72 元弟子

「館長~、この人なんですよぉ」


 ニルンが連れてきたのは、老齢の熊の獣人だった。

 それは翔の今の見た目と同じではあるが、しかしそれはどちらかといえば鍛えられた肉体に近い。

 翔が威圧感のないぬいぐるみの様な見た目であるとすれば、相手は動物園にいるような本物を想起させる様相だった。

 彼は自らの名前をギュルと名乗った。


「ほほ~、これは面白い客を連れてきたねニルン。お久しぶりです。ムト様」

「ムト……様!?」


 翔が驚いて後ろを振り返ると、ムトが頭を抱えていた。


「面倒になるからどこでもかしこでも私の名前を呼ぶなとあれほど言っていたのに、まだ破る馬鹿がいるとは思わなかったな。はぁ、で、こんなところで何をしているんだ」

「何、と申されましても、人の役に立つ仕事……でしょうか」


 にこやかに笑うギュルとは対照的に、ムトはあきれたように言葉を紡ぐ。その様子に翔は戸惑いながら、現状何が起こっているかについて尋ねた。


「昔ながらの知り合いだよ」

「僕の師匠です」


 二人はそうお互いのことをたとえた。ムトが言うには、自分の魔法の技術を奪ってやろうと考えていた人物たちのひとりだったこと。ムト自身はそれを拒否していなかったが、その技術力の高さから脱落していく人々が多数を占める中で、最後まで残った数人のストーカーのうちの一人だということだった。

 逆にギュルはムトを素晴らしい師匠だとたたえていた。教えることはしなかったものの、魔法使いの中でも異端児だと罵られていた人々をまとめ上げて、自らの技術を伝授するようにわかりやすく毎日魔法を見せてくれた優しい師匠だ、と。


「そんなことはしていない。このストーカーは毎日毎日私の魔法を見てはその技術を自らに取り込もうとしていただけの変態だ」

「そんな! ムト様は最初に飛行の魔法を見せてくださったじゃないですか。自力で飛べるはずのあなたがそれを見せた、そしてついてくるように仕向けた。そういうことなんでしょう?」

「違う! あの時は誰も人を飛行させる魔法なんて見せていない…ただ邪魔だった岩を浮かせてどかして、そのまま飛び立っただけだ。第一、空を飛ぶ魔法はあの時代には存在しなくてだな」

「またまた。そうやって弟子に自信をつけさせようとしてくれているんですよね?」


 ムトが激昂するが、ギュルは自身の都合の良い解釈を都度付け加える。そんな押し問答がしばらく続いていた。


「にしても、なんというか……ムトがそんなに大きくリアクションするところって見たことがないから新鮮かも」

「ん、この馬鹿のせいだ。あぁ、一番出会いたくない奴がこんな近くにいるとは思わなかったな全く」

「まあ、ムト様をからかうのはこれくらいにしておいて。で、誰の欲しい本が読み取れない……かと聞くまでもなかったか。君だね」


 館長と呼ばれた人物は翔の目の前に近寄ってくると、胸ポケットから眼鏡を取り出して装着した。側面に耳がない獣人用のそれは、後頭部で紐をまとめるような形状になっていた。


「ふむ……確かにこれは無理だね。僕……というか、誰にも無理だと思う」

「どうした。珍しく弱気だな。私の魔法を見せるだけで全て習得した男の言うことにしては」

「あれはただの偶然ですよ。それに、ムト様もうっすらとはわかっているんじゃないですか?」


 ギュルの言葉にムトは少し黙る。が、しばらくしてゆっくりと口を開いた。


「まあ、ないわけではない。ただ、強い確証があるわけでもない」

「そうですか。なら僕の方から言わせてもらいますね」」


 ギュルはゆっくりとメガネを外していく。


「カケルさん、でしたか。あなたと、そしてムト様もですが、記憶操作魔法がかけられていますね。これは……どこかで見たことがあるんだけどなぁ……。ムト様、ここに何日おられる予定ですか?」

「大体三日ほどだな。元々私たちよりも、あそこで座って本を読んでるアナグマの用事が主だ」


 ムトが翼をさした先では、いつの間にか魔導書のようハードカバーの本を読みふけっているラプタの姿があった。


「でしたら、ムト様やカケルさんの欲しい本を揃えられるかもしれません」


 パン、とギュルが手を鳴らすと、ニルンの後ろにさらに二人、職員が降り立ってきた。


「最重要任務です。いいですか?」


 その言葉で、降り立った職員とニルンの表情が一瞬にして柔らかいものから冷たく、真剣なものに変化していった。

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