53 息芽吹く谷

 ガラガラと馬車は街道を進んでいく。もうすでに農園は地平の下に隠れ、見えなくなっていた。

 翔は荷車の中で荷物がずれないように確認し、時折押さえておく仕事を承っていた。


「にしても、良い景色だ。カメラ忘れたのが悔やまれるなこれ」

「そんなにええ景色かいな? 自分はしょっちゅう行き来してるからわからんもんやわ。それよりもそっちの世界の方がよっぽど便利でええやろうに」


 御者もこなすキーウィが手綱を握りながらぼやいた。


「そんなこともないさ。一長一短ってね。……それにしても、見たことない動物だな」


 馬車、とわかりやすく表現はしたものの、この世界が翔の世界ではない。つまり、馬車を引いている動物もまた、厳密には馬ではない。

 限りなく馬に近い顔立ちはしているが、耳の後ろから生えている羽のような突起は気分によってパタパタと動きを変えている。馬脚は道産子のように太いが、その長さは一般的な馬のそれに近い。

 何よりも、後ろ足二本とその付け根にかけて、黒く鋼のような光沢を帯びた鱗で覆われていることがあまりにも非現実的だった。

 逆に、おしゃれな羽根や飾りをつけつつ編み込まれたタテガミは、遊牧民のそれを思い出させるようで現実味のある装飾になっている。


「バロップって言いますねや。右のがバロンで左のがラップル、つがいのバロップで、自分の大切な相棒ですわ。……っと、撫でんでくださいよ? こいつら一回リラックスしたらテコでも動かんようになるんで」

「ははは、わかったよ」


 心の中を読んだように忠告をするキーウィに対して、翔は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 次第に馬車は街道から外れていき、草原の中を走っていく。舗装された道と違い、凹凸のあるそれらの道を通る馬車の中は街道を進んでいた時よりもはるかに強い揺れが起こっていた。

 バロップ、という動物について翔は詳しく聞いてみたかったのだが、それよりも強い揺れに対して荷物が暴れ出さないように固定することで精一杯だった。


「キーウィ……これ、どれくらいかかっ、るんだ?」

「んー、もうすぐでっ……せっと! あぶな。誰やあんなとこに石置いた奴は」


 バロップたちが草原を駆けていく。馬車の中にも気持ちの良い風が舞い込んでくるためか、極度に揺れているにもかかわらず翔はあまり酔うこともなかった。


「とま……った?」

「ここが目的地や。お疲れさん」


 手綱を手放して荷車の方にキーウィが降りてくる。バロップたちはハーネスを外され、ゆうゆうと各々がしたいように動き始めている。が、遠くに行ったりはしない。それはまさしくキーウィとの絆の距離といった様子だった。

 翔はキーウィと共に荷物の点検にかかる。割れるものが多く入っているとは聞いていたが、その中身を知らされていないままの翔の前で、キーウィは荷物の箱を一つ開いた。


「たまごか、これ」


 中に入っていたのは、ダチョウの卵を一回り大きくしたようなサイズのたまごだった。白地に緑の斑点があるそれの表面を、キーウィがゆっくりと撫でる。


「せやね。自分らが預かってた、貴重な預かりもんや。全部ダメになってなかったら割れててもええって話なんやけど……アンタえろうすごいやっちゃなぁ。全部欠け一つもないわ。自分の仕事の中でも最高の出来やわ。やっぱり一人で運ぶのとはえらい違いや。と、自分はしばらくこれら荷物を確認してるから、そっちは休憩しといてもろてええよ」

「良いのか? 手伝わなくて」

「荷車でずっと支えとってもろた人にこれ以上仕事を手伝わせても疲れで失敗するだけやからね。それよりも外の空気吸って、景色でも見てきた方がええよ。綺麗やからなぁ、このあたり。初めてみたら腰抜かすで」


 他の荷物を点検を行い始めるキーウィを置いて、翔はゆっくりと荷車の幌を上げた。馬車が走っている間、少しの隙間から草原は見えていた。それでいて、風も、空気も、感じていた。

 だからこそ、翔はそこまで期待をしていなかった。テレビ番組を作っていた時も、ロケでそのような景色を何度となくみた覚えがあり、疲労困憊状態であった社畜時代であってなお心が洗われてリラックスしてしまうような光景も何度も見た覚えがあったからだ。

 だが、幌を上げた先に見えた景色はそれらを凌駕していた。


「うわぁ……」


 翔はそこで初めて、カメラを持ってきていないことを幸せだと感じていた。この光景をカメラに収めようとして、その素晴らしさの全てを享受することができないことを、必ず後悔してしまうと悟ったからだ。


「ええ景色やろ。息芽吹く谷ライブ・フォールって言うんや」


 後ろで点検をしながらキーウィが言う。翔はそれに押し出されるようにして、草原に一歩足を踏み出した。

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