88 準備の時間は、短い

 翔の頭を叩いたのは、キーウィだった。


「あんさんの大きい声でバロップが足止めてもうたやないですか! もう今日はしまい! 野宿の準備してください!」


 キーウィはそう言うと、馬車を降りてバロップに繋いでいた綱を外し始めた。日は少しずつ傾きはじめていた。


「あたた……。ごめんキーウィ」

「ええですよ。一人おおなってバロップらもちょっと疲れとったみたいやからね。元々行きとおんなじ速さでつくとは思っとらんのですわ。ほな、皆さんも降りてもろて、早めに色々準備してください」


 キーウィは五人を下ろすと、馬車の中の点検をしはじめた。翔はそれを見て、これが次の商売の試験的なものだということを思い出していた。

 それぞれが寝床を準備し、食事を準備している中で、翔はムトの近くに寄っていく。


「なぁ、一つ気になったことがあったんだけどさ」

「なんだ」

「大津さんがその、クォーツだとするとしたらさ、なにか計画してたとは思えないんだよな」


 翔は大津と毎日顔を合わせていた。休日は家族と過ごしていると翔に何度も話していたはずだ。

 記憶をいじられている、としたとしても、大津が作り上げたテレビ番組まではごまかすことは出来ない。

 そのうえで計画をしていたとすれば、翔にも気がつく部分はあるはずだった。


「ん、ああ、お前、気がついてないのか」


 翔は薪を集めながら頭に疑問符を浮かべる。


「獣人になる魔法をした時のことを覚えているか?」

「あ、えーと……アーミアが俺に魔法を使って、俺が別の人間になって……」

「そうだ。獣人になる魔法があるように、人間になる魔法がある。それでいて、獣人も人間も、その魂の変質は一種類しかすることができない」

「ああ、聞いた聞いた」

「ということは、お前が大津と呼んでいるクォーツも、あの黒豹のような姿と、もう一つ人間の姿を持っていておかしくはないだろうな」

「でも、日本では空気中に魔力がないから魔法が使えないんじゃ……」

「さあな。魔法にも山程の例外はある。そこを考えるのは私でも無理だ」


 無理なのか、と翔は思いながら、話題を戻す。


「で、だとしてどう関係があるんだよ」

「私は一人、アレが人間になるとしたらどんな姿になるか予測した通りの人間が居る」

「予測……?」

「人間化も獣人化も、魂の変質を行う魔法だ。だからこそ、その変化先はある程度予測できる」


 ムトは持っていた薪を使って地面に似顔絵を描き始めた。下手でも上手くもない、ただ特徴を捉えた絵。

 翔はそれに見覚えがあった。

 新興宗教で、少しだけ信者が問題を起こした教団。誠実な教祖がその対応を行ったことや、その贖罪と言わんばかりに多額の寄付や社会貢献を教団の信者たちが行っていたニュースを取り扱ったことがあった。

 そこの教祖の顔に、やたらと特徴が似ている。


「カケル、ここで問題なんだが」


 翔が答える前にムトが更に続ける。


「魔法が使えないとはいえ、新興宗教の教徒がラプタ達とおなじようにこちらに侵攻してきたら、どうなるとおもう? 農園は、そして農園があった土地を手に入れたあいつは、次に何をすると思う? クォーツはこの世界に戻りたがっているだろうな。そして、己の名前をこの世界に広めたいはずだ」


 翔の顔からゆっくりと血の気が引いていく。


「教祖がこの世界を楽園と表していて、信者たちは記憶操作でそれを信じさせられている。そして、ここに居る獣人達がそれを邪魔する人々だと、教えられていたら」

「…………」


 翔は何も考えられなかった。自分の手で守ると決めた農園を、守りきれないという考えが頭の中を支配してしまっていた。

 もう一度、人間が滅んだときのように獣人がこの世界から滅んでしまう可能性すら、あるのではないだろうか。

 そしてその中には、アーミアも含まれている。翔はその事実に、ゆっくりと気がついていった。


・・・


「うーん、師匠もそろそろ、気がついた頃だよね」


 クォーツは白く質素な壁に囲まれた部屋で佇んでいた。真っ白のローブの中からは、その部屋で唯一黒い毛並みが揺れている。


「でも、ちょっと遅いんじゃないかなぁ」


 部屋の扉がゆっくりと開く。その向こうでは、真っ白な服をきた男性が座っていた。

 扉が開いた瞬間に、クォーツはその姿を切り替える。それは大津の姿ではなく、白髪の青年の姿だ。


「エイセキ様」

「やぁ、安彦。どうしたのかな」

「エイセキ様が示したお導きに沿って信者が調査を行った所、示された家の住民はここ数日、家から出てきていないようです」

「ははは、やはりそうだろうね」

「ですが、警察が少し動いているようです」

「ふーん、それはめんどくさいな」

「ですが、お話の機会は得られました」


 エイセキは口角をゆっくりと上げる。


「あぁ、じゃあやろうか。そのオハナシを」


 クォーツが自らの居た世界に戻るまで、あと数日。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る