110 犬に生まれて本当に良かった!

 広い庭! たくさんの人! そして、優しい飼い主!


 転生したトイプードルである私ことプー、改め「真央」が飼われた家は、そんな家だった。


 瑠璃ちゃん(新しい飼い主で小学3年生だって!)との出会いのあと、私は白い服の人が店長のおじいさんにお金を渡すのを見て、やっと現実感が伴ってきた。


(私、もうここにいなくていいんだ。保健所に連れて行かれることも、ないんだ……)


 運搬用のケージはまだ手に入れていないらしく、白い服の人(大林さん、っていう名前なんだって)が私を抱いて運ぼうとしたら、瑠璃ちゃんが大声で主張を始めた。


「大林さん、ダメ! 私がマオちゃんを抱っこして帰りたいの!」


 大林さんは「重いけど大丈夫ですか?」って聞いたけど、瑠璃ちゃんは「大丈夫!」と譲らなかった。


 でも私も、もう小さな子犬ではない。多分生後半年近くにはなっていると思うけど、瑠璃ちゃんは必死に私を抱きしめた。


 正直、ちょっと怖かった。いかにも犬を抱き慣れていない感じだったし、やっぱり重そうだった。

 だけど、瑠璃ちゃんの体温や鼓動が伝わってきて、そんな怖さは徐々に薄れていった。


 思えば、犬に転生してから今まで、こんな風に愛情のある抱っこをしてもらったことは一度もなかった。


 ぎこちないけど、今にもずり落ちそうだけど……

 瑠璃ちゃんが私を愛してくれようとしている気持ちが、何よりも嬉しかった。

 思わず私は、瑠璃ちゃんの顔を舐めた。


「ひゃっ! くすぐったいよ、マオちゃん」


 幸せそうに笑う瑠璃ちゃん。この女の子の家で、私はこれから幸せに暮らすんだ。そう思うと、胸の奥がじーんと熱くなってきた。




 ペットショップを出て初めて気づいたんだけど、ここは小田原のお店だったみたい。白い服の大林さんが運転するトヨタのクラウンに乗って、後部座席には紫色のひげ面パパ(名前はまだわかんないけど、ヒゲパパって呼ぼうかな?)と瑠璃ちゃんと私が乗った。


 車内で瑠璃ちゃんはヒゲパパに、あれも必要、これも必要といろいろおねだりをしていた。聞いているのかいないのか、ヒゲパパは目を閉じていたんだけど、代わりに運転しているお大林さんが「お嬢様、それは私が明日買いに行ってまいります」と答えていた。


 それにしても、いま「お嬢様」って言った?

 リアルで「お嬢様」って呼ばれる人、わたし初めて見たかもしんない。


 車はしばらく海沿いを走った。この辺り、わたしには馴染みのある風景だ。だって私は人間時代、二宮町で生まれ育ったんだから。懐かしいな、久しぶりに海、行きたいなぁ。


 さらに車は海沿いを走り、やがて右側に江ノ島が見えてきた。この車、どこまで行くんだろ? なんて考えていると、今度は陸側に左折し、坂道を登ったり降ったりしていく。

 このルートだと、多分……鎌倉方面?


「マオちゃん、もうすぐおウチだからね。今日は一緒に寝ようね!」


 マジで、一緒に寝てくれるの? 昨日まであんなに絶望的な毎日だったのに、いきなり私のことが大好きな小学生の女の子と暮らせるなんて、ほんと夢みたい!


 たどり着いたおウチは、まごうことなき「豪邸」だった。

 周りを山に囲まれた場所に、長い塀があって、中心にある大きな門を潜ると、広大な日本庭園が広がっていた。


 何これ! 人間時代はボンビー生活だった私にはまったく無縁の、すごい大豪邸だよ〜!


 しかもですよ! なんとお手伝いさんというか、そんな感じの人が20人くらいいるんですよ〜! みんな白い上下の服を来ていて、大林さんはどうやらその人たちを束ねている立場の人みたいなんだ。


 紫のヒゲパパはこの家のご主人らしく、通る時にはみんなが頭を下げていた。なんだろ、すっごいお金持ちなのかな、この人!


「おかえりなさいませ、シュウソ様」


 ヒゲパパは白い服のお手伝いさんたちにそう呼ばれていた。シュウソさんっていう名前なんだね、ヒゲパパは。まあいいや、お金持ちでとにかく偉い人が、私を飼ってくれたということで! こまけぇことはいいんだよ!なんて私は思ってた。ウケる〜!


 なんだか心の中までウキウキしてきた。だってだよ? 昨日まで絶望的な暮らしだったのに、いきなりシンデレラみたいな生活だよ! きっとエサも美味しいドッグフード食べられそうだし、瑠璃ちゃんはいつでも遊んでくれそうだし、こんなにお手伝いさんがいたら、散歩だって毎日たっぷり連れてってくれそう!


 第一、この庭で遊んでいるだけでもチョー運動になりそうだよ〜〜!



 玄関を潜ると、そこは大きな大広間が広がっていた。大きさは、そうだね、小学校の体育館の半分くらい? 普通の家にこんな広い部屋があるなんて、お金持ちはすごいね〜!


 そして私は、瑠璃ちゃんの部屋に連れて行かれた。

 えっ、これが小学生の部屋なのぉ? って思うくらいの広大な部屋だった。何畳とか私よくわかんないけど、少なくとも私が人間時代にママと住んでいたアパートの部屋を全部合わせても、この部屋よりは狭いと思うよ。それぐらい大きな部屋に、大きな天蓋付きのベッドがどーん、って置いてあるの。瑠璃ちゃんて、ガチで大金持ちのお嬢様みたい。


「マオちゃん、ここが新しいお部屋だよ。明日ちゃんとトイレとかベッドとか買ってきてもらうから、今日は私と一緒に寝よ?」

「ワンッ!(いいよっ!)」

「ありがとう!」


 どうやら私の「ワンッ!」がちゃんと通じたみたいで嬉しい!



 その夜、私は瑠璃ちゃんに抱きしめられながら夜を迎えた。掛け布団はいかにも最高級と言った感じの羽毛布団だし、敷布は、これ間違いなくシルクだよね? めっちゃサラサラして気持ちいいよ〜


 あ、ベッドに入る前にちゃんとお風呂には入れてもらったから、もう私、臭くないよ? 思えば、生まれ変わってからお風呂に入れてもらった記憶がないから、お風呂入りたかったんだよね〜


 身体中スッキリして、スベスベの布団に包まれて、瑠璃ちゃんの体温を感じる。こんな愛情いっぱいの生活が、これからもずっと続くんだ……そう思うと、私は心から「犬に生まれて本当に良かった!」って思う。


 こんな私の幸せは、しばらく続いたんだ。


 でもね、うん。あまりにも唐突に幸せがやってきて、私は疑問を持たなくなっていたことを、のちに反省することになるんだよね。


 だってさ。私の名前、真央だよ? マオだよ?


 何でその名前を聞いた時「魔王」と結びつかなかったんだろうって。私ってほんとバカだと思う。


 でもね、仕方ないじゃん。この時は確かに、幸せだったんだもん。

 まさかこの数ヶ月後、私が「魔王」として覚醒するなんて、誰が予想できるっていうのよ?


 そのことを知っていたのは、この世でただ一人、アイツだけだったんだ。私はすべて、アイツの手のひらの上で踊らされていたに過ぎなかったんだ。


 だから私は、魔王としてやるべきことをしないと。

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