17 知られることの恐怖
「わかったわかった。ごめんって。で、話の続きとしては?」
「ふん、納得はいかんがまあいい」
怒りをおさめたムトは、地団駄をやめてまた元の位置に座り直した。
「どこまで話したかな。まあ簡単に言えば、もうここの従業員は帰ってこない。全員死んだ。これは確定事項だ。私が直々に調べに行ったからな。間違いない」
「そこまでは聞いた。一年半経過してるんだっけか」
「そうだ。ところでお前は動物に関しては詳しいか?」
「ん、まぁまぁ、多少の一般常識程度には、だけど」
「そうか。じゃあそうだな。まず置いて行かれた猫は、一年半経過すれば何歳になると思う?」
不思議な質問だ、と翔は思った。
「そりゃあ、生まれたばっかりだって言ってたから大体一歳半くらいなんじゃないか?」
「そうだ。それくらいはわかるな。なら、人間に換算すると何歳程度になるか知っているか? お前の世界の猫の換算の話だ」
「ん、確か……二十歳くらい……いや、でもそんなことが……」
翔は何かの真実に辿り着いたように考え込むが、そんなことがあり得るはずがない。
アーミアが実はその猫だったなんて、あり得る話ではない。
「そうだな。お前の世界にはそんなモノ存在しないはずだ。だが、あくまでもそれはお前の世界の常識。言っただろう? あくまでも仮の名称として猫と名付けただけ。アーミアはこっちの世界の生物だ。だからこそ、魔法を覚えることができた。……とはいえ、才能のない者に変化の魔法を教えるのに苦労したが」
ムトが大変だったとばかりにため息を吐いて呟いた。
「でも、アーミア本人がそんなことを一度も」
「言うわけがないだろう? 言ってなんになる。お前がそれで逃げてしまったらアイツはまた一人で帰ってこない奴らをここで待ち続けることになるんだぞ」
手伝ってください。アーミアの言葉が翔の頭の中をぐるぐると回っていく。翔は口をパクパクと動かしながら、しかし声は出ないままその場に立ち上がった。
「まあ、こうやって話してしまった以上、アイツはどう思うか知らないがな。見てるんだろう?」
ムトが言う。それは目の前にいる翔に向かってではない。どちらかといえば背後の、家の影に向かって言っているような様子だった。
翔がその方向に注目すると、ゆっくりとアーミアが影の中から現れる。先ほどと変わらない様相だったが、ただ少しだけ違う部分があった。アーミアの頭の上には猫耳が生えており、背中側の腰の下からヒョロリと長いカギしっぽがのぞいている。
それらは真っ白で、月の光に照らされてキラキラと輝いていた。
「知ってしまったんですね……」
翔はそれに答えることができなかった。何を言ってもアーミアが泣き出しそうだったからだ。
「ん、いや、わかってたんです。いつかバレることでしたし、その時期が遠ければ遠いほど、私のエゴでカケルさんを騙してしまうことになっちゃうことも、だからと言って私からそれを言うことでカケルさんがどこかに行ってしまうかもしれないってことも」
ムトは何も言わない。それは翔と同じような気まずさからくるものではなく、ただ自分は何もいうべきではないという配慮だ。
「あ、あのさ」
「待って! ちょっと、もうちょっとだけ、待ってください」
アーミアの目尻からも小粒の月がこぼれ落ちる。それは頬を伝って地面に落ち切るまで、キラキラと反射し続けていた。
しばらくの沈黙。しかし翔は黙ったまま座っている訳ではなかった。
立ち上がり、ゆっくりとアーミアに近づいていく。
そして、アーミアをゆっくりと抱きしめ、その頭を撫でた。驚きでアーミアは固まっているが、翔から見える耳だけが定期的にぴく、ぴく、と動いている。
それを翔はゆっくりと撫でた。
「俺はさ、別にどこに行きたいわけでもないしさ、何がしたいかももうわからなくなってたんだよ」
ブラック企業で血を吐きながら働く日々は、翔にとって地獄そのものだった。そこを辞められたことはある意味で奇跡で、ただだからと言ってそれからの何かを翔は考えていたわけでもない。
「そんな時にさ、ここにつながる異世界への扉が俺の部屋に開いてさ、こうやって仕事として農園のことを手伝ってさ、それだけで楽しいのに、アーミアも可愛いし、マルハスたちもガベル達も、ミルクボアだっけ? あのでっかい牛も、時々飛んでくる名前もわからない小鳥たちも、なんか足の長いたぬきみたいなやつも、ムトも、みんな居て楽しいんだよ」
翔は諭すようにアーミアに呟いていく。
「それはさ、別に過去がどうとか、未来がどうとかじゃないんだよね。だからさ、今こんなことになっちゃったのも、過去に何があったかも別として、俺はずっとここに居たいって思ってるよ」
翔の着ているシャツがじんわりと湿っていく。それを感じながら、翔はゆっくりと月を見上げていた。
「明日からまた頑張って行こう」
「はい」
二人では大変かもしれない。ただそれでも、一人よりは楽になる。その安心感が、アーミアの心をゆっくりと満たしていった。
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