78 急患

 最初に翔が図書館に訪れた時以上に静かとは到底思えないのは、職員がいまだにドタバタと走り回っているからだった。

 ここ一日であけてしまった作業を埋め戻すように、せわしなく彼ら彼女らはエプロンをたなびかせながら動き回っているからだ。

 そんな中を呼び止めることもせず、翔はおいてある席に座った。


「本棚を適当に見て回る……ってのも割と図書館の楽しみだとは思うんだけど、そこまで加味して選んでくれるもんなのかねぇ」


 独り言が漏れるが、翔の欲しい本が誰にもわからないことが職員全員に周知されているのかどの職員もほかの利用者相手のように翔の元によって来ることはなかった。

 ふと、翔の目に入ったのは、壁際に並べられた本棚だった。横には裏に出るであろう扉が設置されており、時折職員や利用客がそこを通って中に入っていく。

 空を飛んでいない、普通の本棚だ。だが、人々はそこへは近寄らない。


「なんだ、アレ」


 翔はゆっくりと立ち上がると、机の間を抜けてその本棚に近寄った。背表紙の色がすべて黒く揃い、形も大きさも全く同じ本がそこには百冊、あるいはそれ以上詰め込まれていた。

 一冊手に取り、翔はそれをめくってみた。


「……名前しか書かれてないな」


 白紙のページに、一つ一つ丁寧に名前が記されている。先刻、翔はムトに渡された眼鏡をかけていた。統一されていない異世界の言語をも読めるようになるらしい。そんな物を即席で作っても良いのかと思ったが、多少値は張るだけでこの世界でも流通しているもののようだった。

 さっき見た魔導書は活版印刷か、あるいはそれに近い技術でつくられていたが、これは明らかにすべてが手書きで、ところどころに抜けもあるものだった。


「おや、気になりますか?」


 翔に声をかけてきたのは、他の職員たちとはまた違った色の制服を纏ったオコジョのような見た目の獣人の女性だった。


「ああ、すみません。読んじゃだめでしたかね?」

「いえいえ! 読んじゃだめな本は奥にしまってあるんで、ここにでてる本は読んでしまって構わないです。あ、読んじゃだめな本を探してる感じですかね……? それなら今日はちょっと難しいんですけど……」

「なら、これは何の本なんですか? 人の名前しか書かれてないんですけど」


 翔は職員に手に持っていた本を見せる。


「あ、ここの人じゃないのか。気になります?」

「まあ、そうですね。本棚は全部上にあるのに、ここにあるってのが不思議で」


 職員は本を一冊手に取ると、軽くめくってページを開いた。


「まず、私の名前はワンド。ワンド・アベニューです」

「あ、ども。カケルです」


 ワンドの突然の自己紹介に、翔も返す。


「で、これを見てください」


 ワンドは自分の持っている本を翔に見せ、ページの一つを指さした。

 そこには、ノース・アベニューと記されている。


「これは……」

「うちの曾祖母です。その本って、この国でもう亡くなってしまった人の名前を全部書き記しているんですよ」

「あ、そういう」


 翔は改めて本をぱらぱらとめくった。その事実を知った上で眺めると、その本は卒塔婆のようだった。


「これって結構最近に出来た風習なんですか?」

「いえ、もうずっとこうって聞いてますけれど……どうしてそんなことを?」

「いや、国単位で亡くなった人の名前を記すにしては、冊数が少ないなと思って」


 概算で見積もっても、この本棚には千冊もなかった。


「上の本棚……に保管されてるんですか?」

「いえいえ! 大体地下の書架か、著名な方の名前を記したものはさっき言ったように許可がないと入れない書架に保管してありますよ。地下の方であれば案内できると思いますが……」

「あ、いえいえ。特に気になってるものがあるわけじゃないんで、気にしないでください」


 翔が手を振ると、ワンドも理解したのか一礼して業務に戻って……いくことはなかった。


「急患だ! ワンド! 手伝え!」


 それは、突然大きく開かれた扉の向こうから聞こえてきた声に、ワンドが「はい!」と大声で返したからだった。

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