36 一矢報いる

 ぼう、と夜闇に赤い光がゆらめいている。翔はそれを目で捉えながら、手にしたものをチッチョの腹部に押し当てた。

 青く透明なそれは手のひらサイズの石だった。そして何よりも重要なのが、それが餌場の横に置かれていた水飲み場に使われていた魔石だということだった。

 魔石はチッチョから漏れ出た強力な魔力によってぐるぐるとその内部構造を活性化させ、水を作り出す。それはアーミアがやっていたようなゆっくりと出るようなものではなく、急激に流入してきた魔力を全て水に変換したがために起こる擬似的な小規模の濁流だった。

 

「ぐっ……クソ雑魚のくせにぃ……!」


 自らの強い魔力のせいで発生した強大な濁流に、チッチョはそのまま押し流される。

 翔はすぐさま飛び起きると、いまだに濁流を放ち続けている魔石を力強く放り投げた。その先にいるのはもちろん、今まさに家に火をつけようとしているカルラだった。


「いい加減にしろよざぁこ! お前が潰していい作戦じゃないんだけど!」


 魔石を投げ終えた翔の脇腹に、深くチッチョの拳が入る。脂肪のさらに向こうの内臓にまで到達したような感覚に襲われる、そんな攻撃に、翔は息を詰まらせた。


「あぁあぁ、マッチが全部しけっちゃったじゃないか」


 カルラがマッチ箱をポイと捨てると、立ち上がって濡れた服を絞った。


「つめてぇな。俺にもかかった。てかチッチョ! お前無駄に暴力すんなっつったよな!」

「だって僕の素敵な服を濡らしたんだよ! 許せないじゃん雑魚のくせに!」


 うずくまる翔をよそに、チッチョとラプタが言い争いを始める。そんな呑気な光景にも関わらず、翔は指先すらも動かすことができない。それほどまでに重く、芯に響く一撃だった。

 ダンジョン攻略系配信者はこんなことまでやってんのか、などと悪態をつきながらでないと意識が飛んでしまいそうになる。だが、ここで意識を落としてしまえばここから先どうなるかはわからない。マッチがなくなったとはいえ、目の前には三人組がまだ残っているのだ。

 

「にしても、こんなものを隠していたとはねぇ……」

「これ、魔石か。しかも純度も高そうだ。王国の方で売りゃあある程度は金になるレベルですぜ姉さん」

「えぇ〜? じゃあ僕の服も買えるかなぁ?」

「買えるわけねぇだろ。今ですら何着持ってんだよお前。で、こっからどうすんですか姉さん。火ィつけるもんなんかもうないですぜ」


 ラプタがパーカーのポケットを裏返すが、そこからは何も出てこない。


「ライターは? 持っておくんじゃなかったのかい?」

「あれ……? 確かに持ってたような」

「どっかで落としたんじゃないのぉ? ラプタもクソ雑魚だったりして。てか、魔法じゃダメなの?」

「チッ……魔法は痕跡が残るんだよ。この前も教えただろ脳筋」


 ラプタのその発言から、二人は取っ組み合いの喧嘩を始める。カルラはそれを無視して、翔のもとに歩み寄ってきた。カルラは翔の足元にしゃがみ込むと、ゆっくりと翔の顎を撫でる。強者が弱者を憐れむように、慇懃無礼なまでにいたわりをみせるようなそぶりだった。


「アンタも案外やるじゃないか。だけれど、あんまり怒らせない方がいいことくらいはわかったんじゃないかい? 大人しくこの家が燃えて、あのアーミアとかいう小娘を助けられないまま、ヨコヤマの元に運ばれていけば良いじゃないか」

「誰が……そんなこと……」


 掠れた声で反論するが、カルラにとってそれは瑣末なものだった。


「ははは! そうかい。じゃあその叛逆の炎は絶やさずに、一生燻らせておくんだよ。チッチョ、ラプタ、燃やせそうな物と、火が点けられそうなものを探してきな。外に転がしておくほどだ、家の中には炎魔法の魔石もあるだろうからね」


 カルラが悠々と命令を出すが、それに返答する者はいない。本来ならば返ってくるはずの二人の声は、夜の闇に溶けてしまったのかと言わんばかりに何もなかった。

 それどころか、カルラが振り返った時には、二人ともその場に突っ伏して倒れている。


「チッチョ! ラプタ!」


 叫ぶカルラだが、二人の元に駆け寄ることができない。丸く、黒く、底のない沼のような瞳が、自分の背中をぬったりと見つめていることに気がついたからだ。


「チッチョ、ラプタ。そういう名か。罪人の名は」


 夜の帷の向こうから、低く脅しをかけるような声が響く。その声は次第に倒れている翔とカルラの元に近づいてきているようだ。


「誰だい! あ、私だって反撃できないわけじゃないんだからね!」


 威勢良く啖呵を切るカルラだが、その声は闇の中に消えていく。

 次の瞬間、不意に倒れて動けなかった翔の体が何者かによって持ち上げられた。

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