第6話 ― 4

 何気ない口調だったが、橙山のその一言は赤尾には少し予想外のものだった。


「橙山先輩は、茶原先輩の狙いわかるんですか?」

「え、うん」


 そう尋ねると、ビールから一度口を離した橙山が小さく首を縦に振った。当り前じゃない、と言わんばかりの堂々とした態度である。

 まじですか、と食いつく赤尾は昨日一日考えても皆目見当がつかなかった立場である。こういう察しの良さも橙山と茶原が幼馴染だからこそのものなのだろうか。そう思いながら言葉の続きを待つ赤尾に、橙山は積んだお菓子を食べながら種明かしをした。


「や、ほら、赤尾君もわかってると思うんだけどさ。あれじゃん、茶原って花桜夢子じゃん」

「結構ためらいなくいきましたね今」


 まあ確かに気付いてはいたが、それにしてもぶっちゃけ方に容赦がない。もう分かってることを勿体づけても意味ないし、と橙山のほうは悪びれる様子など皆無のまま続ける。


「普段はあしなが本屋で書いてるけど、正直な所あいつの本質って花桜夢子のほうなのよね。もうベッタベタの恋愛小説とか、女の子向けの甘いストーリーとか。本人は自分の外見にその作品じゃ似合わないしもし読者に素性バレたら夢を壊しちゃうからって隠してるけど」


 気持ちはわからなくもないなあ、と赤尾もお菓子に手を伸ばしながら頷く。わざわざ匿名で周囲を誤魔化す手間をかけながら、普段から使っているペンネームに加えてもう一作書いてくるくらいだし嫌々やっているということはないだろう。そうは理解していても、やはり二メートル弱の身長とあの体格に厳つい顔つきで花桜夢子という名前や甘ったるい作風というのは似合わないを通り越していっそギャグだ。

 以前赤尾がペンネームについて言い当てた時に本人も「似合わないだろ」と言っていた。名前から一人歩きしていくイメージと自身の差を茶原がそれなりに気にしているのは紛れもない事実だろう。そしてそれでもなお書くのを止めない程度には、彼はその名前で書く作風を気に入っている。


「思考回路もがっつり少女漫画寄りだよ、あいつ。他の悩みには大抵疎かったり、気付いても余計なことしないようにって静観することの方が多いんだけど、とある一ジャンルだけは別」

「と、いいますと」

「ずばり恋愛の悩みね。昔からあの強面のくせに嬉々として他人の恋愛相談に首突っ込んでいくんだもん。怖かったよーあの頃は。まあそんなのと長年交流があったおかげで、私もある程度そういう思考にはついていけるようになってきたんだけど」


 芝居がかった口調と共に自身の両肩を抱いて大げさに震えてみせる橙山。確かにあの茶原が恋愛沙汰に首を突っ込みにかかるというのは想像すると怖い絵面ではあるのだがしかし。


「今回の嫌がらせ組に、どう恋愛の悩みが絡んでくるんですか……?」


 決まってるじゃない、と返しながら橙山がビールの缶を新たにもう一本開ける。すでに二つ空き缶が横に並べられているのだが、果たして二本目はいつ手を付けていつ飲み切ったのやら赤尾には皆目見当もつかない。

 この人の胃袋と肝臓はどうなっているんだろう、と思いながらその飲みっぷりを眺めていると、橙山はその答えを口にした。


「ずばり、その木崎ちゃん。経緯まではわかんないけど榎園君に対する嫌がらせの理由は恋愛がらみと見たわ」

「いやいやいや」


 ないですって、ありえませんってば。そう言って否定する赤尾の口元には無意識に笑みすら浮かんでいた。木崎が恋愛がらみ? 相手は? 榎園か? そんな馬鹿な。


「木崎って主犯格ですよ? ムービー録ってた時の会話でも、画鋲とボールは自分がやったって自白してましたし。ペンキだって多分あの様子だと木崎が指示出してた感じですよ。惚れてる相手にやる仕打ちじゃないでしょう」

「いっやー、わっかんないよー? ほら言うじゃん、昔から。可愛さ余って憎さ百倍とか」


 少なくとも茶原はそう考えて行動してるんじゃないかな、と笑う橙山は妙に自信ありげだった。目の奥には好奇心と同じくらいの比率で自信の色が見える。


「いや、それにしたって――」


 ありえなくないですか、と言いかけたその言葉を最後まで言うことはできなかった。部室の扉の辺りで人の気配がして、扉の向こうでガチャガチャという固い音と同時に数回振動したからだ。

 何事だ、と身構える赤尾と橙山。二人の目の前で扉の鍵を差し込む音がして、サムターンが小さく回転する。二人は部屋に入って来てから鍵などかけていなかったので、今これで鍵がかかった状態になる。そうとは知らないのだろう、ドアの向こうでドアノブを捻る音がして、数回ドアが揺れる。


「あれ、おかしいな……誰か入ってたか?」


 ドア越しに聞こえたのは、熊の唸り声のような低音ボイス。茶原だ。

 噂をすれば影ってやつ? と笑う橙山はささやくような小声で、すでに表情はいたずらをする子供のそれになっている。先客がいないかと声を掛けた茶原には当然のように沈黙だ。数秒経って「誰か鍵かけ忘れたな、こりゃ」という声と共に再び鍵を差す音がした。

 そうして再びサムターンが逆向きに回転し、扉が開くと。


「いやーごめんな、さあ入ってくれ……って、赤尾に橙山先輩」


 ドアの枠にギリギリ収まりきらない長身と共に、つい最近話題に上がったばかりの木崎が部室前に立っていた。

 部室の中と外で、お互い妙な空気の沈黙が流れる。数秒硬直してから、最初に口を開いたのは橙山だった。目を細めて眉根を寄せ、ぽつりと一言。


「……いたいけな後輩女子を密室に連れ込む大男」

「違う! 誤解にしても酷すぎる!」


 部室いっぱいに響く大音量は、いっそ悲痛ですらあった。

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