第6話 ― 6

 まず前提として。木崎の語りだしがそんな堅苦しいものだったのは恥ずかしさというより、本当なら極力話したくないという感情が頑なにさせているのだろう。


「私にはその、好きな人がいるの。今回私がやった事も、まあ、それ絡みの事情なんだけど」


 ――おっと、これは。赤尾は思わず橙山の方に視線を向ける。向こうも同じように赤尾のほうを見つめていた。細められた目と吊り上がった口角が「どうよ、私の予想」と主張している。

 橙山の予想が的中しているのだとしたら、その相手は。


「榎園先輩のことか」


 答え合わせは赤面して俯く木崎の表情だけで十分だ。だが何故。


「好きな人がコンテストに向けて写真撮影するのを嫌がらせするのかよ、お前は」

「だって、先輩が全然分かってくれないから」


 話が通じているのか本当に。歯ぎしりしたくなるような気持ちで赤尾はその続きを促す。


「今回先輩が応募しようとしているコンテストのことは、文芸部に話が行くよりも前から私だって知ってたわ。景色とかじゃなくて人物をテーマにしたものだから、撮影にモデルを必要としてることもね。それで、これを最後の部活動にするつもりの榎園先輩と距離詰めるラストチャンスだと思って、私がモデルじゃだめですかって言ったの」


 先輩の写真を撮る姿が好きで、入部してからずっと先輩を見てきました、力になりたいんです。そこまで言い切ったのは木崎としてはほぼ告白をするに等しい一世一代の大勝負だったそうなのだが。

 ――いや、たぶん君じゃない。

 返す榎園は即答だった。既にモデル探しに没頭していた榎園の視線は、目の前の木崎を見ることすらしなかったという。良くも悪くも芸術家肌、の悪い部分が全面に出た結果だ。


「普段あんまり話しかけられない先輩にさ、私結構頑張って話しかけたのよ。その瞬間にバッサリよ」

「それは、まあ、なんというか」


 ご愁傷様ですね、いや違う。さぞ腹が立っただろうな、これも違う。

 じゃあ腹いせに嫌がらせしても仕方ないよね――もっと違う。

 自分はこの話にどんな相槌を打てばいいのかと赤尾は途方に暮れた。一応、その言いまわしで気付かない榎園の鈍さは少々残酷だなと思わなくはないが。


「次の日にはモデルが見つかったって大はしゃぎして、部室で嬉しそうにそのモデルの話を延々語ってるんだもの。ちょっとした拷問よあんなの」


 一日前にアプローチを仕掛けた男が、自分は眼中に入れもしないまま別の人物に熱を上げている。木崎からすれば、それは臓腑が煮えるような感覚だったという。なまじ前日にモデルの話を振ったせいで、榎園は律儀にも「気を遣ってもらった件だけど」と経過を報告してくるものだから逃げようがない。

 胃のむかつきを耐えながら話を聞いていれば、そのモデルとやらは文芸部にいること、そして翌日には撮影のほうに取り掛かるつもりでいる事が分かった。

 それが、嫌がらせを開始するトリガーになったのだそうだ。


 とばっちりじゃねえか俺たち、という気持ちでいっぱいな赤尾であった。とばっちりでボールが飛び、画鋲が撒かれ、同じ部活の男子の社会的立場を脅してまで空からペンキを降らせるというのだから恐ろしい。

 古今東西どこにおいても色恋沙汰で嫉妬に狂う女性の復讐劇というのは過激なものが多く、基本的に部外者がその心情など到底理解できるものではない。赤尾が思うにあれは台風や地震と同列の、制御不可能な災害だ。

 まさかその災害に自分が立ち会うことになるとは思ってもみなかった話である。


「茶原先輩は、これの、どこに同情の余地を」

「主に榎園先輩の返答だな。もうほぼ告白だろうにその斬り方は酷だろ」

「そのあとの所業については俺たちに酷じゃないとでも!」

「だから相談前に謝れよって念押ししたんだ。ここに来る前にきつく説教はしたぞ俺も」


 その結果泣かしたけどな、と表情が曇った茶原を見て、彼がわざわざ文芸部の部室まで木崎を連れてきた理由が察せられた。

 この蛮族顔が本気で説教すれば、反省するのと引き換えに泣くのはおかしな話ではない。むしろ中途半端な説教と違って「泣けば許してもらえるから」などと甘い計算を立てる余裕すら無かっただろうなと、いっそ反省の態度に信憑性が生まれたくらいである。


「それで赤尾、橙山先輩。一つばかり副部長権限を使いたいんだが」


 提案とか頼みとかじゃねーのかよ、と小さく呟いた赤尾の突っ込みは黙殺された。


「次の榎園先輩の撮影に木崎さんも同行させてほしい」

「嫌がらせの張本人ですよそいつ。榎園先輩だって気付いているでしょう」


 ペンキ被害の直後、榎園は犯人に心当たりがあるからこちらで解決するといって頭を下げていた。あれが榎園の勘違いでないのなら一度は木崎のところへ話に行っているはずだ。


「カメラ盗難の後くらいには犯人だってこと自体はもうバレてたの。でも動機は全然わかってくれてなかったわ。その次の日の昼休みに声かけてきたのだって、同じ教室の奴に君っぽいのを見たって聞いた、どうしてこんなことをするんだい? って言われたもの」

「で、なんて答えたんだよあんたは」

「私を気にもせずに別の女にカメラ向けてるからですって言ったわよ。そんなにモデルやってみたかったのかいって首傾げられたわ」


 それはちょっとなぁ、と榎園の鈍さと愚直さが赤尾から見ても痛い。なんでお前それでまだ好きって言えちゃうんだよ、と赤尾的には思うがそこはきっともう理屈ではないのだろう。


「そんなわけで、榎園先輩の依頼をただモデル撮影だけで片づけてそれで完了にすると木崎さんが不憫すぎる。準備はこっちでちゃんとやるから、同行するのだけ許可くれねえかな」


 橙山のほうに視線を向けると既に「私は別にいいでーす」と軽い返事だ。

 三人分の視線が自分に向けられては、赤尾一人で反対する気力も起きなかった。

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