65 ナルシズムの権化

 魔王への宣戦布告は、毎日のようにテレビから流れている。


「ワウワウワウ、ワフーーン!」(進化した勇者がお前を倒す。魔王よ、かかってこい!)


 俺は佐藤家のリビングでそのCMを見るたび、自分のセリフなのにも関わらず、恐怖で体が縮こまるような感覚に襲われる。俺のCMを見て大喜びする友梨奈ちゃんや風太くんとは正反対だ。


 だが俺の予想に反し、CM放送から1ヶ月経った現在でも、魔王軍からの接触は何一つ無かった。俺は拍子抜けしていたが、先日会った多摩川18地区のリーダー、ウシダ師匠はこの事態をすでに分析済みだった。


「勢いに乗って襲ってきてくれた方がまだ良かったかもしれん。敵はたぶん、いろいろと作戦を練っておると思われる。いずれにしても、準備を怠りなく進めるしかないのう」


 多摩川18地区では、女帝チャトランを中心に軍の再編成を行い、3日に1度は俺が多摩川に夜中に赴き、合気道日本一の達人から教わった「合気道」の応用を若い動物達に教え込んでいる。


 そして、再び旅に出たという賢者ソースとサバトラからの連絡はまだない。スズメのチュン太が連絡役としてついて行ったらしいが、現在まではなしのつぶてだ。


 そして芸能界に引っ張りだこだった俺の芸能犬ライフだが、一通りの動物番組に出尽くしたあと、出演依頼は一旦落ち着きを取り戻している。月に2、3度、テレビのワイドショーなどが俺の散歩の様子を撮影しにくるぐらいだ。


 移り変わりの激しい動物業界で一旦トップをとった俺だが、寂しいもんだ。よく芸人で一発屋と呼ばれる人たちがいるが、俺も一発犬と呼ばれる日も近いかもしれない。



 そんなある日。この日俺は、佐藤家の中学生の長女である友梨奈ちゃんと散歩に出ていた。


「モフ、今日はあまり暑くないから、遠出しよっか?」

「ワフ!(いいねぇ!)」


 合意した俺は、いつもの散歩コースとは違う道のりを歩いている。バス通りを渡り、隣の学区の小学校前にやってきた。

 このあたりは、人間時代の俺の家があった場所だ。でも俺が住んでいた平成末期から令和のころよりざっと30年前のこの時代、周囲に家は少なく、畑がたくさん広がっている。


 それでも古くからの地主の家なのか、建っている家はどこも庭が広く、家も大きい。羨ましい、世田谷区の端とはいえ、土地を丸ごと売ったら1億円は下らないだろう。まあポメラニアンの俺には一切関係ないのだが。


 小学校沿いの細い道を友梨奈ちゃんと歩いていると、道の奥から1匹の犬を連れたおじさんが向かってきた。まあ珍しいことではない。夕方のこの時間、散歩をしている犬と会うことはしょっちゅうだ。


 やがてその犬とおじさんが俺と友梨奈ちゃんに近づいてくる。道が狭いので、自然その犬と近づくことになる。知らない犬だったが、そこは動物社会の掟、一回挨拶しておこう。


「ワン!(初めまして。モフと申します)」


 するとその犬は一瞬、首を軽く傾けてこちらをチラリと見ると、一言俺に話しかけた。


「あなた、まあまあね。56点よ。この辺の犬コロにしてはかわいいんじゃない?」

「は?」


 一瞬、何を言っているのかわからなかったが、どうやら「可愛さ採点で56点」をもらったらしい。


 ちょっと待て。自慢じゃないが、俺はこの平成元年で一番有名なワンちゃん、誰もが俺のCMを見て「カワイ〜!」と悶絶する、ポメラニアンのモフだぞ? その俺を捕まえて56点とはなにごとだ!


