第2話 ― 2

「ていうかそれ、話が違うじゃないですか! 俺は文芸部に仮入部したつもりだったんですけど!」

「違わない違わない。ちゃんと文芸部だよ、うちは」

「目を見て言ってみろ畜生!」


 露骨に視線を横に泳がせる桃宮に、いい加減にしろと舌打ちをする。もう仮入部がどうとかの話もいっそ投げ出してやろうか、なんて思った。


「もうわかりました、逃げるってことでいいですから仮入部も辞めさせてもらいます。部室で言ってたように入部だけしてすぐに」

「今逃げるんだったら手続きしてあげなーい」

「はあ? お前この野郎……!」

「野郎じゃないでーす、乙女でーす」


 廊下であることも相手が先輩であることも忘れて大きな声が出たが、桃宮は意にも介さない様子でそのまま先へ進んでいった。

 そのまま帰ってやろうか、とも思ったが、桃宮の言葉を聞いた限りではここで帰ると損するのは一方的に赤尾だけだ。他の部活に行ってしまえばそれで解決ではあるが、そうなると形だけの入部で後は自由、というわけにはいかないというのも先ほど聞いたばかりだ。

 このまま帰って、後々部活に縛られる不自由な生活をするか。

 今だけ我慢して後腐れなく入部から退部までの最速記録に挑戦し、自由なバイト生活をするか。


 心の天秤にかけてじっくり十秒近くも悩んで、結局今だけ我慢する方に針は傾いた。

 そうだ、仮入部期間なんてどうせそれほど長くはあるまい。今ここで少しだけ我慢すれば向こう三年は気ままに生活できるではないか。脳内で自分にどうにか言い聞かせて、赤尾はしかめっ面のまま桃宮の後を追うのだった。


***


「ストーカーというか、男の人に付きまとわれて困っていて」


 待ち合わせの教室でそう語ったのは、三島由香みしま ゆかと名乗った華奢な女性だった。野暮ったい印象の黒髪をしたその女性が桃宮の言う依頼人であるらしい。


「最初のうちは事務局にも相談していたんですが、直接的に危害を加えられたわけでもないからちゃんとした証拠もないし、動けないと言われてしまって」

「そうよね、わかる。事務局が動くのって本当に最終段階だけだもんね。直接的な危害があってからじゃ遅いっていうのに」


 たどたどしく話す三島に相槌を打ちながら、桃宮がこちらに目を向ける。何も言っていなくても「ほら言った通りでしょうが」というメッセージが伝わってきた。なるほど事務局では動けない範囲をカバーするというのは間違っていないらしい。非難するような視線はさすがにちょっと受け入れ難いが。


「じゃあ、依頼はそのストーカー男の撃退ですか?」


 そのまま桃宮と無言のにらみ合いを続けるのも不毛に感じて、赤尾のほうからも質問を投げかける。ストーカーに困っていてお悩み相談を頼るのだからてっきりそういうことだろうと思っていたら、意外にも三島は首を横に小さく振った。


「祖母のくれたお守りを、取り返してほしいんです」


 話を要約するとこうだ。

 以前から頻繁に三島につきまとい、食事やデートにしつこく誘ってくる男がいた。坂崎と名乗った彼の誘いを、三島は自身の性格もあって強くは出れないものの毎回拒否していた。何度も拒否しているうちに諦めてくれるかと期待していた三島だったが、つい先日講義の合間にトイレへ行こうと席を立った際、鞄につけていた大切なお守りを盗まれたという。坂崎が参加していない講義だったこともあり、ほんの数分だからと鞄を席に置きっぱなしにしたその隙を狙われたらしい。

 当初は単なる紛失を疑ったりもしたらしいのだが、その日の帰り際に再び坂崎が声をかけに来た際、三島に見せつけるようにそのお守りを手の中で弄んでいたことで犯人だとわかった。向こうは「落ちていたのを拾っただけ」と言っていたそうだが、紛失する前後を考えればその言葉には説得力が足りない。そして男はハッキリと言ったのだ。


 ――せっかく拾ってあげたんだ。返してほしかったら、お礼に僕の物になってよ。


 にやにやと笑いながらそんな要求をしてくる相手に三島は絶句したという。

 答えられないでいると「返事は今度でいいから」などとのたまって立ち去った。そのお守りは返さないままだ。


「なによそいつ、最低!」


 話を聞くなり桃宮が嫌悪感たっぷりに吐き捨てる。赤尾もその点については激しく同感だった。男の風上にも置けない、と外見のわりに義理堅い竹沢などが聞けば言うだろうか。


「それ以降は今までよりも頻繁に声をかけに来るようになって、最近は近づいてきたら走って逃げるようにしているんですが、もう気が滅入っちゃって」

「それこそ事務局の出番じゃないんすか。露骨に実害出てるでしょ」


 口から出た提案は自分で意識していた以上に刺々しかった。

 教室までついてきた時は正直、依頼とやらが終わるまでただの傍観者で過ごしてやろうと決めていたのだが、どうも当初の目標は達成できそうにない。ほとんど噛みつくような勢いの言葉にも、やはり三島は首を横に振った。


「口頭で言われただけで、事務局に持っていけるような証拠がありません……それに、証拠があっても、言えないです」

「なんでだよ」


 たどたどしい喋りの三島に納得いかず、赤尾は語調も荒く一歩詰め寄った。

 と、赤尾の視界に小柄な背中が割り込んできた。桃宮だ。背中を向けたまま、赤尾の歩みを妨げるように両手を広げていた。

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