27 実り倒れぬ麦の穂よ〜しばらくの平和な日々〜

「知らない天井だ……」


 言いたかっただけのセリフを呟きながら、翔は木製の天井を見上げていた。普段眠っているベッドと比べると硬く、しかし眠りやすさは変わらない不思議な寝心地のベッドの上で、目をこすりながらスマホをつける。時刻は朝の七時だ。

 外ではアーミアがもう動き出している気配がしていた。


「ふわぁ……。とりあえず起きるか」


 Tシャツと短パンを脱ぎ、作業着に着替えた翔は、固形の簡易的な栄養食を開いて口に放り込む。ムトの事務所にある異世界の扉を閉じるにあたって、彼女がいくつか持って行けと渡してくれたものだ。口の中が乾くがそれも気にせず全て飲み込むと、翔は家の外に出た。

 瞬間、マルハスが走って翔の胸に飛びかかってきた。


「おおおお、はしゃぐなはしゃぐな。お前ら、軽くとはいえ怪我してたんだぞ? あんまり暴れんなって」

「その子はもう大丈夫な子ですし、気にしなくても良いですよ」


 マルハスを抱き上げる翔の後ろから、アーミアが声をかけてきた。


「ん、そっか。なら良かった」

「それと、できればもうちょっと早く起きてほしいかもですね〜」

「はは、善処するよ」


 マルハス達は今構ってもらえる状況ではないと判断したからか、飛ぶようにどこかに走り去っていった。


「平和ですねぇ。本当に、ここが狙われてるかもしれないとは思えないくらいですよね」

「まさしくね。で、アーミア、俺ここからあんまりあっちに戻れないわけだしさ、せっかくならここでもうちょっと手伝いとかしておいた方が良いかなって思ったんだけど……」

「良いですね! じゃあ、まずは……うーん、お野菜は昨日の時点であらかた収穫し終えてるし、ミルクボア達のお世話もおわっちゃったしなぁ……あ、じゃあ明日しようと考えてたんですけどせっかくですし麦畑の方からいきましょうか」


 アーミアは何かを思いついたように歩き出す。翔はそれについていった。

 少し歩くと、そこは麦畑だった。翔よりも背丈の高い麦が、朝の風に流されてザァザァと横に靡いている。

 翔の知っているものと比べると段違いに小さな畑だ。供給のために作物を育てるにしては、家庭菜園の少し大きいものと言っても良いくらいのサイズでしかない。

 ただし、それらは一つ一つに穂先から地上三十センチほどの高さまで全てに実をつけており、しかし茎が丈夫なのかもったりとした形でしか首をもたげていなかった。その大きさがゆえに、小さな畑の中にぎっしりと生えている麦たちに翔は圧倒されてしまった。


「これを手作業で刈り取る、と」

「いや、そんなめんどくさいことはしませんよ。私は……ここの魔石を使って収穫してます」


 アーミアとはぐれないように急いで翔はついていく。アーミアが案内した先にあったのは、畑にはそぐわない細い石柱と、その先端に取り付けられた緑色の宝石だ。そしてその上を通るように、木の通路が敷かれている。両脇を少し高くしてあるそれは、まるで水路のようだ。

 アーミアが宝石に手をかざすと、一段と強い風が吹いた。


「これも魔石ってやつの力?」

「そうですよ。ただ、カケルさんの世界では魔法が常識じゃなかったってことなんで、もうちょっと違うやり方にしようかなって思ってます」


 そう言うと、アーミアは麦畑の外に出て手を二回叩いた。湿潤な空気の中、クラップ音が青空に響いていく。それは遠くまでこだまするように飛んでいき、とある生物を呼び寄せた。

