76 新二子橋の戦い
東京都世田谷区と神奈川県川崎市高津区の間に架かる、国道246号線の橋、新二子橋。その下の河川敷が今回の戦場だった。
チャトランと俺がその場所に着く前に、すでに河川敷には多数の動物たちが倒れていた。その骸の跡を辿っていくと、そこには首元を噛まれて虫の息となっているゴールデンレトリバーのタロウが倒れていた。
「タロウ! 大丈夫か?」
「……ああ、モフくん。僕は、平気だよ。こう見えても、丈夫、なんだ」
息も絶え絶えにタロウが言う。とても平気には見えない。
「チャトラン! 薬は? なんとかならないか?」
「すぐに18地区の救護班が来る。だが、まずは止血しないとな」
チャトランがタロウに近づき、舌でタロウの傷を舐める。チャトランの虎柄の口元が、すぐにタロウの血で染まっていく。タロウは荒い息をしながら、苦しげに呻き声を上げた。
「チャトラン、タロウのことは頼んでいいか? 俺はあっちに向かわないと」
遠くに見える新二子橋の下に、多数の動物たちが争っているのが遠目に見える。たぶんあそこに
「モフ、気をつけて」
チャトランが心配そうに言う。頷くと、俺は再び駆け出した。
橋の下は、見るも無惨な状況だった。数十匹の犬、猫、カラスや他の動物が苦しそうに呻き声をあげて横たわっている。まさに死屍累々といった様子だ。
その先に
そのすぐ横には、チワワの戦士くーちゃんとウシダ師匠。だがそのうち2匹はすでに満身創痍だった。
ウシダは左半身を噛まれたらしく、噛み跡に沿って血が流れ出している。
ボルゾイのアレキサンドルは全身の毛が乱れ、体に数箇所の生傷がつけられ、荒々しくゼエゼエ息をしている。
そして動物軍の頼みの綱である戦士・くーちゃん。彼は一見無事だが、
俺は味方3匹の近くに駆け込むと、ウシダを庇うような体制で
「黒煙、俺が相手だ」
「おお! ブルブル勇者くんじゃねえか。遅かったな」
黒煙はニヤリと笑い、俺の方に向き直った。
「モフ殿! 危険です。そいつは私が……」
アレキサンドルが言い終わらないうちに、俺の前に立っていたはずの黒煙の姿が消えた。
だが次の瞬間「ギャン!」と大きな声が後ろから聞こえる。
慌てて振り向くと、アレキサンドルの左後ろ足に黒煙が噛みついていた。
そのまま黒煙が首をもたげると、アレキサンドルは左足を引っ張られ、地面にドン、と叩きつけられた。噛まれた左足から、ドクドクと血が流れ出している。
「せっかく勇者くんとの楽しい会話に、水を差しやがってよぉ!」
言いながら黒煙は右足を大きく持ち上げると、倒れ込んでいるアレキサンドルのやわらかな腹部に思いっきり振り下ろした。
「ギャイン!」
アレキサンドルは絶叫すると、そのままピクピクと体を振るわせ、動かなくなった。
「やめろ! 俺が相手だと言ってるだろう、黒煙!」
黒煙は再び俺に向き直ると、チラリとチワワのくーちゃんを見る。
「ハッ、お前らの作戦は大体読めるぞ。お前が得意の合気道とやらで俺を引きつけ、隙を見てそのちびっこワンちゃんを俺に突進させるつもりだろう?」
図星だった。以前俺たちに襲いかかった、巨大アライグマのガスカル。あいつを倒した時にようにするしか、俺たちに勝てる方法はない。だが事前に情報を得ていたのか、黒煙は余裕の笑みをこちらに見せる。
「まあわざと隙を見せて、そのちびっこのパワーを確かめるのもいいんだがな。今日は恭子さんも見ていることだし、確実に1匹ずつ葬っておこうか」
恭子さん? 俺は周囲を素早く見渡す。
すると新二子橋のたもとに、真っ白いスーツを着た、トサカ頭の長身美女が立っているのが見えた。あれは、確か黒煙の飼い主で、黒煙と話をしているように見えた女性だ。
その女は、やたらと細いタバコをふかしながら、夜なのにサングラスをかけてこちらの成り行きを見ている。
「バウバウ!(恭子さん、勇者くんが来たから、あと5分待ってくれ)」
黒煙はその女に向かって吠えた。すると恭子は、ゆっくりと紫煙を口から吐き出しながら言う。
「
「こいつは生け捕りだ。あのちびっ子とカエル、あとあの死に損ないは殺すけどな」
余裕げな声で、さも当然と言わんばかりの口調の黒煙。
「そうなんだ。魔王様の命令?」
「ああ、コイツは殺すな、と強く言われている」
どういうことだ? 俺は黒煙と恭子の会話を聞きながらも、少し混乱していた。
魔王の命令で、俺だけは殺さず、生け捕りにする命令が出ているらしい。だけどそれはなぜだ? どうして魔王は、わざわざ俺だけを生け捕りにする必要がある?
