7 犬種

 翌朝。バックルームの鍵が開く音で目覚めた。


 部屋の照明がつけられ、入ってきたのは男性の店員。

 小太りでメガネをしているこの店員は、どうやら店長らしい。

 名札をつけると、そこに「ワンニャン王国 店長 犬飼」と印刷されている。

 なんともペットショップにふさわしいお名前だこと。

 ところでこの店の名前「ワンニャン王国」なんだね。

 ニャンの方は一匹もいないけど、違う店で扱っているのかな?


 しばらくして女性の店員も出社してきた。

 軽く挨拶をしコートを脱ぐと、犬飼店長と世間話を始める。

 名札には「ワンニャン王国 猫田」という名前が。

 マジかよ。

 二人とも苗字採用じゃないだろうな。いや、絶対そうだろう。


「店長、もうすぐクリスマスっすね。娘さんのプレゼント買ったんですか?」

「買ったよ、フラワーロック。娘はまだ小さいからな」


 説明しよう。

 フラワーロックとは、1980年代後半に世界中で大ブームを巻き起こしたおもちゃである。

 周りの音に反応し、花の形をしたおもちゃが踊るという、とくに意味はないのだが可愛らしい姿が日本中のそこかしこで見られたのである。

 今でも地方の美容院などの窓際で踊っている姿を見かけることもあるので探してみると面白いのである。


「店長、私にもなんかくださいよ、クリプレ!」

「既婚者でおっさんの俺が猫田ちゃんにプレゼントしたらダメだろ。彼氏と赤プリでも行けば?」


 説明しよう。

 赤プリとはこの時代にあった大人気ホテル「赤坂プリンスホテル」の略である。

 バブル時代、カップルがクリスマスを過ごす最強最高の人気スポットとされ、予約は1年前から埋まっていると言われるほどの超人気ホテルだったのである。


「彼氏なんて、ずっといませんよ……」


 悲しそうに猫田さんは言うと、立ち上がって仕事を始めた。

 猫田さんはちょっと地味な感じだけど、やっぱり彼氏いないんだね。

 動物好きな人に悪い人はいないっていうから、きっとそのうち見つかるよ!


 その後、犬たちは猫田さんに一匹ずつ運ばれていく。

 俺の順番が来て猫田さんに抱きあげられると、この日は窓際のアクリルケースではなく、店の奥側にある広い空間に入れられた。

 ここは多分、運動場というか遊び場だ。

 数匹の犬たちがうろうろしたり座ったり遊んだりしている。


 このシチュエーションはおあつらえ向きだ。

 他にも転生者がいないか観察してみよう。

 俺は運動場の片隅に歩いていくと、角に丸まりこむように伏せて他の犬を眺める。


 運動場には俺を除き、6匹の犬がいた。

 まず目についたのは、黒と白が混じったチワワの幼犬。

 なんだか震えているけど、チワワって確か体を震わせて体温調節をしているとか聞いたことがある。

 寒いんだろうか。


 黒白チワワは、ボール状のおもちゃで遊んでいた柴犬の幼犬の近くに行くと、いきなり右足でしば犬のおもちゃを奪い取ると、甲高い声で吠えた。

「お前のボールは俺のもの。俺のボールも俺のもの」

 なんだか聞いたことあるような典型的ないじめっ子のセリフだが、普通の人間はまずこんなことは言わない。


 ボールを奪われた柴犬は、にこやかな顔で白黒チワワをみると、デカい子声で「キャン!」と叫んだ。

「ねえ知ってるー?そのおもちゃは僕のなんだよー?」

 こっちもなんか聞いたことあるセリフが混じっている。

 ちょっとテレビ局とか広告代理店が怒りそうなセリフをいう犬たちだ。


 いや、正確にはどっちの犬も日本語で話しているわけではないので、もしかしたら俺が勝手に知っている言葉に翻訳しているだけなのかもね。

 とにかく、どっちも元人間って感じじゃない。

 犬だ。ただの犬の赤ん坊だ。



 運動場はアクリル板で囲まれているが、光の加減で自分の姿が映る部分もあった。

 その前に座り、ジーッと自分の姿を眺めている犬がいる。

 茶と白と黒が混じったシェトランド・シープドッグ。通称シェルティだ。

 幼犬なのにとても美しい毛並みと色の配合だ。

 シェルティはしばらくアクリル板に映る自らの姿を眺めていたが、しばらくしてポツリといった。


「あたちって、うつくちいわ……」


 おかしい。俺の嗅覚によると、このシェルティはオスのはずだ。

 それなのに「あたち」って。

 発言も赤ちゃん言葉ながらナルシズムに溢れている。

 ちょっとこの犬のことは放っておこう、なんだかヤバい感じがする。

 少なくとも元人間っぽくはないし。


 運動場の中央に、箱状の登れる部分があった。

 その上に、真っ白なフレンチブルがお座りしていた。

 幼犬なのに背筋がピンと伸びていて、なんだか凛々しい。

 そしてなぜか俺の嗅覚をもってしても、フレンチブルの雌雄はわからなかった。


 そして運動場の端に、こげ茶のミニチュアシュナウザー。

 俺のお隣さんだった犬だ。

 またしても眠っているが、そもそも起きていたのを見たことがない。


 そして最後に、元人間のトイプードルだ。

 明るい状態で見ると、彼女の色はアプリコット色。

 令和の世では一番人気の色だ。尻尾をぷりぷり振っていて、かわいい。


 彼女はしばらくウロウロしていたが、そのうちエサが入っている皿に近づいた。


 そう、エサの件を考えねばならん時がやってきた。

 俺は元人間。当然ドッグフードなど食べたことはない。

 人間のころは当然ながら匂いだけで判断すると、とっても食べる気は起きなかったシロモノだ。犬好きの人の中ではドッグフード食べる人もいるみたいだけど、俺はそこまではちょっと派だ。


 だが俺はいま、ポメラニアン。つまり犬だ。

 今の俺にとってドッグフードってどんな感覚になるんだろう?

