63 違和感と消えた記憶

「で、本題なんですが」


 ムトはカバンから一枚の紙を取り出した。翔は大津に渡された缶コーヒーを飲みつつ、それを横目で眺めている。


「渡会様もご存知の通り、横山氏が逮捕されました。また、その直前に財産のほぼ全てを結婚なされていた恵子様、心愛ここあ様に譲渡した後に離婚されており、そちらから賠償を払えるかどうかは更なる裁判が必要になってくるものになるかと」

「はぁ、ちょっと見させてもらいますね」


 渡された紙を手に取ると、渡会はそれをじっくりと読み始めた。


「あ〜、社長がやりそうなことだなぁ。まあ、残業代が出てなかったわけじゃないし、俺は別に良いんだけど……大津とか、それこそ水無月とかも可哀想なことなるな。しばらく無収入の時期が続くってなると、貯蓄を切り崩すのもメンタルにくるだろうし」

「俺は気にしてないっすよ〜!」


 遠くの席で作業をしていた大津が大声でそう言う。翔もまた、貯蓄だけは異様に残っているためしばらくは安泰だ。そうでなくとも配信からの広告収入でギリギリ生活できそうな程度にはなって行けそうでもある。


「あ、じゃあ杞憂かな……って言っても、他の社員にもこのことは伝えないとなぁ」

「そうですね。私の口から伝えさせていただいてもよろしいのですが、あくまでも今回は渡会様が今この会社の社長と言うことですので、まず先にご連絡差し上げた次第です」

「あはは、そんな大層な役職じゃないですよ」


 そう笑ってはいるが、渡会の目は疲れを如実に示しており、しばらくは大変な時期なのであろうことは翔の目からも明らかだった。


「で、そんなことを言いにわざわざきていただいたんですか?」

「ええ。まあそうですね。……何か忘れてる気がするんですが、まあ忘れる程度のことですのでまた思い出した時にご連絡差し上げます」


 ムトは笑顔でそういうと、名刺を一枚テーブルに置いた。他の社員たちも連絡ができるように、とのことだ。


「そうだ水無月、お前、これ知ってるか?」


 荷物を片付け始めたムトを待っている間に、渡会は翔にスマホの画面を見せてきた。そこに映っているのは、まさしく翔が運営するチャンネルの定点カメラ配信だった。


「ん、ん〜? 知らないですねぇ……?」

「そうかぁ。お前も辞めて衰えたな。今これ、結構流行ってるらしいぞ。社長もこれをネタにしようとしてたらしいんだが、お前動物好きだろ? 次にまた制作系に行くなら、こういうネタも拾っとけよ? ま、こっちの方が見栄えはいいかもしれんがな」


 渡会はスマホの画面を切り替える。今度は翔の運営していないチャンネルだった。しかし、そこもまた異世界の様子を定点カメラで配信している。こっちはダンジョンの中のようで、時折モンスターが徘徊する様子が見てとれた。


「面白いだろ? お前もこういうジャンルにもアンテナ張っとけよ?」

「は、はは……わかりました」


 運営の立場だとはいえないまま、翔は苦笑いを浮かべることしかできない。そんな横でムトは帰り支度を済ませたようで、翔の肩を軽く叩いた。


「水無月様、帰りましょうか」

「あ、じゃあ最後に。水無月、そういえばお前はなんで六戸さんと一緒にいるんだ?」

「あ、えーと……」

「裁判に関してお伝えしたいことがあったので、水無月様には先に事務所の方でお話させていただいていたんですよ。それで、せっかくならと道案内を買って出ていただいたんです」

「ほう、良い心がけだな。って、六戸さんが美人だから良いところを見せたかっただけか?」


 ヘラヘラとしながら渡会が翔の背中を強く叩く。翔もまた誤魔化しながらそれに対して苦笑いを浮かべていた。


「それでは、私はこれで失礼致します」

「はい、ありがとうございました。水無月も一緒に帰るのか?」

「あ、ええ。道案内のお礼に、送っていってもらえるってことなので」


 即興で作り上げた嘘にしては完成度が高いと、翔は自分の頭の中で自画自賛する。


「そうか、じゃあ気をつけてな」


 渡会は手を軽く振ると、自分のデスクに戻っていった。まだまだ仕事がありそうで、翔たちを送り出す余裕はないようだった。


「にしても、なんか忘れてる気がする。なんだっけ」

「さあ、お前の脳みそのことなんか私は知らん。が、私も何か重要なことを見落としているような気がするな……。残滓が残っている」


 ムトが会社の階段を降りながらつぶやく。それは翔には見ることのできない、魔法の使用者の残り香のようなもの。それが会社にあるという事実は、つまりそこで魔法の行使が発生したと言うことだ。


「だが、あの二人に怪しい部分はなかった」

「俺も……特に変なことは感じなかったな」

「じゃあ横山の方の残り香かな。よし、翔。買い物して帰るぞ」

「買い物?」

「私の必要なものだ。お前を送るんだから、それくらいはしても良いだろう?」

「あはは……あれは冗談だから、別にどこで下ろしてもらっても構わないよ」


 階段を降り切った二人は駐車場に向かう。そのまま二人は車に乗り込み、ムトは車を発進させた。

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