77 戦いの切り札

 絶体絶命のピンチを救ってくれたのは、小型犬チワワの戦士・くーちゃん。

 チベット犬の黒煙ヘイヤンが俺を組み伏せ、一瞬だけ油断した瞬間を待って飛び込んできてくれたようだ。


 俺はすぐに地面から起き上がる。背中に爪を立てられ負傷した痛みがジンジンと広がる。液体が背中を伝っている感覚もあるので、たぶん出血しているのだろう。だけど、この機会を逃すわけにはいかない。


「くーちゃん、助かった」


 感謝を短く伝えると、俺はくーちゃんにぶっ飛ばされた黒煙を探す。

 黒煙は俺たちから10メートルほど離れた場所に横たわっていた。


 チベット犬の成犬は体重80キロにも達するが、黒煙はそれよりも上回る体格で、およそ100キロ近い体重がありそうだ。


 なのに、その黒煙を10メートル近くもぶっ飛ばしてしまう、くーちゃんの底知れないパワーにあらためて驚く。もし俺がぶっ飛ばされたら、それこそ空の彼方まで飛んでいってしまいそうだ。


 だが。黒煙はすぐにムクリと起き上がった。少しよろめいていたが、どこかに不調があるような動きには見えない。

 黒煙はブルブルブルと首と体を震わせた。あ、気持ちを切り替えているな。


 説明しよう。

 犬が濡れた体の毛から水分を飛ばす時のように体を振る時は、何か嫌なことや不安なことがあったとき、気持ちを切り替えたいという気持ちから自然に出るしぐさである。

 また一説では、体の緊張感をゆるめ、リラックスした状態にしたいため、とも言われている。


 体を震わせたあと、黒煙は俺とくーちゃんの方を向き、10メートルほどの距離を保ったまま言った。


「結構、効いたぜ。さすがは戦士、といったところか」


 チワワのくーちゃんは、何事もなかったかのようにじっとその話を聞いている。だが、そのこめかみがピクピクと震えているのが見て取れる。

 くーちゃんの全力の突進を受けたのに、ダメージがほとんど無いことに危機感を覚えているのかもしれない。


 のそり、のそり。黒煙が少しずつ歩み寄ってくる。

 くそ、どうすればいい? きっと黒煙は2度と油断することはないだろう。となると、くーちゃんの奇襲はもう使えない。たとえ再び攻撃を加えたところで、あまりダメージは与えられないだろう。


 そして、黒煙はくーちゃんの目の前に立ちはだかった。大型犬の黒煙と、世界最小犬種のチワワ、その体格差は笑えるほどに大きい。


 そのまま、じっと睨み合う2匹。手を貸さなくてはとは思うが、2匹間のビリビリと緊張した様子が、他者を寄せ付けない空気を発している。俺もまるで金縛りにあったかのように動けなかった。


 勝負は、一瞬でついた。

 目にも止まらぬ速さで繰り出した黒煙の右足を、これまた見えないほどのスピードで払うくーちゃん。


 だが黒煙の右足攻撃はダミーだった。黒煙の右足を全力で払おうとしたくーちゃんの左足は虚しく空を切り、体制が崩れた瞬間、黒煙の左足がくーちゃんの後頭部に振り下ろされた。


