桃宮・赤尾:ヒーロールーツ

第7話 古傷起こしの群青色

 また、いつもの夢を見た。いい加減見慣れていることもあってか、最近は「これは夢だな」と認識するまでの時間も早くなってきている。

 明るい日差しが差し込む小学校の教室で、その後十年以上の付き合いになる親友が作文を読み上げていた。くりっとした強気な目と、癖の強い短髪にちょっと日焼けした肌。髪の毛こそ今は金髪になっているが、竹沢の人懐っこい顔つきはこの頃の面影を強く残している。

 竹沢のすぐ後ろの席には、当時は「物静かで大人しい子」の評価を貼られていた自分がいる。明るく快活な竹沢は、当時から赤尾の親友でもあり、同時に羨望の対象でもあった。


 教室の黒板には大きな文字で「将来の夢」の文字。これもいい加減見慣れた。

 文字周辺を無駄に装飾をしてあることは、大学生になった今でもやはり理解に苦しむ手間だった。そうだ、文字周辺を花のイラストで囲む手間のせいで授業開始のチャイムから十分ほど自分たちは待たされたのではなかっただろうか。

 そんなことを考えていたら、子供の頃の竹沢が自分の作文を読み終えていた。あの頃サッカー選手を目指した少年は、今も大学のサッカー部に所属している。


「はぁい、素敵な作文でした! みんな、竹沢くんに拍手しましょう!」


 教室内を拍手の音が埋め尽くす。さーてそろそろ来るぞ、ともう赤尾としてはげんなりする気分だ。ここで目を覚ませたらどれだけいいかと思うが、あいにく赤尾の夢はそれも許してくれない。


「では、次は赤尾くんの作文を読んでもらいましょう! さあ赤尾くん、立って立って!」

「は、はい!」

「さあ、それじゃあ赤尾くん? あなたの、将来の夢はなぁに?」


 ――そういや先生の名前、なんだったっけな。

 今まで気にも留めず、ただ記憶から抹消していただけの存在に対してそんなことをふと思う。いつもなら夢の中の自分に必死で作文の朗読を止めるようにと届かない声で訴えるところなのだが、それすら慣れて精神的な余裕が出てきたのだろうか。

 まるで他人事のように、冷静に分析しながら幼少期の自分の言葉を待つ。


「ぼくの……ぼくの将来の夢は……正義のヒーローになることです!」


 冷える場の空気。引きつる先生の頬。

 よくもまあこの場で自分はこの続きを読もうと思ったものだ、と考えて。


「――あれ?」


 ふと気がつくと赤尾は、原稿用紙を手に持って自分の席のすぐ横に立っていた。

 いつも夢でこの光景を見るときには必ず、赤尾の視点は場を俯瞰で見下ろすような構図だった。赤尾自身の当時の視界だけでなく、脳にこびりついた記憶が見えなかったはずの箇所まで補完しているのだろうと、憶測ではあるが自分なりに納得していたのだが。

 赤尾は今、紛れもなく、当時の自分の視点でその夢の中にいた。

 状況は理解できない。理解できないまま、手に持った自身の作文に目を通す。


 白紙だった。

 三枚重ねられた四百字詰めの原稿用紙は、そのどれもきれいさっぱり真っ白だった。確かに自分はこれをついさっきまで読み上げていたはずなのに、いや違う、夢の中の自分が読み上げていたのだ。赤尾自身ではない。思考が混濁しかけたところをどうにか冷静に保とうとする。

 

 今までの夢とは明らかに何か違う。

 そう理解した瞬間、ふと視線を感じて原稿用紙から顔を上げた。


「ひっ」


 思わず悲鳴がこぼれる。教室中の全員。前の席も隣の席も後ろの席も斜め前も離れた席も教壇の上も全員が赤尾の方を凝視していた。無表情のような、少し引きつったようなそんな顔で、視線は「早く続きを読めよ」と急かしている。

 待ってくれよこの作文何も書かれてないんだって、続きを読もうにも読めないんだよ俺。その言葉は口を開いても音にならず、周囲の視線は変わらず赤尾を全方位から刺す。とにかく続きを読まなければと赤尾はパニックになりつつあった。


 いつも夢に見ているだろう。この続きは聞いたことがあるはずだ。自分が読み上げた作文だ、かならず記憶にある。そうだ確か続きは、


「なぜなら、僕は」


 そこで気がついた。

 夢の中ではいつもここで遮られるではないか。赤尾はこの先を知らない。覚えていない。

 


 足元が音を立てて崩れるような感覚だった。あの頃の自分を作るルーツが何なのか、もう赤尾の中には残っていない。八歳の自分に負けまいと燃えて、ヒーローなどいないと否定して、それでもその事実はどうしようもなく心細かった。

 いつもならここで遮る先生の声は聞こえない。ただ黙って、他の視線と同じようにこちらを刺している。言ってくれよ、ちょおっと待ちましょうって言ってこの作文を終わらせてくれよ。勘弁してくれ。


 周囲に視線を巡らせて、教室の窓の外が見えた。

 そこには中学生のような背格好をして、髪の毛を二つ括りにした少女が立っていた。無表情に、だけど他の視線と違ってその目は刺すように急かしてこない。

 ただ真っすぐに、胸の内まで見透かすような視線を赤尾の目に向けていた。


「なんでだよ」


 ぽつり、と出たのはあの仮入部の日に感情を爆発させたトリガーの言葉。でも今はその一言より先が出てくることはなかった。


 なんでだよ、八歳の俺。なんで正義のヒーローなんだよ。

 なぜなら僕は、の続きは一体なんなんだよ。

 俺はどうして正義のヒーローに憧れた?


 どの疑問も本当なら喉が裂けるくらいに叫びたくて、どれも喉からは掠れるような音すら出ないまま、赤尾の意識は黒く沈んでいった。

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