だが俺の思考はすぐに遮られた。
「だがな、ブルブル勇者くん。五体満足で連れてこい、とは言われてない。足の数本は折るか、噛みちぎるかして連れてってやるよ」
ニタリ、と牙をむき出しにして黒煙は俺に言う。
「それはどうかな? 俺に簡単に勝てるとおもも、思うなよ!」
精一杯カッコよく言ったつもりだったが、震えて語尾を噛みまくってしまった。ヤバイ、また体が完全に黒煙を怖がってしまっている。くそ、こんな時に。
もう俺は最弱ではないはずなのに。体が、ポメラニアンのこの体が、黒煙を本能的に怖がってしまっているのだ。
「では、やるか。どうする? 俺から行くか、お前から来るか?」
正面に対する黒煙の立ち姿に、隙は全く見られない。どうする? こんな時はどうすればいい? 俺は合気道の師匠である汐田剛次の言葉を思い出した。
◇◇◇
日が差し込む、昼前の汐田道場。俺とサバトラは伏せの体制で、あぐらをかいて座っている汐田の話を聞いていた。
「いいか、スピ公にシマ猫。もし隙が無い相手を前にしたら、どうすればいいと思う?」
「クウ〜ン(いやおっちゃん、そんなのわかるわけ無いじゃん)」
「ニャ〜ゴ(僕もわからないニャ)」
悲しげな表情をして首をかしげる犬と猫。会話ができない人間と動物、ジェスチャーは重要なコミュニケーション術となる。
「ハハハ、そりゃわかんねぇよな。まあ、答えは簡単だ。自分がわざと隙を作り、相手に攻めさせるんだ。もちろん『わざと隙を作る』わけだから、相手が狙ってくるところはわかっている。そこを、攻めるんだ」
◇◇◇
黒煙にバレないように、わざと隙を作る。その隙を突いてきたつもりの黒煙を、合気道の技のどれかで転ばせたり投げたりする。それだ、それしかない。
俺は汐田と何度も練習をした足運びをする。まるでこれから相手に攻め込むように、でも隙だらけに見えるように、だが本当はわざと作った隙であるように。
ゆっくりと俺が動き出したのを、黒煙は目を細めて見つめていた。
俺は目の端でとらえた足元の小石に意識を集中する。
これだ、この小石に俺がつまづいたように見せて、自分の体制を崩す。きっと黒煙はすぐに襲いかかってくるだろう。その動きを読み取り、攻撃を仕掛ける。よし、作戦は決まった。
俺は黒煙に意識を集中して足運びをするように見せかけつつ、足を小石に乗せ、わざと体制を崩す。
「ガルルルル!」
途端、黒煙が俺に飛びかかってきた。よし、狙い通りだ。
黒煙が俺に飛びかかってくる放物線の先を一瞬で予測して、俺は体を入れ替えよう。そして黒煙の飛びかかってくるエネルギーを利用して、ヤツの足に噛みつき、そのままぶん投げてやるんだ。
だが。
黒煙の動きは、俺の予想の遥か上を行っていた。
俺が体を入れ替える前に、ヤツの右前足が俺の胴体を押さえ込む。黒煙の尖った爪が、背中にめり込んでいく。
「ギャワウン!」
次の瞬間、俺は黒煙の右足の下にねじ伏せられてしまった。黒煙は足をぐりぐりと動かす。俺の背中にめり込んだ爪が、徐々に熱を持つかのように感じられる。端的にいえば、激痛が俺の背中から全身に広がっていく。
「キャウン!」
動けない。まったく、動けない。しかも痛い、痛すぎる。
黒煙との戦いは、わずか10秒足らずで終わってしまいそうだ。それも、俺の圧倒的な敗北で。
「さあ勇者くん、どの足を噛みちぎって欲しいんだ? それとも尻尾がいいか? それとも、可愛い耳がいいかな?」
ブルリと俺の全身が総毛だった。ヤバイ、殺される。いや殺されはしまいが、死ぬまで一生どこかの部分が欠損させられてしまいそうだ。
だがその時、小さな塊がこちらに向かってくるのが目の端に見えたかと思うと、その塊が俺の上にのし掛かっていた黒煙に激突した。
ドスッ、という大きな音がしたかと思うと、フッと俺の激痛がやわらぐ。黒煙が俺の上から消え去ったのだ。
「モフ、ダイジョブか?」
カタコトだが、頼もしいその一言。
それはもちろん、小さなチワワ戦士・くーちゃんの一言だった。
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