91 ー日本終了ー

 墨田はポケットからスマホを取り出すと、翔の方に差し出してきた。画面の向こうでは、撮影されたであろう映像が流れている。

 それは最初は街頭の大型ビジョンだった。

 日本が、大セキエイ帝国になったこと、そしてその元首にクォーツが就任したことを大々的に報じるニュースを撮影したものだった。

 続いて、クォーツが自らが元首になったことを宣言する映像が流れ始める。その横には、日本の総理大臣の姿もあった。

 最初は訝しんでいた人々が、まるで水面に浮かぶ波のように、ゆっくりとそれを受け入れていく。

 涙を流すほどに喜ぶ者もそこには何人も居た。

 明らかに異常な光景だ。翔は何も言えないまま、その動画を直視し続けるしか無かった。


「いや……何かのドッキリ……ですよね? やだなぁ。警察手帳って複製するのとかって犯罪じゃなかったでしたっけ。ダメですよそういうことするの。どっかの配信者の方ですか? 一応今回はコラボって形で済ませて、今度からは住所特定したり、勝手にこんなことはしないように……」

「水無月さん、違うんです。これは本当に起こっているんです」


 墨田が画面をスワイプすると、次の動画が流れ始めた。

 その動画はさっきまで翔が見ていた動画とは毛色が違っていた。それは日本で撮影されたものではなく、海外で撮影されたものだった。

 アメリカの、翔も知っているような大きな通りだ。高い建物の壁面には大きな液晶が貼り付けられており、そこにはおなじようにニュースが流れている。

 そして今度も同じように、しかし背後に立っているのはアメリカの首相であり、英語でクォーツが話す映像が流れ始める。

 

「一本目の動画は、つい数日前のものです。このクォーツという男は日本を瞬間的に集団洗脳し、そして世界を巻き込んで更に洗脳を拡大し始めました。今見ていただいたものが、その初日の動画になります。この動画が撮影されて二十二時間で、アメリカは崩壊しました」


 平河がそう言いながら、懐から一枚の紙を取り出した。

 そこには翔の顔写真と、この顔を見かけたら連絡を! という文言。


「そして、翔さん、あなたは世界中から狙われている」

「い、いやいや、マジで何言ってるんですか。そんなわけないじゃないですか。げんにお二人はそう思ってはないんでしょ?」


 翔はムトの方を見るが、ムトはそれをなかなかに否定しようとしない。それどころかスマホで何かを見ている始末だ。


「なぁ、ムトからも何か言ってやってくれよ。そんなことは無理に決まってるだろ?」

「ん、いや、あのバカはやったみたいだぞ」


 ムトがスマホを翔に向ける。そこに映っていたのは、農園を定点カメラで撮影し始めた頃の配信の切り抜きだった。

 ちょうど、翔の顔が映ってしまった箇所が切り抜かれている。


user:こいつじゃね

user:間違いないじゃん。異世界への扉だっけ。それの向こうに居るってこと?

user:ヤバ。逃げてるってことじゃん。クォーツ様に何したんだコイツ


 そんな文言が、動画の返信欄に並んでいる。

 それは憶測から飛び出した事実無根のデマも含まれており、まるで翔が大犯罪者であるかのように、クォーツが救世主であるかのように書きこまれていた。


「なに……これ……」

「知らん。配信の方のコメント欄も荒れてるようだが、配信を止めてきたほうがいいかもしれんな」


 ムトの言葉に翔はすぐさま立ち上がり、家から外に飛び出した。

 外で待機していたマルハス達が驚きで飛び上がるのを横目に、翔は農園の中を駆けていく。

 家の裏手にあるエサ箱の前では、のんびりと動物たちが眠っていた。それをカメラはずっと撮影し続けている。

 翔はそのカメラに映らないように配信を設定しているパソコンの画面を覗き込むと、その配信のコメント欄を見た。

 そこには、言葉には到底出来ないような罵詈雑言が並んでいた。

 これがどこであるか特定しようとする者、自宅の近くにある異世界への扉がこの世界につながっているのではないかと語る者、翔の住所を特定したと言いながら電話番号などを晒す者まで様々だ。

 幸いにも翔の個人情報に関してはほとんど間違いであり、本人にたどり着いている情報は一つもなかった。

 だが、その言葉の羅列を眺めているだけで、翔の胃の奥から得体のしれないタールのような粘り気が込み上がってくる。

 嘔吐感ではない、不気味さを濾し出したようなそれは、息を吸うことも吐くことも出来ないまま翔の喉元に滞留し続けていた。


「あ、ああああ、ああああああああああ!!!!!」


 翔は叫びながら配信を切った。コメント欄も封鎖し、誰にも書き込めないようにする。


「カケルさん!」


 取り乱している翔の元に、アーミアが走ってきた。


「ムトさんが、配信が止まったのを確認したから迎えに行ってこいって……立てますか?」

「……あ、ああ。ごめんアーミア。ちょっとだけ肩を貸してもらえないかな」

「ええ。もちろん」


 翔の頭は、日常が変わってしまったという事実を理解できなかった。

 日本は、地球は、終わってしまったのだという事実が、まだ非現実的でたまらない。


「そうだ、え、SNSで……」


 アーミアに肩を預けながら、翔はポケットからスマホを取り出す。

 そしてSNSを開いた。


「あ、ああ」


 もう、言葉は不要だった。

 画面の向こうでは、誰しもがクォーツを崇め奉り、翔を皆が探し、一人に支配されるという事実を皆が喜びながら受け止めている。


user:クォーツ様の彫像、買いました!


 翔はそんなふざけ方をしないネットの知り合いまでもがその書き込みをしている様子を見て、ゆっくりとその場に膝をついた。

 知らない間に世界が一変していたという事実が、ドッキリではなく本当のことであると新自宅はなかったのに、信じさせられてしまう。

 初めて異世界に降り立った日と同じように、翔はその場で胃の中のものを地面にぶちまけてしまった。

 アーミアはその時とおなじように、背中を優しくさするだけだった。

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