34 17地区のリーダー
物理的にどう考えてもおかしい。
3メートル弱の助走をつけた子犬が突進した相手は、体重およそ30キロの大型犬。本来、体重1キロ未満の子犬がぶつかってもビクともしないはずだ。
なのに、現実は逆だった。
ぶつかって行った方のチワワは、今も平然とした顔でレトリバーを睨んでいる。
一方ぶつかられたほうの大型犬、ゴールデンレトリバーのタロウさんは、きれいな放物線を描いて宙を飛んだあと、3メートルほど先にあった樹木の幹に体を打ち付けられ「キャイン!」と大声を出したと思うと動かなくなった。どうやら気絶したらしい。
「俺のものは、俺のもの」
チワワがポツリと言う。まただ、またあのセリフだ。なぜこの場面でそのセリフなんだ?
今の対戦の結果は信じられないが、一番信じられないのはこのチワワの思考だ。何を考えているか、俺にはさっぱり理解できない。
だがそのチワワの前に、今度は体長70センチもあろうかという大型犬が立ちはだかった。
大型犬ボルゾイの、アレキサンドルさんだ。
「ずいぶんおイタする犬だな。世間の広さを教えてやる」
黒白のチワワはボルゾイを睨みつける。同じ犬同士とは思えないほどの体格差にも怯むことなく、すぐにボルゾイに向かって駆け出した。
そしてボルゾイまで50センチほどのところで、全力でジャンプしてボルゾイの胸に突進する。
あの攻撃はヤバいぞ、ついさっきも体格差のあるゴールデンレトリバーがぶっ飛ばされたばかりだ。ボルゾイの体長がいくら大きかろうと、体重はレトリバーと似たり寄ったりだろう。なら、またぶっ飛ばされてしまう。
だがボルゾイは自分の体にチワワが当たりそうになる直前、右前足をチワワのアタマ目掛けて素早く動かした。いわゆる犬パンチだ。
勢いのある突進に直接対すれば、その勢いを殺すのは難しい。だが力に逆らわず、横から力を加えれば意外に簡単に力を逸らすことができる。合気道の原理だ。
宙を飛んでいたチワワは、ボルゾイの前足によってバシリと地面に押さえつけられた。間髪おかずボルゾイはチワワの首を咥え、獲物を捉えた猟犬のようにブラリとぶら下げた。
「お、お前のものは俺のもの。俺のものは……」
チワワのくーちゃんは決め台詞を全部言い終えることができなかった。ボルゾイは首をブンと振ると、チワワを遠くに投げ出したのだ。
70センチほどの高さから思いっきりぶん投げられた小型犬にとってはひとたまりもない。しかも運悪く、落下した場所は草むらではなくアスファルトで舗装された自転車通路だった。
「キャン!」
大きな悲鳴を上げると、チワワは道路にベローンと伸び切った。どうやらこちらも気絶したらしい。
「くーちゃん!」
それまで焦点が合わない顔でボーッと対戦を眺めていた海老名のおばあさんが、弾かれたように動き出して気絶しているチワワを抱えこむ。
「くーちゃん、どうしたの? 具合悪いの? すぐにお家に帰りましょうね」
おばあさんはそのまま、海老名のご主人に声もかけず立ち去って行った。
ボルゾイのアレキサンドルさんは、倒れているレトリバーの側で、タロウさんの顔を舐めている。
「あ……」
その光景を見た時に思い出したのは、トイプードルのプーの姿だった。
俺が気絶していたとき、同じように俺の顔を舐めてくれたプー。あの時はまさか、その夜限りで二度と会えなくなってしまうなんて思いもしなかった。
「う、うん…… あ、すみません、アレキサンドルさん」
「油断したな、タロウ」
レトリバーのタロウさんはゆっくりと体を起こし、よろよろと立ち上がった。
「……あの子犬は、どうなったんですか?」
「ああ、俺が倒した」
「ほんとですか? さすが多摩川17地区のリーダー! 頼りになります」
あ、そうなんだ。多摩川18地区のリーダは、ウシガエルのウシダ師匠だが、この地区はボルゾイのアレキサンドルさんがリーダーなんだね。通りで強いはずだ!
だがアレキサンドルさんは浮かない表情を浮かべながらポツリと言った。
「あの子犬、信じられん力だ。俺の前右足、持っていきやがった」
見ると、ボルゾイは右足を上げてブラブラさせている。あれは、犬が足を骨折した時に見せる仕草だ。
「……! すぐに、アレキサンドルさんのご主人を連れて参ります」
タロウさんはそう言うと、遠くに座っている人間たちのほうに駆けて行く。あの中に、ボルゾイのご主人がいるらしい。
俺はゆっくりとボルゾイに近づき、尋ねた。
「アレキサンドルさん、その足……」
「アイツは一体何者なのだ? そういえばお主、アイツを探しておったな?」
アレキサンドルさんが詰問するような表情で俺に尋ねる。ちょっとコワイ。
「はい、いま多摩川18地区に賢者ソース様がいるのですが……」
「ソース様の話は俺も聞き及んでおる」
「ソース様によると、あのくーちゃんが『武力に長けた仲間』になるはずの動物だと。だから俺が探していたんですが、まさか同じペットショップで売られていた犬だとは知りませんでした」
「ふむ……あやつはなぜか、俺たちの話が通じんようだ。本当に仲間にするとしたら、かなり骨が折れそうだな。すでに俺の骨は折れておるしな」
ニコリともせず冗談を言うアレキサンドルさん。
確かに、レトリバーとボルゾイがいなかったら俺の全身の骨がバラバラになっていてもおかしくなかった。
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