68 人間か、獣人か

「そろそろ着くさかい、準備しといてな」


 旅路の光景を撮り切り、外にカメラを向けて固定していたまま眠っていた翔は、その言葉に起こされた。

 乾いた目をこすりながら馬車の外を眺めると、いつの間にか農園の周囲とは比べ物にならないほどに舗装された横幅のある石だたみの街道が遠くまで続いている光景に変わっている。


「ん、ふわ……寝ちゃってました」


 アーミアも同じように目をこすりながら伸びをする。まさに猫、と言わんばかりに伸びたその背から、こき、とかわいい小さな音がした。


「そろそろってことは、お前の準備が最優先なんじゃねぇの?」


 ラプタが翔にかけた言葉で、翔は今何をしなければならないかを思いだす。そして、ムトの方に振り返った。


「ああ、お楽しみの時間だ」


 ムトはニヤリと笑いながら、キーウィに言って馬車を停めさせた。街道には他の荷馬車や旅人が往来しているためか、馬車は少し街道から逸れた位置で止まった。

 ムトは馬車が止まったことを確認すると、翔を馬車の中央に立たせる。シャツとズボンの簡素な見た目の太った男が見せ物になっている、といった不可思議な状況に、翔は少しだけ恥ずかしさを感じていた。


「じゃあそうだな……アーミア、やってみるか?」

「「えっ!?」」


 翔とアーミアはムトが突然言い出したことに驚いて同時に声を上げる。


「わ、私はまだそんな魔法なんて覚えてないですし、翔さんに何かあったらどうすれば良いかもわからないですし……」

「お前、そうやって人間化の魔法と魔石の活性化以外覚えてこなかっただろう? せっかくだ。獣人化の練習もしておけ」


 アーミアに対してぶっきらぼうにムトは言う。


「でも、獣人化の魔法をアーミアが覚えたところで意味がないんじゃ……」


 翔が不安そうに言うのは、アーミアの熟練度が足りていないからこそでありつつ、しかし根本的な疑問でもあった。

 だが、ムトは飄々とした顔で腰に手を当てると、呆れたようにアーミアの肩を叩く。


「前、人間化の魔法はその魂の本質を人間に切り替える魔法だって教えたよな? それはつまり、獣人から人間へ、の変化の理解になるわけだ。ただし、これは獣人が自らに獣人化の魔法をかけても同じことが言える。ただし、本質が同じであるがゆえに、少し高度な魔法だ」


 ムトはゆっくりとアーミアの頭を撫でた。


「だからこそ、翔、お前のように人間から獣人に変化させる練習を最初に行なって、その後に獣人の体である自らを変容させる練習ができる。まあ、役に立つか立たないかは別だが、人間化の魔法以外にも覚えておいて損はないからな。良い機会だ」

「その練習台になれってことですかい……まあ、良いけど」


 不安そうなアーミアの顔を見て、翔は逆に後頭部を掻きながらそれを了承した。それは自らをアーミアによく見せたいという心の現れであり、そして何よりも不安そうなアーミアの隣で自分も不安になってはいけないという確信でもあった。

 ただ、翔がここまで決断を行えた理由のほとんどの割合を占めていたのは「横にムトが居るから」であった。


「お、良い心がけだ。ほら、アーミア、翔もこう言ってる事だから、お前も覚悟を決めるんだよ」


 敢えてムトはアーミアの背を強く叩くと、アーミアはつんのめるように翔の胸元に飛び込んでいく。


「なんでもいいが、早くしてくれねぇかな。図書館が閉まっちまうぜ」

「それにアーミア、あんたがやらないと翔は王国の中に入れないんだからね」


 ラプタはそんなことを言いながらも、顔は笑っている。それに合わせるように、ムトもアーミアをせっついた。


「わ、わかりました……! やってみます」


 アーミアも覚悟を決め、翔の胸元から数歩下がると指先に力を込め始める。ゆっくりと淡く光り始めるその指を翔に近づけると、やがて翔の中で何かが変質していく感覚が芽生えてきた。

 それはムクムクと膨れ上がると、翔の姿をゆっくりと変化させていく。


「お、おお! なんだこれ!」


 痛みを伴わないまま変化していく肉体をまるで俯瞰するように眺めていた翔だが、その変化が少しおかしいことに気がつき始めていた。


「なんか……獣人っぽくなくない?」


 馬車のガラスを見ると、翔の姿は人間のまま、ただし、その見た目は明らかに翔のものではない別人の姿だった。元の姿とは似ても似つかない若い男。短髪で肌は浅黒く、首から下に丁寧についた筋肉と端正に整った顔立ちは大学時代に映像研究会に入っていた翔とは大違いなアクティブな人間に見えた。


「え、な、なんで……?」


 声色は変わらずとも、ガラスの向こうに映る姿は明らかに獣人ではない。

 その様子を見てアーミアは戸惑い、ムトはため息をつき、ラプタは大笑いしていた。

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