61 再帰
「で、事務所に行って何するんだよ」
「会っておきたい奴がいるんでな。呼んであるから少しだけ。お前も会っておいて損はないと思うぞ。それにしても、電車は人の目があって好かん。チッ……車をもう一台、お前の家の近くに準備しておけばよかった」
キレながらムトは吊り革をぐっと握りしめる。本来は彼女の持っている車で移動するはずだったのだが、今はまだ事務所の方の異世界への扉も閉じたままであり、翔の家からしか日本と繋がっていなかったからだ。
電車の中でムトはしばらく悪態をつき続けたまま、目的の駅まで二人は向かった。幸いだったのは、平日の昼間であったおかげか人があまり乗っていなかったことだった。
駅からしばらく歩き、二人は事務所の前に到着した。そのままムトがカードキーをかざし、中に入る。
依頼を全て断っているらしく、一人経営の事務所の中は閑散としていた。
だが、電気はついている。そして、翔の鼻をくすぐる良いコーヒーの香り。
「もう着てるのか。にしても、なんでここに入ってんだアイツ。鍵開けの魔法でも使ったか?」
「魔法が使える……ってことは、こっちの世界の誰かってわけじゃないのか?」
「ん、まあそうだな。会えばわかる」
事務所の一角に置かれた衝立の向こうを翔が覗くと、そこには白のローブを着た男性が座っていた。深く大きなフードをかぶっており、その顔は翔の位置からは見えない。しかしその隙間からは服とは対照的に真っ黒な手袋をはめた手が見えた。細い指先でコーヒーの入ったカップをゆらしている。
「おお、ムト。久しいね」
「クォーツ! お前勝手に入るなってメールしたよな?」
「ははは、そうカッカしないで欲しいな。わたしだって人の姿のまま君の事務所の前で待っているのは退屈だったんだ。この世界の電子機器は面白いから、少しくらいみていたって構わないだろう?」
浅く透き通るような飄々とした男性の声と共に、クォーツと呼ばれた男はムトと翔の方に振り返った。
「おわっ……」
「ははは、どうしたんだい青年? わたしの顔に何か?」
「お前、こっちの世界でもその顔晒してるわけじゃないだろうな? 人間化の魔法なしでこっちを歩くのは犯罪って知ってるか?」
「あ、そうか。驚かせようと思ってこのままにしていたんだった。ごめんね」
ローブの下にあったのは、黒豹の顔の男だった。白髪の頭と白のローブ、顔と手袋は真っ黒のコントラストがやたらと眩しい。
真っ白な髪の毛は側頭部にかかるほどの長さで切り揃えられており、薄く、あおい瞳と相まって薄明な印象を翔に与えていた。
ムトはそんな男を無視して正面に座ると、翔をその横に誘導した。
翔は「し、失礼しまーす……」とつぶやいてムトの横に座ろうとする。が、それはクォーツの手によって阻まれてしまう。カップをテーブルに置いたクォーツは、力強く翔の手首を握ったのだ。
「君はこっち」
にっこりと笑いながら、クォーツは自らの膝の上を指差す。
一瞬何がどうなっているのかわからないといった様子の翔がフリーズしていると、ムトが身を乗り出してクォーツの頭を叩いた。
「馬鹿野郎。ああ、翔。気にしないでくれて構わない。このバカはこう見えても私よりも年上でね。大体の生物を子供扱いしているんだよ」
「……俺、ムトの年齢とか聞いたことないんだけど」
「殺されたいか?」
「ウソウソ! まあでも相当な年齢なんだな」
「ははは、そうだよ。でも一つだけ違うところがある。扱いじゃなくて、子供なんだよ。みんな、わたしよりもね」
にこ、と笑うクォーツの瞳は、確かに嘘偽りもなくただ相手を下に見ているような、そんな表情をしていた。
「知るか。で、本題なんだが」
「ん、そうだね。わたしを呼びつけた理由は何かあるんだろう?」
「ああ、翔。この前言った記憶操作の魔法に関して覚えているか?」
「え? ああ、カルラたちが受けてたあの?」
カルラ、ラプタ、チッチョの三人が受けていた魔法だ。それによって小さな、マッチほどの火でしかなかったアーミアたちへの農園への怨みが、深く、青く、大きな炎へと変えられてしまった魔法。
「ああ、それを説明する時に、その魔法に私以上に詳しい奴がいると言っただろう?」
「あ〜、なんか言ってたような……それがこのクォーツ……さんってわけ?」
「さんなんてつけなくてもいいよ。気軽にクォーツって呼んでもらって構わないさ」
笑みを浮かべながら、クォーツがコーヒーを一口啜る。
「で、その記憶操作の魔法を使うような人間がこっちに紛れ込んでいないか、あるいはその魔法がどんなものかを特定したい、と。そういうわけだね?」
「ああ、あるいはお前が犯人の可能性も考えている」
「ははは、それはないさ。こんな姿、目立ちすぎるだろう?」
そう言うとクォーツはおもむろに纏っていたローブを脱いだ。黒豹の見た目であった彼の姿はその一瞬で幸薄そうな青年に変わる。残っているのは目の青さと髪の白さだけだ。
「知らん。と言いたいところだが、私もそう思っていたさ。それで、お前の見解は?」
「さぁ、わたしもこの世界に来てしばらく経っているけれど、他の世界から来ている子たちのことはよく知らないからねぇ。残滓みたいなものは時折感じるけれど。それに、怪しいだけで言うならムト、君も記憶操作の魔法は使えるだろう?」
「私のものは記憶操作ではない。ただの記憶消去の魔法だ。ただ……わかった。よし、クォーツ、もういいぞ。帰れ」
情報は聞き出したとばかりにムトはテーブルに残っていたコーヒーを片付けだした。そのカップの中にはまだ半分ほど残っていたにも関わらず、だ。
それの意味を理解して、クォーツはローブを羽織って立ち上がる。しかしその表情には怒りはなかった。まるで「仕方ない」と子供を見る親のような目をしていた。
「お前の方でも何かわかったらこっちに連絡しろ。それと、まだ私はお前が犯人ではないと決めつけたわけではないことを忘れるなよ」
「はいはい。じゃ、翔くんだっけ? 君とはまた会える気がするよ。面白い話が聞きたくなったらわたしのところに来るといい。はい、これ。名刺」
胸ポケットから名刺を取り出したクォーツは翔にそれを渡した。そこには「明途会
「いっぇーい。わたし、結構偉い人。いっぱい子供たちと遊んでるから、いつでも連絡してね。翔くんと、ムトもね」
クォーツが二人の肩を叩く。その瞬間、緑色の光の粒がクォーツの手から火花のように散った。
二人はそれに気がつくことはない。
「あはは……じゃあ次会った時は撫でさせてもらおうかな」
「それもいいかもしれないね。君は撫でるのが得意だった。じゃあ、ムト、またね」
手を振りながら、クォーツは事務所から出ていった。
「ふむ、クォーツが犯人ではないとすると、他にも心当たりを探らないといけないな」
「ああ、クォーツさんは犯人じゃないってなると、他にもこの地域に記憶操作の魔法が使えるやつがどこかに潜んでるってことになるから……どうしよう?」
「そこら辺は警察に任せるのが一番だろうな。それよりも、お前の元会社に行くぞ。そっちにも少しだけ確認しておきたいことがあるからな」
二人もまた、電気を消して事務所から出ていく。人通りがやけに少ない道路の中央で、その二人の後ろ姿を眺めながらクォーツが笑っていた。
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