 ゴツン。大きな石が割れたかのような大音声が周囲に響いた。その音の発信元であるくーちゃんは、まるで地面にめり込むように黒煙の足元にねじ伏せられていた。


「く、くーちゃん!」


 俺の体を動けなくしていた金縛りが解け、俺は大声を上げながら2匹の元へ駆け寄る。もちろん俺のその行動は、愚かそのものだった。


 またしても目にも止まらぬ速さで黒煙が目前から消えたかと思うと、俺はまるで生まれたての子猫が親猫に運ばれるように、黒煙の口に首元を噛まれて宙に浮いていた。


 俺の首からミシミシという嫌な音がする。そして、それに伴う激痛。

 俺は横目で地面にめり込んでいるくーちゃんを見るが、完全に気を失っているようだ。万事休す。


 だがそこに、今まで息を潜めていた「もう1匹」が降ってきた。

 比喩ではない。空から、大ジャンプで飛び上がったウシダが降ってきたのだ。


「喰らえ!」


 ウシダ師匠のジャンプ力を活かし、空中から慣性をつけて放つ必殺のキック攻撃が、黒煙の顔面にクリーンヒットした。


 だが、その攻撃は黒煙に何一つダメージを与えられなかった。

 黒煙は俺を咥えたまま、尻尾でウシダを打ち払った。


 ベシャ。嫌な音を立ててウシダが地面にへばりつき、そのまま動かなくなっった。


 これで17地区、18地区のリーダーが共にやられた。唯一ダメージを与えられるはずの戦士は土にめりこまされ、勇者という大層な名前のポメラニアンは首元をガッチリと噛まれ、あとひと噛みで絶命という状態。


 もう、ダメだ。俺の合気道の修行なんて、何ひとつ、魔王の四天王たるチベット犬・黒煙の前には通用しなかった。


 何が、勇者だ。こんな小さいポメラニアンが、魔王なんて超越的な存在と戦えるだなんて、思い上がりも甚だしかった。すべて、無駄だったんだ。


 俺はゆっくりと目を閉じた。どうせ人間時代に一度は死んだ身だ。いっそのこと、生かしておくなんて言わず、このまま死なせて欲しい。魔王のところに連れて行かれるななんて、真っ平ごめんだ。もう、楽にしてくれ……


 そんな考えがぐるぐると巡り、俺はただ自らの命が途切れる時を待っていた。


 だが。


「待たせたわね、二の家来」


 こんな状況だというのに優雅にすら聞こえる、綺麗な声。

 目を開けると、そこには青いバンダナを咥えた、毛並みのフサフサしたシェトランド・シープドッグ、アフロディーテが立っていた。


「私ったら相棒に指名されていたのに、本当に遅れちゃったわね」


 あくまでも優雅に、ゆっくりと。まるで中庭のサロンで紅茶を飲みながら話をするように、アフロディーテは続けた。


「でも間に合ったみたいね。さ、行くわよ」


 俺をくわえていたチベット犬、黒煙の歯が俺から離れ、俺は地面にべたりと落下する。


「ハハっ、これまた可愛らしい相棒がやってきたもんだな。お前、俺と戦って勝てるとでも思ってるのか?」


 黒煙は吠えるように、あざけりの声をかける。


「嫌だわ。あなたみたいな汚らしい獣の相手、私がすると思って?」


 黒煙はピタリ、と動きを止めた。アフロディーテの言葉が、あまりにも意表をついたらしい。


「姫を守るのは、家来の仕事よ。さあモフ、これを!」


 アフロディーテは俺の近くに駆け寄ると、くわえていた青いバンダナの中から、白い玉を取り出した。


 それは俺が皇居で手に入れた、俺たち動物軍の『切り札』だ。


「さあ、飲み込まないように気をつけて、口に含みなさい」


 俺に答えるいとまも与えず、アフロディーテは俺の口に『切り札』を押し込んだ。


 途端。


 体の奥底が、熱く、熱くたぎる。

 体の内側が、燃えるように熱い。

 体の表面全体が、皮膚が破れるように痛い。


 俺の体が、俺自身でなくなるような感覚だ。


「ギャオーーーーーーン!」


 知らず、俺は天に向かって絶叫していた。


「な、なんだと!? それはもしや、『進化の秘宝』か! クソォ!」


 黒煙が、悔しそうな声で絶叫する。


 ふと気づくと、体高80センチはある黒煙と、俺の目線が同じ高さになっている。

 これって、もしかして……


「成功ね、二の家来。あなたは進化の秘宝により、進化して『サモエド』になったのよ。これであの汚い犬には負けないでしょう」


 なんてこった。

 俺は小型犬のポメラニアンから、大型犬の『サモエド』に進化したらしい。

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