78 サモエドの戦闘力

 なんてこった。弱いけど小さくて可愛い俺、ポメラニアンが!

 可愛いけど、すごくでっかい大型犬の『サモエド』に進化してしまったらしい。


 説明しよう。

 サモエドとは、ロシアのシベリアを原産地とする犬種で、大型犬である。

 体高は60センチ、体重は30キロにも達し、日本スピッツやポメラニアンの祖先とも言われている。


 つまり俺の進化は、種族の『先祖返り』だということだ。


 しかも俺のサイズは、通常のサモエドよりふた回りは大きそうだ。なんたって、体高80センチものチベット犬と目の高さが同じなんだから。


 さらに、進化した俺自身がわかることが二つある。


 一つは、先ほどまで黒煙にやられた傷がすべて無くなっていること。これはおそらく、進化する過程で傷が「なかったこと」にされたのだろうと思う。


 もう一つは、根拠はないが、体から湧き上がってくる『力』の、恐ろしいほどの強さだ。


 土佐犬を一撃で噛みちぎり、ボルゾイをあっという間に戦闘不能にし、戦士くーちゃんを地面にめり込ませた、魔王四天王・黒煙の圧倒的なパワー。


 だが今の俺なら、黒煙など敵ではない。根拠はないが、そう感じる。コイツなど俺の敵ではない、ということを確信できる。なぜかはわからないが、間違いない。


「さあ、あの汚い獣を倒しなさい、二の家来よ!」


 アフロディーテは高らかに命令すると、自分はずっと後方まで下がり、安全地帯でこちらを見ている。まったく、これだからお姫様は……


 でも、悪い気はしない。

 あの汚い獣、黒煙ヘイヤンを今こそ倒そう。


「くそ、進化の秘宝を持っていそうなヤツは全員倒したと思っていたが、まさかあんな奴が持っているとは……」


 悔しそうにつぶやく黒煙。その黒煙に、白いスーツ姿の人間女性、恭子が厳しく声をかける。


黒煙ヘイヤン! 『進化の秘宝』を勇者に使われるのは予想外の事態だわ。ここは退くべきよ」


 その女性、恭子を見ながら薄く「グルルルル……」と唸っていた黒煙だが、突然大きく「バウ!」と吠えると、俺に向かって駆け出してきた。


「ガウッ!バウバウ!(心配いらねぇ! あんなヤツ、すぐに噛み殺してやる!)」


 さっきまでの余裕はどこへやら、猪突猛進といったスタイルで俺に突進してくる黒煙。避けたりするのは簡単そうだが、今の自分の実力を、俺自身も知っておきたい。

 俺は後ろ足で立ち上がり、ガッシリと黒煙と組み合った。


 黒煙の口元から嫌な口臭が漂う。目が血走っている。その表情から、黒煙が全力で俺を組み伏せようとしているのがわかる。


 だが、遅い。さっきまでヤツの動きが見えなかったのに、今は余裕でヤツの足や牙を捌くことができる。


「くそッ、ブルブル犬がぁっ! 進化の秘宝だかなんだか知らねえが、喉笛食いちぎってやるっ!」


 必死の形相で俺の喉笛に牙を近づける。黄色く変色した犬歯が、鈍く光を放つ。

 その犬歯を目掛け、俺は右前足を思い切り打ち込んだ。


 ゴキッ。

 嫌な音と感触を右前足に感じる。ポメラニアン改めサモエドの俺のパンチは、黒煙の左の犬歯をへし折り、そのままフックショットとなって黒煙を地面に打ちつけた。


 わずか一発のパンチ。だがその威力は絶大だ。黒煙はピクピクと体を震わせながら、必死に起きあがろうとする。だが脳震盪を起こしているのか、一度立ち上がったあと、再び地面に倒れ込む。


黒煙ヘイヤンっ!」


 白いスーツの恭子が叫ぶ。その手に持っていた長いタバコは、すでにフィルター寸前まで火が届いているが、そのことに気付く余裕がないらしい。


 何者か知らないが、少なくとも魔王の手先に違いない。黒煙に近づこうとする恭子に、おれは一度「バウッ!(近寄るな!)」と威嚇した。


「ヒッ!」


 恭子はペタリとその場で座り込む。白いスーツのタイトスカートに、地面の泥が跳ねて模様をつけていくのが見えた。

 こっちは問題ない。あとは、黒煙にとどめをさしておこうか。


 黒煙に向き直った俺は、ゆらゆらと揺れながらも、なんとか立ち上がってこちらを睨みつけている黒煙の姿が見える。


「……黒煙ヘイヤン。お前、降参するか?」

「だ、誰がお前なんぞに……」


 そこまで言ったところで、再び黒煙は地面にドサリと倒れた。


 奴には悪いが、戦いの趨勢は決した。あとわずか一撃で、俺は黒煙を永遠に眠らせることもできるだろう。

 だが俺は、奴に聞きたいことがたくさんある。


 あの白スーツの、動物語を話す、恭子の正体。

 そして何よりも、魔王にまつわることすべて。


 それと、……あれ、もう一つぐらいあった気がするけど、なんだっけ?


 その時、俺の足元に素早い影が走り込んでくるのを俺は認識した。

 それは、タロウの看病をしていた虎柄の大猫、チャトランだった。


「おまえ……もしかして、モフなのか?」

「ああ、わかんないよな。進化の秘宝でこうなっちゃったんだ」

「……いや、大きいお前もカッコイイと思うぞ」


 言うなり、顔をプイッと背けるチャトラン。ちょっと、こんな真面目な場面でラブコメっぽい照れ方してる場合じゃないと思うんですけど?


「そんなことよりモフ、大変だ」

「どうした?」


 チャトランの言葉を聞く前に、俺はその『大変なこと』の意味、そして先ほど思い出せなかったことを思い出した。


「ガアアアアアアアアアアッ!!」


 周囲をつんざく、獣の咆哮。

 そうだよ、黒煙との戦いのせいですっかり忘れていたよ。

 府中競馬場から逃げ出してきた、本州一の猛獣のことを。


「ガアア! よお、元気そうだなぁ。すっかり大きくなって、俺は嬉しいぞ」


 以前会った時は檻の中にいた、ツキノワグマの球磨嵐くまあらしが、のっそりと歩きながら、俺に微笑みかけてきた。


「まともに戦えそうなヤツと会えて、俺は心底嬉しいぞ、ガアアアッ!」


 これはヤバい。大型犬には勝てるが、正直なところ、巨大なツキノワグマに勝てる自信はない。何しろウェイトが違いすぎるだろ。


 ならば、俺の得意な合気道を混ぜ合わせて……いや、以前会った時、あの球磨嵐くまあらしは俺の足運びを見ていた。

 つまり、俺の合気道は通用しない可能性も高いのだ。


 くそ、一難去ってまた一難か。今度こそ正念場だ。


 最弱ポメラニアン改め最強サモエドの俺は、覚悟を決めて巨大なツキノワグマに向かい、大きく吠えた。


「かかってこい、球磨嵐くまあらし!」

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