75 最悪の予想
最悪、それを想定できてしまう事態すらも危険ではないかと翔は思いながら、それを口に出すことはなかった。
「とりあえず、あのアナグマも呼んでこい。どうせ知らないだろうが、例外の可能性もある」
「あ、じゃあ僕が呼んできます。少々お待ちを」
ギュルはそう言うと応接室を飛び出し、数分後にラプタを連れて戻ってきた。
本人は「何事だ!」と叫びながら扉を豪快に開ける。が、中で平和に三人が座っている様子を見て安堵した。
「突然呼び出されたから何事かと思ったぜ……」
「おい、お前はクォーツという魔法使いを知っているか」
「は? なんだ突然。……んん、いや、まあ聞いた覚えはないが」
突然の事態を飲み込めないまま、ラプタは記憶の扉を開けるように一瞬天井を見上げ、かぶりを振った。
「で、なんなんだよ。そのクォーツって奴がなんかあったか?」
「ああ、私の記憶の中では、アーロ、ディエスに並んで高名な魔法使いだ。そのはずなのに誰も覚えていない」
「アーロ……ディエス……あぁ、あの爺さんたちか。確かに覚えてるぜ。なんかのパーティで見た記憶がある。でも、そのレベルってことは俺もどっかで見てるはずなんだがな」
「ラプタも同じってことか」
「なんだなんだ、本当に何が起こってんだよ」
困惑するラプタに対して、翔は今まで話していたことを説明した。
「はあ、で、そいつが考える最悪の事態ってなんなんだよ」
「それを今から言うところだったんだよ。まあ聞け」
ラプタはギュルの手招きで、あまり隙間の残っていないソファに体を詰め込んだ。
「ここにいる獣人全員が、記憶の中からクォーツという男を抹消している。が、アイツは私が認める天才で、この世界でも指折りの魔法使いだったはずだ」
「見た目からして胡散臭い感じだったけどね」
翔は姿を思い出しながら呟いた。黒豹に近い見た目と、真っ白な髪の毛のコントラスト。人間の形態になったとしても変わらない白い髪と柔和な表情。何よりもその目の奥で何を考えているかわからない人間としての不透明度。それらがかさなりあった記憶だ。
「ああ、私もアイツを信用していない。だが、お前らはともかくとしてギュル、お前が知らないわけがないほどの魔法使いのはずだ」
突然指名されたギュルは驚きながらも、瞬時に申し訳ないといった表情を浮かべる。
「本当に申し訳ありませんムト様。全く覚えておらずでして……」
「いや、構わん。それが証拠足り得ているわけだからな」
「ちょ、ちょっと待ってムト。結論が見えないんだけど」
ムトは先行して何かを考えているようで、言語化が遅れたまま一人で先走っているように翔の目には見えた。
「……結論から言えば良いか。クォーツは、アイツは記憶操作魔法を使ってこの世界の住民全ての記憶から“クォーツという魔法使いの存在”を消している可能性が高い。そして、私にもその意図が理解できていない」
「そ、そんなことできるはずが……」
ギュルがふと呟く。翔にもわかるほどの常識はずれな発想だ。世界中の人間の記憶を書き換えてしまう。そんなことが可能であるとは当然思えない。
「そうだな。私もアイツ以外ならそれは考えなかった。だが、アレは桁違いだ」
「じゃ、じゃあその目的はなんなんだ。全員の記憶を消してしまっても、クォーツさんに得は……いや、まあ隠居したかったとかならあるかも知れないけど、その口調的にそうじゃないってことだろ?」
翔の疑問に対して、ムトは首をゆっくり縦に振る。
「ああ、だが、私にもそれがわからない。だが、わからないことを今わかった」
ゆっくりとムトが側頭部に翼を当てると、次の瞬間にその反対側から閃光のようなものが弾けた。緑の火花のようなものだ。
「私がわからない理由も、クォーツに記憶を操作されたからだ。今見せたものは、私の中に巣食っていた記憶操作魔法を可視化させたもの」
「じゃあ、今ならわかるとか……」
「いや、そうとは限らねぇよ」
突然口を開いたのはラプタだった。
「記憶ってのは、その人間の結びつきだ。原理もわからねぇし、どうやってやんのかすら俺には想像がつかねぇが、その結びつきをあえて変質させる魔法……つまり記憶操作の魔法があるとすんなら、それは不可逆でしかねえ。元の形に戻そうにも、その形が記録されてねぇんだからな」
「詳しいじゃないか」
「ま、俺ら三人の中だと俺が一番魔法ができたもんでね」
意外だ、と翔は思いながらラプタの自慢げな表情を眺めていた。
「で、まとめるとなんになるわけ? ムトたちの記憶を作り変えて、あのクォーツって人は何をしたかったのさ」
「なんでも」
「なんでもって……」
「もちろんさっきお前が言ったように隠居の可能性がある。他にも、日本……あー、カケルが住む世界に移動するにあたって、痕跡を消したいミニマリストの可能性も、ビーチの砂粒程度には存在するわけだが、逆の可能性もあるな」
逆の可能性、と翔が問う前にムトは続ける。
「たとえば、贖罪。いや、この場合は罪の帳消しか。それも、世界中の人間から記憶を消さないといけないほどの」
ムトの言葉は荒唐無稽でありながら、なぜかその言葉が正解のような気がしてならなかった。
「もちろんそうだという確証はない。それどころか私の考察が当たる確率も低いほどに他にも色々な理由が考えられる。だが、それでも事実としてわかることは一つ。記憶操作されてしまったとしても、それ以前に本に書かれたものであればどこかに記されたものとして残っているかもしれない。いや、見つかるとは思えんがな」
ムトがそう呟いて、天井を見上げた。
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