62 だーれもいない制作現場に、男が一人
「そこを右。で、二本目の十字路を左ね。……あ、そうだ。質問いいかな」
助手席に座った翔が道案内を行いながら、翔たちは翔が元々働いていた番組制作会社に向かっていた。
「なんだ?」
「人間化の魔法ってさ、一人につき一つの見た目しかできないわけ?」
「基本的にはそうだな。この魔法は見た目の偽装ではなく、魂のありようを元に作り上げる着ぐるみのようなものだから、一人につき一つしかない」
「なら改めてだけど、クォーツは何も関係なさそうだな」
「ああ、そうだな」
ムトが返答すると同時にハンドルを切り、子供たちが遊んでいる小さな十字路を真っ赤な車が左折する。
「むしろ、それを考慮せずにあのバカを犯人ではないと決めつけていたお前の頭に驚いている。正直、横山が記憶操作の魔法を使えるって結論になれば万々歳の無駄足になるわけだが……。警察の方からもそんな報告が来ているわけではないのが厄介だな」
「あ、そろそろ着くはず。一応連絡して来客用の駐車場を開けてもらってるから、そこに停めて」
住宅街の中にある小さなビルの横に、これまた数台しか停められないような駐車場があった。ムトの運転する車をそこに駐車し、翔たちは会社のビルの方に入っていく。
受付も何もない一回でインターホンを押し、階段を使って二階へと上がればそのフロアが翔が働いていた会社だった。
「
「おお、水無月か。久しぶりって言ったってお前、十数日ぶりってだけじゃないか」
「いやいや、それを久しぶりって言うんですよ」
「ははは、それもそうか。あ、六戸さんもお久しぶりです」
渡会が軽く会釈をすると、ムトも会釈をし返した。
なぜムトのことを知っているのかと翔は一瞬狼狽したが、ここの社員がほとんど彼女の元を訪ねて弁護の依頼を行っていたことをすぐに思い出した。
「で、他の皆さんは……」
翔がそう言いながら会社の中を見るが、翔が見たこともないほどにそこはがらんとして静かだった。いつもであれば発狂した社員が何かをうめいているか、キーボードを叩く音しか聞こえない一室が、今日ばかりは閑散として少し寂しい気分にさせられる。
「今日は俺だけ。他のみんなは社長が捕まっちゃったからお休み。って言っても一人は今ちょっと出かけてるから俺だけじゃないんだけどね」
「え、じゃあ渡会さんはなんで……?」
「俺は副社長だからさ、少しだけやることがあるんだよ」
そう、目の前にいるこの男は横山の一つ下のポジションになる。が、実質的な横山の帝国だった会社においてその地位はほとんど機能しておらず、むしろ横山がやりたがらないような仕事を押し付けられるだけの人間であった。
だが、その多忙さがあっても尚社員には優しく、そしてその忙しさ分程度には給料が出ていたのか頻繁に翔たちを労ってくれた渡会は翔たち社員に慕われていた。
「やることって?」
「お前らの面会だろ? ……って言いたいとこなんだが、実はそっちじゃなくてな」
渡会は胸ポケットからスマホを取り出すと、画像フォルダを開いて一枚の写真を翔に見せてきた。
「警察だよ。社長の方で色々と聞きにきたらしくてな」
みせられた写真にはコートを着た初老の男性と、若い警官の姿の男性が写っている。初老の男性の方は不満げだが、若い方は嬉しそうにポーズを取っていた。
「番組で使ったり、ネットにあげるのは絶対にだめだそうだが、警察官のモデルの参考にしてもいいってことで写真だけ撮らせてもらったんだよ」
「へぇ……で、何か面白い情報とか聞けました?」
「残念ながら。異世界への扉案件だそうで、一般人には全くなーんにも教えちゃくれなかったよ」
渡会の言葉にムトが首を捻る。
「少しいいでしょうか、渡会さん」
「あ、ああ。どうしたんだ?」
「私、そっち関連の弁護も請け負ったことがあるのですが、そちらの横山様は暴行や万引きといった行為で逮捕されたと聞いたのですが、警察の方はどのような理由で異世界への扉案件だとおっしゃったのでしょうか?」
「ん、いやまあ、俺の想像だからあんまりどうかって言われるとわかんないんだけど……なんでかな。ちょっと情報が伏せられすぎてたからさ。前働いてたところが報道フロアだったんだけど、そこで見たことと同じ空気でね。ただ、憶測でものを言うのはいけなかった。申し訳ない」
渡会は恥ずかしそうに頭を下げた。
「いや、構わないんです。私も気になったもので」
「で、じゃあ俺からも質問、いいかな?」
「ええ」
「なんで水無月と、その六戸先生が話を聞きにきたのかを聞かせて欲しいんだよね。ちょうどそろそろ……あぁ、おかえり」
渡会が翔たちの後ろの方を見て手を上げる。そこには一人の男が立っていた。手にはビニール袋を下げており、近所のコンビニのロゴが大きく印刷されている。
「大津さん!」
「あ、今日の客人ってお前のことだったのかよ!」
大津は翔に近寄ると空いている方の手で背中を軽く叩いた。その瞬間、緑色の火花が散る。
「それに六戸先生まで。チェッ……女性がくるからちょっと良いコーヒー買いにいけって渡会さんに言われたから頑張ったのに」
「あら、私じゃ不満ですか? 大津さん」
「いえいえ! そういうことではないんですよ。弁護よろしくお願いしますね」
握手を求める大津に応じてムトが手を差し出すと、握り合った二人の手からも緑色の火花がこぼれた。
「で、はい。お望み通り渡会さんにはゲロ甘のコーヒー買ってきましたよ」
二人の間をすり抜けるようにして大津が渡会の近くに行くと、ビニール袋の中から缶コーヒーを一本取り出し、渡した。
缶コーヒーを渡そうと渡会と大津の手が触れる瞬間、渡会の手元でも緑色の火花が散る。
三人とも、その火花に気がつくことはない。
大津の口角が少しだけ、ほんの少しだけ上がっていた。
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