第10話 ― 6
***
居間にあるテレビでそのまま見てくれていい、という飯塚慧の言葉に甘えて練習試合のDVDを見せてもらった後、赤尾は再び二階へ来て飯塚光汰の部屋をノックしていた。
映像そのものはそれほど長くかからず、まだ日も暮れてきているわけではないがさすがに他人の家へいつまでも居座るわけにはいかない。桃宮たちともそう話して、今日の所はそろそろ帰ろうかという所に頼んで十分だけ時間を貰った。これがサボっている本人へ今日話しかけに行く、最後のタイミングだった。
「光汰くん、さっき挨拶した赤尾だけど。ちょっと聞きたいことがあるんだ、いいかな?」
返事は無い。練習試合の映像を見ている間に人が出入りする気配や音はしなかったので自室の中にいるはずで、それならこれは寝ているのか、それとも単に無視しているだけなのか。
判別に迷った丁度その瞬間、ドアの向こう側で人が歩き回る気配がした。
「……無視のほうか」
それならば、赤尾の推測を答え合わせする意味もかねて一つ試してみたいことがある。桃宮には「もっと他の手があるでしょ」と呆れられるかもしれないが、生憎赤尾は桃宮が憧れるような高潔な正義のヒーローほどお行儀はよくない。むしろこういう時に相手が話を聞かないからといって「時間も遅いし出直そう」などと何もしないまま引き下がるのは赤尾のイメージするそれに反していると言えた。
――それに、さっきの冷たい視線で傷付けられたのもあるし。内心でこっそり付け足したその動機がどれくらいの比率を占めているかは、初めから考えないことにして再びノックをする。
「君の部活のお友達が君の様子を見に玄関まで来てるよ」
その途端、ドアの向こうで大きな音がした。積んであった何かが崩れたような音と、重たい何かが落下したような――丁度中学生くらいの体格の人間が尻餅をついた時のようなずしりとした音。
どうやら推測が当たりだったらしい、とその反応で察してドアノブに手をかける。鎌かけと無視封じのための牽制に出した、本当なら使うのをためらう言葉だ。使った以上はその解消をすぐにしなければ、必要以上に追い詰めることになる。
鍵はかかっていないようで、開いた扉の先には先ほど挨拶をしたばかりの、緩いくせっ毛をして歳の割にがっしりした体格の中学生が、座り込んだまま後ろへと後ずさる途中の格好で固まっていた。
右手だけが後ろに伸びていて、その手の延長線上を視線でなぞると部屋の隅っこに置かれた細長い布の袋が見えた。赤尾の胴体より長いそれはおそらく、中に竹刀が入っている。
「ごめん、嘘だよ。君が怖がってる剣道部の部員はここには来てない。こうでもしないと話を聞いてくれないと思って、乱暴な手段を取らせてもらっただけだ」
身を守るのに今は竹刀まで持ち出さなくていいから、とあえてハッキリそう言ったのは赤尾なりのサインだ。お前の事情には気付いているぞ、という。
サインはどうやら伝わったらしい。伸ばしていた手から見てわかるほどはっきり力が抜けて、座り込んだ光汰自身の膝の上に置かれた。
「……兄貴から聞いたの? 違うよな、うちの家の人にはバレてないはずだし」
相変わらずの冷めた口調と生気のない瞳だが、それでも今度は不審者を見るような鋭さが視線に宿っていない。どうやら話くらいはできそうだ。そう判断して赤尾は小さく頷いた。視線は真っすぐ、その死んだ魚のような目を見据える。
「下の階で、君の練習試合の映像見せてもらった。その映像でちょっとな」
「……映像で見えるような所に、何かあったっけ」
「俺もたまたま目についただけだからなぁ。普通に見てるだけだったら気にならないし、見逃すようなところなんだけども」
事前にそう前置いてから、赤尾は小さな間を空けて。
「試合が始まる前、画面の隅っこで君を後ろから指さしてニヤニヤ笑ってる三人組がいた。気付いた理由はそれだけじゃないけど、一番目についたのはそこだ」
口にした言葉は大当たりだったらしい。膝の上に置いていた右手が一瞬ピクリと跳ねたのを見て赤尾はそう確信した。
少なくとも好意的な印象の出てこない、ねっとりとした印象の笑顔。口元の歪んだ笑い方は赤尾が小学校の時に何度か見たことがあるものだ。指さされている当人に決して気づかれない角度から行われたその手の動きも含めて、そこに込められているのは侮蔑や見下しなどの明らかな悪意。
それは直接自分にぶつけられた事がないと「被害妄想」や「気にし過ぎ」の一言で退けられてしまいそうな無根拠の感覚だが、逆に言えば小学校時代に見慣れていた赤尾からすればそれだけで十分な根拠となった。
「イジメだな? それも多分、三人組だけじゃない。君からは見えない位置でも、他の部員や練習試合の相手には見える角度なのに周りは反応しないし、三人組は堂々としてるし。部員全員グルか?」
返答のない沈黙と、せわしなく竹刀と赤尾を行き来する視線を見てそれ以上の追求を止める。
代わりに、赤尾は尻餅をついた格好のままでいる光汰の目の前にしゃがみこんで視線の高さを合わせた。
「教えて欲しい。練習試合で何があった? どうして部活に行けなくなった?」
「な、なんでそんなこと、聞きたがるんだよ」
「助けに来たから」
かすかに震えていることが分かる声に尋ねられて、するりと口からその台詞は出てきた。
「お前の兄貴が通う大学の文芸部はな、正義のヒーローも兼任なんだ」
少し前なら絶対に言えなかった台詞は、思いのほかすんなり出てきて、そして口にすると気恥ずかしさと同じくらいに響きが気に入る言葉だった。
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