第5話 方針違いの焦茶色

「うん。茶原に任せるわ」


 ここしばらくは榎園の依頼を手伝うのにあちこち移動ばかりしていたから、三日ぶりくらいだろうか。顔を見るのが随分と久しぶりに感じる桃宮に、現状の自分たちが抱えている依頼の内容やおかしな点を話して聞かせると、返ってきたのはそんな素っ気ない言葉だった。

 正直な話、文芸部に入って以来最も驚いた一瞬かもしれない。


「い……いやいやいや、桃宮先輩? わかってます? 別に文芸部としての活動じゃなくて、依頼ですよ? 桃宮先輩の大好きな依頼」

「赤尾くんはあたしを何だと思ってるのかしらね」


 ――そりゃもう、三度の飯よりヒーローごっこが大好きな人助けマニア。

 そんな風にあけすけに言ってしまえればいくらか気が楽かもしれないが、さすがに実際に言う度胸まではなくて赤尾は曖昧に視線をそらす。明言は避けたはずなのだが、正面に座った桃宮からの視線がじわりじわりと重苦しいプレッシャーを放ち始めたので「すいませんでした」と白旗をあげた。やはりこのちびっ子部長の勘の鋭さは侮れない。


「あのねえ、別に依頼を受けないとか、そんな依頼知ったこっちゃないわとか言うわけじゃないのよ。それなりにちゃんと理由があるんだからね」


 ものの三十秒もしないうちに降参した赤尾に少し不満感の残る顔ではあったが、桃宮は話題をもとに戻した。


 茶原と正式な文芸部立ち上げについての話をしてから、何となく申し訳ないような気分になって赤尾は何も話せないまま三十分ほどを過ごしていた。あまり居心地悪い空気が続くくらいならそろそろ自分は帰ろうか、などと考えた矢先に桃宮が部室に入ってきたのである。

 がらりと空気が入れ替わるタイミングで、これ幸いとばかりに依頼の話を振って、おかげで少々重たかった空気があっという間に解消されて今に至る。


「話聞いてたらだいたい状況がどうなってるのか、当事者じゃないあたしでもわかるのよ。赤尾くんや茶原だってさすがに犯人がどこにいるのかくらい予想つくでしょ?」


 そう尋ねられて、赤尾と茶原は顔を見合わせる。それから改めて桃宮のほうをみて、二人そろって首を傾げた。


「赤尾くんはともかく、茶原、あんた読書家でしょ。推理小説だって読むし、書くじゃない。推理力くらいそういうとこで鍛えてないの」

「無茶言うなって、推理小説と現実は大違いだろうが。だいたい俺は読むときに推理しながら読むタイプじゃねえし」

「あーもう、世話の焼ける筋肉ね。いいわ、ちゃんと一から謎解きしてあげる」


 十中八九同じ写真部の誰かでしょうが、と桃宮は実にあっさりと言ってのけた。


「いくら何でも撮影場所を特定されすぎでしょ。その依頼人のスケジュール完全に把握されてるとしか思えないのよ。わざわざ画びょう巻いたり曲がり角の向こうからボール投げつけたり、そのタイミングでその場所を通るって知ってなきゃ絶対無理」

「写真部だからってだけでスケジュールの把握とかできます?」

「知ってるかしら、赤尾くん。うちの大学の写真部ね、部室に部員が書き込めるホワイトボード置いてあるの。だいたいその週にやる予定の撮影があるなら、部員の名前と撮影時刻とか撮影場所をあらかじめ書いておくのが決まりなんだって。同じ写真部同士で撮影場所被っちゃったりすると、フラッシュだの光源の利用だのがお互い邪魔になっちゃうこともあるからって。本当に意味があるのかは知らないけど」


 なんでそんなに別の部活事情に詳しいんですか、という赤尾の質問には「前に依頼があった時に聞いたの」と事もなげに返された。

 スケジュールの把握以外にも、カメラの盗難だって結局は写真部員が部室から発見したと言っていたことも特定の根拠らしい。確かに言われてみれば、部室に入り込んでカメラを置けるのはその部の部員だけだろう。仮に部室にあったというのが全くの狂言ならば、今度はその証言をした写真部の部員が怪しいということでやはり容疑者が写真部員であることは変わらない。


 なるほど、と桃宮の主張は理解した。しかし。


「それと、茶原先輩に任せるっていうのと、何の関係が?」

「いくつか理由はあるけど、現状完全に部外者のあたしが首突っ込むと絶対状況がややこしくなるっていうのが一つ。まだ依頼を直接受けてるあんたたちが動く方が自然だわ」


 あんまり不自然な動き方すると前みたいになるわよ、と桃宮が引き合いに出すのは赤尾が体験入部という形で関わったあのつきまとい男の一件だ。


「あとは結局、依頼としては撮影の手伝いとレーナちゃんのモデル起用でしょ? 依頼人自身が内密にーって言ってるものを理由も知らないままうかつに刺激するわけにもいかないわよ。なにか事情があるんでしょうし。放っておくのも寝覚めが悪いけど、まずは依頼人に事情を聞くところからね」

「今回は随分日和見主義っすね」


 赤尾が返した突っ込みが随分と剣呑な物になったのは別に深い理由などない。あんなトラブルを目の当りにしたら桃宮はきっと首を突っ込むだろうという予想が外れたから、などとは違う。穏健派を気取って大人しくするなどヒーロー願望はどうした、などというのは、断じて。


 そうかしら、と棘を含んだ赤尾の言葉はさらりとかわされた。


「ヒーローだからこそ、こういうのは見極めが大事よ。ありがた迷惑、余計なお世話、自己満足のお節介……ヒーローのつもりでこういうことやっちゃったら取り返しがつかないんだから。それとあともう一個の理由もね」


 そこで桃宮は言葉を区切り、赤尾の目を真っすぐ見据えてきた。


「茶原を見てたら多分いい勉強になるよ、アンチ・ヒーローくん」


 理由を伏せて意味深に笑う桃宮の目はいつだったかと同じ、赤尾を試すような、挑発するような色合いをしていた。

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