6 疑念

 隣の檻から聞こえた言葉。

「昭和63年ってなに?転生して、タイムスリップしたってこと?」

 実はこれ、日本語で聞こえたものではなかった。


 音に直すと「ワウワ、ワン?キューン」みたいな感じ。

 でも意味は100%理解できた。


 たぶんだけど、これって犬の言葉、つまり「犬語」なのではないだろうか。

 当然だが俺も犬だし、共通原語がわかるってことか。

 犬同士って犬語で会話できるんだ、と少し感動。


 そんなことより気になるのは、言葉の内容だ。

「転生」と「タイムスリップ」は、俺にも共通する現象だ。

 ということは、つまり、この茶色のトイプードルも「元人間」ってことか?

 俺と同じく「転生者」ってことか?


 ちなみに、トイプードルはメスだ。

 犬の本能なのか、相手がオスかメスかは一目でわかる。

 いや目で見極めているというより。鼻で嗅ぎ分けているのかもしれない。

 とにかく直感的にオスメスの判断がつくのだ。

 まさか犬にそんな特技?があるとは思ってもみなかった。


 さてさて、どうしようか。

 話しかけてみようか?


 そう思ったが、なにせ生まれ変わって初めての女性(メス犬)との会話。

 人間時代も若干苦手だったが、何と話しかけたら良いのか見当もつかない。

 ということで、知らんぷりしながら横目でトイプードルを観察する。


「昭和63年ってことは、西暦だと、ええと……1993年?」


 違うだろ、1988年だよ!

 思わずツッコミそうになったが、ガマンガマン。


「私が産まれるだいぶ前だよ。どーすんのこれ」


 うん、どうしたもんかね、俺もそう思うよ。

 それにしても彼女「産まれるだいぶ前」とはもちろん人間時代の頃だろうが、だとしたら俺よりかなり年下だということになりそうだ。


 そこでふと気づく。

 彼女の犬語がわかるなら、他の犬の言葉をもわかるんじゃね?

 だが残念ながら、他の子犬たちはみんなスヤスヤ夢の中だった。

 よし、これは明日確かめてみよう。

 今は彼女の独り言の研究タイムだ。


「はあ。しかも犬だし。毛チリチリだし……はうっ?」


 急にトイプーの彼女は体を震わせた。


「や、ヤバイ。で、出そう」


 出そうとは、オバケか?

 いや普通に考えると、生理現象のことだろう。

 檻の中だとトイレがない。つまり、自分の近くでするしかないのだろう。

 俺はまだ大丈夫そうだが。


 でも彼女は元人間、しかも女性。当然羞恥心があるだろう。急に落ち着きをなくし、しばらくは我慢していように見えた。

 だがじきに檻の中をくるくると回り始める。


「も、もう、我慢できない」


 そう言うと彼女は、周りを見渡した。

 俺と目が合う。

 トイプードルの彼女は、俺に大きく吠えた。


「バウ!!(こっち見んな!!)」


 声がでかくて思わずビビった。

 でも確かにそうだな、トイレを見られるのは元人間には耐えられないよね。

 俺は慌てて顔を背ける。


 じきに、ほかほかとした湯気とニオイがあたりに立ちこめた。

 こんな時になんだが、多分犬の特性だと思うんだけど、ニオイを嗅いだだけでメスだ!とやっぱりわかる。

 俺が人間時代に飼っていた犬のモップ、あいつもメス犬のニオイをよく嗅いでいたが、こういうことだったのかもね。


 さて、トイレも終わったし。トイプーを見て観察を続けよう、とゆっくり彼女をみてみると。

 なんと、彼女が俺をじっと見ているではないか。

 再び目が合ってしまった。


 最初に断っておくが、俺がオス犬で彼女がメス犬だからと言って、彼女を意識したりとかそういうのはなかった。

 元人間だからなのか、それとも俺も彼女も幼犬だからなのかわからないけど。

 これって発情期が来たら、どうなっちゃうんだろうな。


 とにかく彼女は、俺をジーッと見つめている。


 俺はというと、なんだか目を逸らしたら負けだと思ったわけでもないけど、見つめ返した。

 トイプードルか。

 俺の近所でも飼っている人がメチャメチャいたな。

 確かここ10年ほど、1番の人気犬種だったよな。

 そんなことを考えていると、彼女が再び独り言を言い出した。


「うーん、ポメラニアンか。そっちの方が毛も長いし、寒くなさそうで良かったかもねー」


 ん?確かに冬だと長い毛の方があったかそうだよね。

 でも俺の飼っていたモップも長い毛だったけど、夏は地獄!って感じだったよ。

 短くカットしてあげた時もあるけどさ。


 俺の観察に飽きたのか、トイプーさんは「伏せ」の体制になって続けた。


「ここ、ドコなんだろ。窓の外見てもどこだかわかんないし。東京かなぁ。あんまり東京わかんないんだよね」


 彼女は東京に詳しくないようだ。

 ということは、少なくとも東京住まいではないってことだろうな。


「……私、どんな人に買われるんだろ」


 おっと、俺はまだそこまで考えたことはなかったな。

 いや、今日気づいたばかりだから仕方ないか。

 確かに飼い主によってペットの幸福度はまったく違ったものになるだろう。

 俺も考えておかなきゃな。まあ考えても仕方ないことでもあるんだろうけど。


「……ママには、2度と会えないんだろうな」


 そう言うと、トイプーさんは俯いて静かになった。


 そうだ。

 俺も嫁と子供がいたけど、多分2度と会うことはできないんだろうな。

 俺も思わず俯いてしまう。


 いや待てよ。

 過去にタイムスリップしたということは、当時というか、この時代の俺もいるってことか?

 犬ではなく「人間だった俺」がどこかにいるのかもしれない。


 タイムパラドックスとかどうなるんだろ?

 いや元の俺は人間だし、今の俺は犬。

 同じ時代に同じ人間が二人いることにはならないので問題はないのか?

 これに関しては、今は考える材料が少なすぎる。

 あらためていつか考えてみよう。


 再びトイプーに目を向けると、いつのまにか眠ってしまったようだ。

 茶色い胸を小さく上下させてながら、伏せの体制で目を閉じている。

 子犬のトイプーは可愛いなぁ。

 いや変な意味じゃなく、普通に犬を飼っていた元人間の感想だ。幼犬が嫌いな犬好きなど一人もいないだろう。


 そんなトイプーの幼犬が、実は人間の転生者で、多分俺と同じ時代からタイムスリップしてきたらしい、ということがわかった。

 同時期に二人(二匹)も転生&タイムスリップ、そんなことって起こるのだろうか。いや、現に起こっているのだ。もっと情報を集めなければならないな。

 二匹いるなら、他の犬もいる可能性が高い。

 明日、ペットショップで他の犬をよく観察してみよう。

 そんなことを考えているうち、俺はいつしか眠りに落ちていたらしい。


 夢の中、俺は茶色いトイプードルと草原を駆けていた。犬にとっての幸せって草原を駆けることなのかねえ、なんて夢の中で冷静に考えながら。

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