 それらはイタチのような見た目で、しかし大きさは少し小さめの抱き枕サイズであった。そして何よりも、尾に鎌のような刃がついていることが特徴だった。

 そんな生物が、三匹ほど翔の前に現れる。


「アーミア、どしたの?」

「アーミア、僕たち、出番?」

「アーミア、遊んでくれるの?」


 三匹は順番に、全く同じ声でアーミアに話しかける。その目は純朴で、今から遊んでくれることしか考えていないようだ。


「ごめんね。今日はお仕事で呼んだんだ。あ、翔さん。この子達はカートラって名前の子たちで、うちの農園の子ではないんですけど、時々手伝ってもらってるんです」

「初めまして! おいらがカーイ」

「初めまして! おいらがカーン」

「初めまして! おいらがカーラだよ」

「全くどれがどれかわかんねぇ……」

「あはは、私もまだ分かってません」

「えー、そうなの?」

「えー、絶対嘘だ」

「えー、だってこの前おいら撫でてくれたよ?」

「それはおいらのことだよ!」

「おいらだよ!」


 三匹の細長い生物たちは、尾の刃を相手に当てないように器用に動き回りながら絡まっていく。それは喧嘩のような、じゃれあいのような、そんな光景だ。


「はいはい! 君たち! 話を戻すよ!」


 アーミアが痺れを切らしたようにそう叫ぶと、三匹の動きが止まってするすると解けていった。


「知恵の輪みたいだな……」

「で、おいら達は何をすればいいの?」

「で、お仕事したら何がもらえるの?」

「で、おいら達にどんなメリットがあるの?」

「まず、お仕事はここの麦を刈ってもらいたいの」


 三匹はその言葉にやいのやいのと文句をつけ始める。自分たちに支払われる報酬が何かもわかっていない状態で仕事内容だけ伝えられているのだから当然だ。


「よし! じゃあカーン、ちょっとこっちに来て」

「お仕事……?」

「違うよ。だからこっちにおいで」


 文句を垂れながら横一列に並んでいた三匹のうち、真ん中にいたカートラがゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。


(近くで見るとだいぶデカいなこいつ……)

「翔さん、これ、あげてください」


 カートラの大きさに慄いている翔の手に、アーミアが木の実を手渡してくる。それは真っ赤で柔らかく、まるで木苺のようだ。


「あ! それおいら好き!」

「あ! カーンずるい! おいらも好き!」

「あ! おいらも!」

「うわっ! お前ら全員分あるからゆっくりしろって」


 カーンが翔から受け取った木の実を美味しそうに頬張っていると、他二匹も飛び掛かるようにして寄ってきた。翔は二匹にも同じように木の実をあげ、そしてそれぞれを同じように丁寧に撫でていた。


「お兄さん撫でるの上手いね」

「お兄さん結構おいら好きかも」

「お兄さんのことおいらも好き〜! せっかくだからお仕事手伝ってあげるね」


 三匹はそう言うと、颯爽と麦畑に突撃していく。背の高い麦畑の中に入っていった三匹達はすぐに見えなくなったが、少しすると遠くから麦の穂がドミノのようにどんどんと倒れていく様子が翔の目からでも見てとれた。


「カーイが麦をまとめて、カーンがそれを刈り取って、カーラが土壌を回復させるんですよ」

「……なんか聞いたことある感じのやつだな。にしても、俺たちは手伝わなくてもいいのか? 三匹ではだいぶ時間かかりそうだけども」

「カートラたちの収穫作業はむしろ巻き込まれないために少し遠くにいたほうがいいんですよ。ほら」


 アーミアが指差した先で、旋風が舞っていた。その下では、麦の穂が今まさに倒れようとしているところだった。


「あんな感じで強い突風が巻き起こっちゃうのと、あの尻尾に切られちゃったりもするんで。魔石を導入してからは彼らにお仕事を振ることはなかったんですけど、やっぱりちょっと退屈してたのかな。私の知ってる中で最高の大きさですよ。アレ」

「そんなになのか」


 翔がしばらく眺めている間に、カートラ達は麦の全てを収穫し切ってしまった。


「終わったよ! 遊んできていい?」

「終わったよ! 今日のお仕事終わり?」

「終わったよ! 翔撫でて撫でて!」

「三匹とも、まだ翔さんはお仕事が残ってるから、迷惑をかけないように」


 アーミアの言葉に三匹は「はーい」と答えると、その短い腕を引きちぎれんばかりに振って去っていった。


「じゃあ、あとは集めましょうか。キーウィさんがお昼頃に来られるらしいんで、それまでに終わらせましょう」

「了解」


 翔は腕まくりをすると、落ちた麦の束を拾い集めていった。

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