92 救世主たり得るとは、何か
「落ち着かれましたか」
家に戻った翔に、墨田は問いかける。
「あの、さっきはすみませんでした」
「いや、良いんですよ。誰もあんな物を信じられるとは思えません。私も平河も最初はそうでした」
翔はゆっくりと、また墨田の前に座り直す。アーミアがその前にホットミルクを差し出した。
胃液で喉がやられていた翔はそれをすする。
「アンタが吐いてる間にアタシらも事情は聞いたよ。一番驚いたのは、ワークスの話だね」
カルラが手に持ったグラスの中に入った液体を一気に口の中に流し込む。
「私とチッチョの魔法の師だ。つい数年前まで文も交わしていたが……いつの間にか返ってこなくなっていた。まさかそんなことになっていたとはな」
カルラが遠くを見やる中、チッチョも口を開く。
「雑魚お兄ちゃんよりも、もっとデキる人で、魔法をいっぱい教えてくれたんだよ」
「チッチョがこんなに感情を出すようになったのも、ワークスのおかげさ。ラプタ、アンタはむしろ知らなかったのかい?」
「あ、ああ……名前は聞いたことがあったような気はしてたんだけどな。知り合いが多いもんで」
「そうかい。じゃあアンタは知らないのか。私達があの国を脱出できたのは、ワークスの力添えがあったからだよ」
カルラがグラスをテーブルの上において立ち上がった。
「すまないね。少しだけ会話に混ざれそうにない」
「あの、何の話をしてるんですかね……」
「ああ、えっと……」
平河が翔に、今何のはなしをしているのかと問いかけると、翔は簡潔に三人の出自について説明した。
「なるほど。じゃあ……」
「ああ、まあ三人にとっては恨む相手でしかないって感じですね」
翔の言葉に平河はふうと息をついて座り直した。背後まで迫ってきているかも知れない標的が、悪だとやっと認識できた安堵感から出るため息だった。
「それで、私ら二人はこんな世界になってしまった理由が水無月さん、あなたにあると思いましてね。まあクォーツとかいう輩があなたのことを探しているのですから当然と言えば当然ですが、警察の力をもってご住所を調べさせていただきました」
そんな空気を切り裂いたのは、墨田の一言だった。
「あ、もちろん翔さんの住所はデータベースから削除済みです。って言っても、それが時間稼ぎになるかどうかはわかりませんが」
「ウチの署にも何人か洗脳を免れているヤツが居ましてね。ソイツらにも手伝ってもらって、一応厳戒態勢を敷いております。表向きにはあなたの住所を特定したという名目で、ですが」
さすがは警察だ、と翔は感激した。制作会社に勤めていた時代は、警察をばかにするような番組も作ったことがある。その事実が申し訳なくなるほどに、翔の目の前に座っている二人は誠実そのものだった。
「それにしても、なんでお二方はその……洗脳されてないんでしょうか」
記憶の改変、なんて言っても二人には伝わらない。そう判断した翔は二人の表現する”洗脳”という言葉に合わせた。
「さあ、わかりません。ウチの署でも、おかしくなった奴とそうでない奴がほぼ半数ってほどでして。それ以外にも何人か居るようですが、今のところは水無月さんの職場の方くらいでしょうか」
「ふん、なるほどな」
その墨田の言葉に、ムトは鼻を鳴らした。
「何か、ご存知なんですか? えーと……」
「ムトだ。お前らの世界では六戸と名乗っている。……と言ってもこの姿ではわからんか」
ムトはフクロウの姿から、人間の姿に切り替わった。
「あらら、話しやすい姿に変わってもらってありがとうございます」
「気にするな。聞くだけならまだしも、私も人間相手になにか話すならこっちの方が楽なもんでな」
「で、何かお気づきになられたことが?」
墨田の言葉に、ムトは頷いた。そして、その前に情報共有として、簡潔に翔たちが知っている情報を説明する。
「以上がクォーツについてだ」
「はー、魔法って何でもありなんですね。異世界って見たことなかったんですけど、そりゃ規制も必要になるわ」
「こら、すみません若いもんで」
平河が呟くと、墨田はそれをたしなめながら謝る。
ムトはその様子を見ながらも、なにも答えることはなかった。翔も、ムトにしては珍しいものだとそれを眺めていた。
「で、記憶の書き換えですか。それは厄介ですね。そんな物を全世界に使われたとなれば、私達もお手上げで……」
