69 ケモナーの憧れ

「え、だ……誰こいつ……」


 頬を撫でながら映る自分の姿を確認する翔の後ろで、アーミアが何度も何度も頭を下げていた。


「ごめんなさい! ごめんなさい!」

「はぁ……確かに感覚は似ているが、間違えるとは思ってなかったな」


 そんな横で頭を抱えながらムトが呟くと、翔の額をトンと突いた。それと同時に翔の体表からスライムのような粘液が流れ落ち、足元に溜まることなく蒸発していく。それが完全に消えた頃には、翔の姿は元のそれに戻っていた。


「人間化の魔法と獣人化の魔法を取り違えるのは、まだまだ確認不足な証拠だな。アーミア、宿題に私が出していた練習はちゃんとやってたのか?」

「あ、あはは……えーと……」

「はぁ、その様子だとやっていなかったみたいだな」


 全く何が起こっているのかわからない状況の翔を無視して、二人は会話を続けている。


「あの、な、何が起こったのかの説明を……」

「ん、ああ。ただアーミアが獣人化と人間化の魔法を間違えただけだから気にするな」

「いや、人間化の魔法に間違えたからって俺の姿が変わることはなくないか……?」

「根本的にはそうだが、獣人化の魔法と同じように、人間化もまた同じことができると言うわけだ」


 アーミアは慣れているが故に失敗し、しかし慣れているが故に人間に人間化の魔法を施したという高度なことをやってのけた、ということを暗にムトは語った。


「なんでもいいが、早くしねぇと御者さんも困っちまうんじゃねぇか」


 体を折ってまで笑っていたラプタが目をこすりながら言うと、ムトが思い出したように翔の額を指で弾く。


「今回は私がやっておくから、お前は見ておくように。帰ったら練習だぞ」

「はーい」


 そんな会話の裏で、翔はまた体が変質していく感覚を味わっていた。しかし、今度は体表からしっかりと毛が生えてくるむず痒い感覚も現れてきており、別の人間に変質するという感覚とはまた別の、自らの形態が変化するのではなく存在が変化する感覚に襲われていく。

 ゾワゾワとした感触と共に自らの口元も何もかもが変わっていく感覚が、ずるずると出続ける鼻水のようで不快感と爽快感のないまぜのようだった。

 しばらく翔はその感覚にうめき続け、やっとなくなった頃、顔を上げると三人とも驚いた顔をしていた。


「ほう、面白い顔してるじゃねぇか」

「す、素敵ですよ!」


 フォローするような形で二人が言葉を紡ぐ様子に不気味な感情を抱いた翔は、またゆっくりと馬車の窓に反射する自分の姿を確認する。そこにいたのは、丸い顔をし、その威厳も強靭さも牙も、全て引っこ抜かれたような熊の姿だった。

 熊といえば力の強い、出会った時に対処を間違えれば死そのものを観劇することになるような動物だ。だが、翔の変化したその姿はまるで茶色く染まったパンダ。

 だが、現実の熊と違う部分は、その毛並みの良さだ。硬い毛質ではなく、猫のような柔らかい触り心地は、逆にいえば自らの身を守れるような堅牢さを捨て去ったようなものだった。


「面白くもなんともないな」

「ひっで!!!」


 歯に絹着せぬ物言いでムトが言う。それはただただ事実であり、誰しもが思っていたことだった。


「ま、あまり目立たない方が助かるんじゃねぇの?」

「それもそうだな。おいキーウィ、馬車を出してくれ」

「ん、もうええんですか? ほな動きますさかい、全員座っといてくださいね」


 翔たちが席に座り、ガタ……と馬車が揺れると、逸れていた街道に戻り、王国へと続く道を進み始めた。

 段々と王国から道を逸れる馬車も少なくなり始め、街道を通る馬車や旅人たち、見慣れない動物たちに乗る獣人が増えていく。翔はそれをカメラに納めながら、馬車はゆっくりと王国に入って行った。

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