90 ー本日終了ー
ムトと翔は宿舎の扉の前まで、誰に出会うこともなくたどり着いた。
マルハスやガベルたちが何事かと足元を走り回るので、翔は「今はごめんよ」と小さくつぶやいて足から離す。
久しぶりの帰還に喜び飛び跳ねるマルハスたちだったが、それが本意であると察したのか、あるいは後で遊んでもらえることを期待してのことか、すぐさま離れていった。
ムトは離れていくマルハスたちを見届けると、翔の方を向く。
「私が合図したら扉を開けろ」
「ラプタとルーブルは……」
「あの二人はもうとっくに裏口に着いてるさ。お前の足がもっと速ければ話は別だが」
「ははは……それはまたすみませんねぇ」
「謝るのはあとにしろ。この中に知らん奴が二人居る」
結界の中には、ムトの許可がなければ誰も入ることは出来ない。つまり、翔の家にある異世界の扉から入ってきた二人だ。
「いち、にの、さん!」
掛け声とともに、翔が扉を勢いよく開け放った。
「んひゃ!? びっくりしたねぇ、なんだい! そんな嫌な驚かし方をするような性格だったかい!?」
「も〜! 雑魚お兄ちゃんってそういうことするの? オシオキ、しちゃうよ!」
そんな翔とムトの心とは裏腹に、ダイニングではカルラとチッチョがくつろいでいた。
しかし、ムトの感じていた通り、その正面には、見慣れない二名が座っている。
片方はカーキ色のロングコートを着た初老の男性だった。シワだらけのワイシャツと、ところどころ汚れたスラックス、それを穴が緩んだベルトでとめている。
目の前に置かれたマグカップからは湯気が上がっており、翔の目からもわかるほどに中に注がれている飲料物は減っていない。
もう片方は若い男だった。そちらは紺のスーツを着ており、初老の男とは対象的に丁寧にアイロンがけされたワイシャツにネクタイピンまでつけていた。
「あ、えっと……そこの人は……」
「警視庁の
初老の男が懐から警察手帳を取り出す。翔にはそれが本物に見えて、何もしていないにも関わらず少しだけ背筋が冷え込んだ。
「私も警視庁の……あ、あったあった。
若い男の方もスーツを少し探した後に、警察手帳を取り出した。
翔が戸惑いながら返答に困っていると、カルラが思い出したように手を打つ。
「ちょっと大変なことが起こってるらしいんだよ。それでカケル、アンタに用があるんだってさ」
「雑魚お兄ちゃんなに悪いことしちゃったの〜? オシオキポイント二点目〜。それと他の……あれ? ラプタとかアーミアちゃんとかは……」
カルラとチッチョは不思議そうにムトと翔の後ろを覗き込む。だが、そこには何も居ない。
「ムト、これは……」
「問題ない。二人共なにもされていないみたいだ。ラプタ! ルーブル! 出てこい」
ムトの言葉に、ゆっくりと非常口から二人が入ってくる。警戒はしているようだが、会話は聞こえていたのかそこに攻撃的な感情は乗っていない。
「あとはアーミアだね。カーイ! カーン! カーラ!」
ムトが手を叩きながらそう呼ぶと、畑の中から三匹が現れる。
「帰ってきてたんだ! それで何か用?」
「帰ってきてたんだ! お土産はないの?」
「帰ってきてたんだ! 甘いのが良いな〜」
「アーミアを連れてきてくれ。アンタらを探してるだろうから、すぐに見つかるはずさ。お土産は後で」
ムトがその翼の裏を見せる。その中には翔ですらいつ購入したのかわからない紙製の箱が入っていた。
「お前、いつの間にそんなの買ってたんだよ」
「ん? そりゃあ土産にもなるし、交渉材料にもなる。安易に敵からもらった食べ物を食べるバカはこの世界には存在しないだろうけれどね、現代日本では違うだろうから」
ムトが何をするのかは定かではないが、翔はその少し口角の上がった顔がやけに不気味に見えて少し身震いをしてしまった。
しばらくすると三匹に連れられてアーミアも何事かと駆け寄ってくる。
「いやはや、異世界への扉のことは知ってましたが、こうやって本当に異世界の方を目の前にすると圧巻ですなぁ」
墨田がからからと笑いながら世辞を言う。翔の隣に立ったルーブルが、二人には聞こえないような声で呟いた。
「世辞。だけど、嫌な感じはしない」
「ありがと」
翔がそう返すと、ルーブルは少し顔を赤くした。
自らの能力が久々に役に立ったことが、ルーブルにとっては少しうれしくて、そして感謝を述べられたことが、更に嬉しさに拍車をかけた結果だった。
「で、俺に用があるんですよね?」
「ああ、あとそっちのフクロウさんも、ウチの方の世界で生活されてるとか」
墨田はすでに調べをつけている。翔はそう確信すると、ムトも呼んで警察官二人の前に座った。
元々座っていたカルラとチッチョはその場を退き、別のソファに座りなおす。
「端的に言います。世界がやばいです」
「こら平河! すみませんねぇ全く。ただ、私も同じ意見なんです」
墨田はゆっくりと頭を下げる。
「水無月さん、どうやら日本は、終わってしまいました」
「……………………は?」
すっとんきょうな声が、農園の中を流れていった。
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