 気持ち的にはあまり食べたくない。

 どちらかというと人間時代の好物だった豚汁かカレーが食べたい気分。


 トイプーさんは、エサの皿に近づくと……

 ためらいも何もなく、入っていた小粒のドッグフードを食べ始めた。

 一心不乱に、無我夢中で、がむしゃらに食べ続けた。


 うまそう。

 それが俺の感想だった。

 さっきまで豚汁だとかカレーだとか思っていたのに、何の味もなさそうなドッグフードを食べるトイプーさんが羨ましく思えた。


 気がつくと俺は、フラフラとトイプーさんの皿の前にいた。

 トイプーさんは怪訝そうに俺を見たが、ある程度腹が満たされたのか、皿の前から立ち去っていった。


 皿の中には、3分の1ほどドッグフードが残っている。

 見た目は俺のよく知るドッグフードだ。

 茶色というかオレンジというか単色で、決して食欲がそそられるようなものではない。


 はずなのに。

 お腹がグーッとなった次の瞬間、俺は無意識のうちに皿に顔を突っ込んでいた。


 うまい。

 歯応えはあるけど幼犬の俺でも噛み切れるほどの程よいソフトな柔らかさ。

 砕かれた粒の芳醇な香り。喉に流れ込む時のザラザラとした喉越し。

 どれも犬である俺の好みに合うものだった。


 どれくらいの時が経ったのか。

 10分か、それとも1時間か。

 いや多分10秒ほどでおれは皿のドッグフードを完食していた。

 意識がなくなるほど美味かった!


 ふう。

 俺ってすっかり、犬なんだなぁ。

 ドッグフードがうまくて満足だが、ドッグフードごときで満足してしまった犬の自分に悲しい気持ちも若干覚えていた。


 腹が満たされた俺は運動場の端に移動して座り、再び他の犬を観察する。

 すると1メートルほど離れたところで、俺と同じようにキョロキョロと他の犬を見ていたトイプーさんがポツリとつぶやいた。


「結構可愛い犬多いなぁ。ヤバい私、売れないかも」


 いやいや、君は可愛いよ。

 トイプードルなら大丈夫だろ、人気ナンバーワンだし。

 あれ、でもそれは21世紀のことか。

 この時代、昭和63年頃の人気犬種って何だったっけ?

 しばらく考えていたが、幼い頃から家で犬を飼っていた俺は「犬のひみつ」などの子供本も持っていたためか、記憶の片隅から人気犬種を思い出すことができた。


 確か1980年代の人気犬種ナンバーワンは、マルチーズだったっけか。

 ヨークシャテリアも人気だったことがあったっけ。

 あれは1993年頃だったか?


 説明しよう。

 ヨークシャテリアとはイギリス原産の小型犬で、1993年頃から大ブームになった犬種のこと。ちなみに人気の理由は、当時皇太子妃となった雅子さまがご実家で飼われていたから、という理由なのである。


 ついでに思い出した。

 この当時、トイプードルは人気じゃなかった。

 というかプードルはその独特のカット方法でよく知られていたが、トイプードルなんて当時は見たこともないような気がする。


 いや、そんなことはどうでもいいか。

 俺がいま考えるべきは、転生者でありタイムスリッパーであるこのトイプーに話しかけるか否か。

 それによって今後の犬生が変わってくる可能性もある。


 俺はしばらく迷い、話しかけた後のいろんなシミュレーションを頭の中で組み立てる。

 小一時間ほど悩んだのち、決心して俺はトイプーに近づいた。

 一言目は何にしようか。

 元々イケメンだったわけではないから、犬とはいえ女の子に話しかけるのは緊張するぞ。


(はじめまして。僕は元人間のポメラニアン。どうぞよろしくお願いします)


 いやおかしい。

 犬の姿で元人間って。事実なんだけど、相手はどう思うだろう。

 彼女も元人間だけど、きっと不審に思うだろう。

 しかも、しゃべり言葉なのにビジネスマンっぽい挨拶はどうなんだよ。

 もうすこし、くだけた態度がいいんじゃないか?


 とういことで、少しユーモアも交えて、しかも自分はいい犬だよ!と言ってみよう。

 うん、決めた。


「やあ!僕はポメラニアンのポメリン。わるい犬じゃないよ」


 トイプーは、犬なのにそれとわかる微妙な顔をして俺を睨んだ。

  



 ◇◇◇◇◇

「弱ポメ」をご覧いただきありがとうございます。

 もしこの作品を「少しでも先を見てみたい!」と思われたら、★評価とフォローをお願いいたします。創作の励みになります!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る