 と一瞬カッとしたが、そこは体は子供だが心はおっさんである俺。鷹揚おうように頷くと、その犬に向かって返答した。


「それは恐れ入ります。ちなみに、あなたは自己採点で何点なのですか?」

「98点よ」


 即答だった。その答えのあまりの清々しさに、おれはポカンとした。


「私は、誰よりも美しいの。あと2点は、まあ来月ぐらいにはあげてもいいわね」


 あげるとは、自分が自分に点数をあげるという意味だろうか。では来月には自己採点で100点の犬が爆誕するということなのか。こいつ、何者だ。なんだか、いろいろヒデェ犬だ。


「私はアフロディーテ。もうすぐ、世界一美しい犬になるメス犬よ」


 そこで強烈な違和感を感じた。実は俺、犬になってからというもの、特に犬ならオスメスの判断が一瞬でつくようになった。別にこれはスキルだとかそういう感じではなく、犬の強力な嗅覚による本能のようだと俺は思っている。


 その俺の嗅覚によると、目の前のこのアフロディーテという犬は、だと思うのだ。


 友梨奈ちゃんと、このアフロディーテの飼い主は、俺のCM話でなにやら盛り上がっているので、俺は感じた疑問をアフロディーテにぶつけてみた。


「あの、失礼ですがあなたはオス……」

「私はアフロディーテ。世界一美しいよ。何アンタ? ナンパでもしたいのかしら?」


 ああ、了解した。この時代では珍しいが、いわゆるワンちゃんの世界にもLGBTQの概念があるのだろう。目の前のこの犬は、生まれた性別はオスだけど、心はメスだと、そういうことなのだろう。


「それはすみません。ナンパではございません」

「わかればいいのよ、私の前で緊張してしまうのは仕方ないわ。だって、私って美しいもの……」


 何かが心にひっかかった。私って、美しい……どこかでこのセリフ、聞いたことがある気がする。俺は改めて目の前のアフロディーテを見直した。


 犬種は、シェトランドシープドッグ。色は白と茶と黒が入り混じって、全身くまなくブラッシングがかけられ、確かに綺麗な犬には違いないけど……

 そこまで考えた時、俺の脳裏にある情景が浮かんだ。


 子犬だらけの運動場。

 アホの柴犬、後に魔王の使徒だとわかるミニチュア・シュナウザー、後に仲間となるフレンチ・ブルドッグとチワワ。そして、そして、俺の最愛のアプリコット色の犬、トイプードルのプー。その中にいた、もう1匹の犬。


(あたちって、うつくちいわ……)


 あの時も違和感を感じていた。オスなのに「あたち」って何だ? って。

 もしかして。いやもしかしなくても、この犬。


「アフロディーテさん。あなた、六本木のペットショップにいませんでしたか、子犬の頃」

「六本木? ええそうよ。よくご存知ね」

「やっぱり! 俺、その時に一緒に運動場で会ったことがある、ポメラニアンです」


 じーっと見つめられる。何かを考えているような目だが、彼女(彼)から発せられた言葉は……


「知らないわ。私、自分の美しさにしか興味がないもの」

「あらまあ、徹底していらっしゃるのね」


 なんか俺まで女性言葉が移ってしまった。でも、もう一つ俺は聞いておかないければならないことがある。少し怖いが、必要なことだ。


 あのペットショップは、不思議な店だ。なにしろ、重要な犬が集まりすぎている。今日のアフロディーテとの出会いは偶然っぽいが、必然であった可能性も捨てきれないのだ。いま、確かめなければ。


「アフロディーテさん、あなた……魔王と関係はありますか?」


 再び、じーっと見つめられる。その眼差しに、動揺はない。知らないのか、それとも隠しているのか。俺は必死にその眼差しから情報を読み取ろうとするが、まったくわからない。


「魔王…………それって、私よりも、美しいのかしら?」


 ガクッ。ダメだこりゃ。どうやら本当に関係なさそうだ。俺の取り越し苦労だったみたいだな。


「失礼しました、あなたほど美しい動物なんて存在しませんよ、きっと」


 まあ、誉め殺ししておけば問題あるまい。俺のその言葉に機嫌を良くしたらしいアフロディーテは、表情を緩めて言った。


「まあ、あなた賢い犬ね。いいわ、私の二の家来にしてあげる」

「ははー! ありがたき幸せ」


 なんだこの茶番。そう思いながらも、俺はもうこの犬との会話に飽き飽きしていたので、逆らわないでこの場を去ろうと思っていた。


 だが、次に彼女(彼)が言った言葉は驚くべきものだった。


「私の一の家来は、あなた知ってるかしら? 賢者ソースというフレンチブルドッグよ。今は私の命令で旅にでているのよ」


 俺は目を丸くした。このナルシズムの権化のような犬の、一の家来が、賢者ソースだって? いったいどういうことだってばよ!

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