65 大金が、食料が、歩いている

「ほ、滅んでる?」


 翔の言葉に対して、その場にいた全員がきょとんとした顔を浮かべていた。むしろ知らない方がおかしいと言った様子だ。


「だって、会う人会う人全員獣人族か、あるいは大きな動物さんばっかりだなんて不思議だと思いませんでした?」


 アーミアが当然のように言うが、翔にとって異世界とはそういうものなのだろうと勝手に解釈していた。


「わ、わかった。一旦飲み込む。詳しい理由とかは定かじゃないとして、一旦飲み込む。で、人間が居ないことがなんで忌避されることに繋がるんだ?」


 額を抑えながら呟く翔に対して、ムトが食後の紅茶を啜りながら目を閉じた。


「まず、この世界にもモンスターは居る。その前提から話していかないといけない。マルハスも、ガベルも、お前が動物と呼称する奴らの中でアーミアや私のように共通語を話さない生物は全てモンスターだ。お前の見たそのルルートとかいうドラゴンも意思疎通ができなければその類だな。まあ、ドラゴンまで行くとほとんどの個体が私に近いものになるが」

「そりゃまあ……そうかもしれないとは思ってたけど」

「そうか。その常識はあるんだな。じゃあ後は簡単だ。もう一つ、要素がある。人間種はモンスターにとってちょうど良い餌になる魔力を保有していたんだよ。私たち半動物と違ってな。耳長族エルフ土小人ドワーフも、後は精霊族フェアリーもそうだったか」


 瞬間的に翔は膝に乗せていたマルハスを取り落としそうになるが、堪えて抱え直した。


「もちろんだが、その犬っころみたいな飼い慣らせる種も存在していたが、そんなものはごく一部だと言うこくらいは理解できるだろう? で、アーミア、話しても?」


 何を、とは言わずともアーミアはこく、と首を縦に振る。


「ここの牧場で働いていた奴らもお前と同じ人間だ。そして前にも言ったが、図書館のある近くの王国が行ったモンスターとの戦争に赴いて敗れた。人間が生き残る、最後の国がそこで滅んだ。繁殖能力も低く捕食対象として最高の存在だった人間を、理性もなくただ生存するために生きているモンスターは喰らい尽くしたわけだな。その後、モンスターは生き残り、繁殖し、今のこの世界になっている。はい終わり」


 翔は言葉が紡げなかった。ムトが手を一度叩いて、この物語が現在に続いていると暗に表現していることに理解が追いつかなかった。


「なら、俺も危険ってことに……」

「そうはならない。お前も薄々気がついているだろう? お前のことを誰しもが初見で『コイツはこの世界の住人ではない』と気がついていること。それはつまり、見た目は同じでも魔力ナカミがすっからかんだからだ。だからこそ捕食対象にもならない。犬っころ達が初めてお前を見た時からずっと、な」


 黙って話を聞いていたカルラが、ゆっくりとカップをテーブルに置いて口を開き始めた。


「ただ、みんながみんなこんな合理的な判断をすぐに下せるわけじゃないさね」

「……というと?」

「人間だってある日突然消え去ったわけじゃないさ。段々と、食物連鎖の上位の重さに押しつぶされるように、消えていくもんだ。さて、ムト。私が話を奪っても良いならここで問題を出したいんだが、どうだい?」

「ああ、構わん。話しすぎてそろそろ飽きてきた頃合いだったしな」


 ムトはそう言うと、伸びをして席から立ち上がった。そのままフクロウの形態になり、ダイニングの一角で座って目を閉じる。眠っているわけではないが、ムトにとってはこの姿が一番リラックスできる者だった。

 話をパスされたカルラは両手の人差し指を立てると、それらをまるで人が向かい合っているように指の腹同士をそれぞれの方に向けた。


「人間というものに出会ったことがない獣人が、もし仮に人間に出会ってしまったらどうなると思う?」

「どう……って言われても、この世界の常識がわかるわけじゃないから俺にはなんとも……」

「少しは考えな。ヒントとして、お前を見た獣人は漠然と思うわけさ。『モンスターに捕食されやすい“人間”という種族が偶然目の前にいる』と」


 翔は思案する。が、まだ答えが出ない。


「ヒント二。この農園ほどではないにせよ、私らはモンスターと共存している。この前来た胡散臭い狐の商人の男のように、働き手として使っている者も居れば、ここみたいに愛玩や家畜として過ごしている者も居る」

「……つまり、自分のペットが他人を襲うのではないか、って考え始めるってことか?」


 翔の答えに、カルラは立てていた人差し指を振った。


「少し正解だが、まだ違うね。ヒント三。そうさね……誰でも奪える大金が街中を歩いていたら、そしてそれを見た全員がそれを奪い合ったら、市井はどうなると思う?」

「そりゃあまあ……暴動というか、殴り合ってでも持っていく奴が現れて大混乱、みたいな」

「そうだな。意思があり、自制心がある生物である前提であったとしても、それほどまでの結果になることが見えているのだから、利己的で、野生的で、自らの徳に対して最優先で動くようなモンスターが同じような状況になれば……誰しもがイメージするだろうね。暴れ出して街がメチャクチャになる、って」

「姉さん、答え言ってるぞそれ」


 呆れたようにラプタが口を挟むが、カルラは少し笑って口元に人差し指を当てた。


「何も知らない人が俺を見たら、そう思う……か」

「そう。そしてそんな奴らは案外多い。お前の姿を見て、その中の一人でもそんなことを思ってしまえば、お前はすぐに排斥されるだろうな。そのコミュニティから。いや、排斥されるだけならまだ良い。『うちのバロップにコイツの肉を与えれば、もっと早く走るのではないか』なんて無知蒙昧な阿呆が思ってしまえば、そこから先は赤の時代だね」


 テーブルの上に残っている、まだ片付けられていないガスパチョの椀をカルラがゆっくりなぞる。その指先には、赤いトマトの色がついていた。

 翔は、黙っていた。黙ったまま、自分がいかにぬるい想像をしていたかを噛み締めていた。


「ま、そこのフクロウさんがなんとかしてくれるはずさ。だからこそそんな話題を出したんだろうね。お前が、お前として楽観的に生きないためにも。ただ、お前にこれを語った意味をよく考えるさね。さ、お前ら、食べた皿を片付けな」


 黙ったままの翔をよそに、カルラはテーブルの上に残った食器を重ね始めた。チッチョとラプタは何かを言いたげにそれを手伝い始める。

 アーミアは、ずっと翔の方を見つめていた。


「カケルさん」

「何?」

「ちょっと、外の空気を吸いに行きませんか?」


 重く、肩に何かがのしかかった翔に対して、アーミアはそんな提案をし、家の扉を開けた。残っている四人はそれを咎めることはしなかった。

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