減慣れたが、それでもこういう時は舌打ちの一つだってしたくなるというものだ。
「あああああ! 来るな来るな来るな! 放っておけよおお!」
ちらりとこちらを振り返り、まだ桃宮が追ってきているのに気付いた坂崎がヒステリックに叫ぶ。桃宮の依頼人は坂崎ではないので聞いてやる理由も義理もない。
そうやって追っているうちに、大学の校門を抜け、いくつかの道路を信号など知ったことかとばかりに突っ切り、坂崎との追いかけっこは大学から徒歩五分程度の距離にある川に差し掛かった。
「いい、加減、諦めなさいよっ……!」
息も絶え絶えになりながら、それでもどうにか追いすがった桃宮の言葉が通じたのだろうか。川を渡る大きな橋の真ん中あたりで坂崎はその足を止めた。
あれ、これは――と追い付いて足を止めた桃宮は顔をしかめる。
よくない色だ。このままでは面倒なことになる、と桃宮の脳内で警報音が鳴っていた。
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