「いや、そんなものを地球丸ごとでなんて到底無理だ。魔法自体を行使することが仮に出来たとしても、この世界の魔力を全て使い込んでなお不可能だと言っても構わないだろうね」
「じゃ、じゃあ……このクォーツはどういう魔法を使ったと……?」
墨田は懐から手帳を取り出すと、それにムトの言うことをメモしようとし始めた。しかし、それをムトは制する。
「すまないけれど、魔法に関しては記憶の中にとどめておいてもらえないか? あまり口外するものでもない。そのうえで、であれば語らせてもらう」
「これは、失礼いたしました」
墨田が胸ポケットに手帳をしまうと、ムトはゆっくりと口を開いた。
「まず、さっきも言った通り記憶の改変はほぼ不可能だ。映像を見た限り、アレは映像を介して魔法を唱えている。その点でも、簡単な魔法しか使うことはできないはずだろうな」
翔はつい先程みた映像を思い出していた。
クォーツが元首になることを宣言し始めてから、確かに人々はおかしくなりはじめていた。
「そして、お前らがその洗脳を免れた点。それも説明がつく。そのためには一つ質問があるんだが、いいか?」
「え、ええ……」
墨田の前に、ムトがスマホを差し出す。
そこには大津の顔写真がうつっていた。
「この男を知ってるか?」
「ええ、そうですね。守秘義務に関わることですので詳しくはお話できませんが、ある事件の重要参考人かも知れないということでお話を聞かせていただきました」
「結局はなんの害もない人だったんですけどね」
「その根拠は?」
平河の言葉に刺すように、ムトが食い気味に問いかける。
「え、あー、えーと……なんでしたっけ墨田さん」
「ん、確か……いや、なぜだ。証拠はなかったが、明らかにあの男はクロだった。なのに、なんで俺はあの時、いや、違う、さっきまで、なんで気が付かなかった」
墨田は顎に手を当て、自問自答を繰り返す。
「少しわかったようだな。頭の良い警察も居ることが知れて嬉しいよ」
ムトはその手を見せていたスマホの上にかぶせ、自らの手元に引き寄せた。
「そう、クォーツが行ったのは、記憶の反転。無関心を関心に、嫌いを好きに、そして、記憶操作を無かったことに」
ムトはスマホを裏返す。真っ赤なカバーが表に現れる。
「あんたら二人と、カケルの家を守ってくれているであろう警察官たちは、おおかたクォーツの魔法にやられてしまっていたんだろうね。だから、反転に寄って正気を失うこともなく、改変された記憶の方に作用した」
「でも、そんなことって可能なのか?」
翔の問いかけにムトは肩を竦める。
「私の魔法じゃないからね。詳しくはわからないさ。でも、アレが考える魔法が完璧だとも思えない。それくらいの誤差があってもおかしくはないね」
墨田と平河はまだ己の記憶が混乱していることを受け入れられていないようで、何かをつぶやきながら天井や床に視線を流している。
「じゃあ、魔力はどう説明付けるのさ。日本には魔力はないって言ってただろ?」
「そこも知らん。が、おおかた異世界への扉をいくつか使って、そこから漏れ出る魔力をためたんだろうさ。それくらいはどこの魔法使いでもできることだからね」
結界のようなものだ、と言いながらムトは手のひらの上で小さなドームを作り上げる。
「さて、カケル、一つ聞きたいんだけれど、いいか?」
「何?」
「今、私は異世界への扉を閉じる魔法を唱えることができる。ここでそれを唱えれば、お前は私の魔法がなければ二度と日本には帰れなくなるだろうね」
ムトの指が一本たった。
「だけれど、クォーツの魔の手からは逃げ出せる。お前が何らかの被害を被ることはここから一生ない。幸せに農園で暮らせるだろうさ」
ムトの指がもう一本、立った。
「さて、どうする?」
「どうったって……」
「墨田さんは、やっぱり救えるなら世界を救いたいんだろう?」
「もちろんだ」
ムトの問いかけに、何かを思案しながらも墨田ははっきりと答える。
「なら、カケル、お前が決断しろ。私はそれに従う」
なぜ、自分なのか。その言葉が喉の奥から飛び出てきそうになりながらも、翔は決断した。
「俺は……」
その時、翔の自宅につながっている異世界への扉から、轟音が鳴り響いた。
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