62 ポメラニアン、有名になる

 カーステレオから流れるのは、吉川晃司と布袋寅泰の限定ユニットであるCOMPLEXの「BE MY BABY」。

 この日、佐藤家の自家用車であるBMW320iのハンドルを握るのは青葉ママさん。曲に合わせて「びーまいべいべ、びーまいべいべ」とご機嫌だ。


「モフちゃーん、今日はね、赤坂のTBSに行くんだよ〜。あの有名な動物番組の『わくわく動物ランド』にゲスト出演するんだよ〜! すごいね〜!」


 ほお、それは初耳。それはそうと、懐かしい番組名が出てきたなぁ。


 説明しよう。

「わくわく動物ランド」とは、1983年から1992年にかけて放送されていた大人気の動物クイズ番組である。令和の世ではおじいちゃんとなっている関口宏が司会を務めたこの番組で紹介され、全国的に人気になった動物は数多い。特に「エリマキトカゲ」と「ウーパールーパー」は、この番組に出演してから日本中で人気が大爆発し、車のCMに使われたり、動物園で行列ができたりと日本社会にも影響大な動物番組だったのである。



 で、その番組に今日は俺、ポメラニアンのモフが出演するということだ。だが俺はすでに日本中で一番有名な犬として、特に女性と子供で俺のことを知らない者はいないほどの存在になっていた。


 ◇◇◇


 オーディションから1ヶ月後、ラブフル社のCMの本番撮影が行われた。俺はオーディション時と同じ演技を完璧にこなし、口髭顎髭、派手キャップの「ザ・監督」にまたしても大絶賛された。


「モブくん、君は天才だよ! まるで俺の言葉が理解できているみたいだな!」


 はあ、理解できているどころかこのCMの正解もわかっているんです。ズルしているようですみません。でも、俺はモブではなくモフです!


 ――このCMが当たったら、俺も一躍、有名CMディレクターの仲間入りだな。そしたら六本木のキャバクラで女を侍らせて毎日ウハウハだな!――


 ウハウハって。やっぱりバブル時代の人間だなぁ、心の中で考えている言葉まで古いよ、監督。



 ◇◇◇


 そのCMが放送されたのは二週間後。佐藤家ではあらかじめCMが放送される時間を教えてもらっており、パパさん、青葉ママさん、友梨奈ちゃん、風太君、そして俺は大きなブラウン管のテレビの前で正座してその時を待っていた。


 バラエティ番組が終わり、番組のエンドロールが流れる。そしてCMが流れる。一つ目のCMは、洗剤のCM。


「パパ、モフまだぁ?」風太くんが痺れを切らしたように言った。


「多分、次かその次くらいだよ」パパさんが答える。


「モフちゃん、可愛く撮れているかなぁ?」友梨奈ちゃんが言う。


「大丈夫! 監督に天才って言われてたんだからね、モフはすごいんだよ!」ママさんが興奮状態で話す。


「ママ、その話もう1億回ぐらい聞いたよ〜」友梨奈ちゃんが苦笑した。


 その瞬間、ブラウン管の中に見慣れた中年男の役者が映った。中年男はペットショップをうろうろしたあと、ある檻の前で立ち止まる。


 中年男の前には、俺。ウルウルした可愛いポメラニアンの俺だ。互いにしばらく見つめ合うカットバックがあり、最後に俺がとどめとばかりに可愛く「キュ〜ン」と鳴く。


 最後にCMソングが流れる。

「どうしよう〜? ラブフル〜」


 犬が欲しくなったけど、お金はない。だからウチの消費者金融で借りれば? という内容のCMだ。まあえげつないといえばそれまでだが、それを犬のあざと可愛さでオブラートに包み込んでいる。


 俺が画面に登場してからというもの、友梨奈ちゃんと風太くんは興奮しっぱなしだ。


「モフ、かわいい〜!」

「僕もラブフル行きたい!」

「風太、それはやめといた方が良いぞ」


 スポンサーの前ではとっても言えないことを言ってパパさんが苦笑している。そりゃそうだ、小学生が消費者金融に行ってどうするんだ。


 ◇◇◇


 俺が出演したCMはわずか一週間ぐらいで、各テレビ局のワイドショーで話題になった。


「ポメラニアンのウルウル瞳にゾッコンLOVE!」

「涙目ポメちゃん・モフくんが今、ナウい!」


 などと令和感覚からすると恥ずかしいキャッチコピーで、俺のCMは繰り返し流され、コメンテイターや司会がみんなアホのように「かわいいですね〜」と繰り返す。


 そのあたりから、佐藤家の家電にはひっきりなしにテレビ局から番組出演依頼が殺到するようになっていった。



 意外にも一番張り切っていたのは、青葉ママさんだ。


「もしもし、佐藤です……はい、こんにちは。はい、はい。モフの出演ですね。撮影スケジュールは何時ごろですか? はい、はい……来週火曜ですね。午前中にモフの美容院が入っているため、午後からでしたら、はい。わかりました。で、ご出演料の方はいかほど……はい。はい、はあ。日本テレビさんはもう少しいただけましたけどね。はい、はい、ご検討お願いします」


 こわっ! 青葉ママさん、もういっぱしのマネージャーさんだよぉ! 目がキラキラしてるよぉ! 俺でひと財産築こうとしているよぉ!


 ◇◇◇


 てなわけで、最近はひっきりなしにテレビに出演している、というわけ。何をするかというと、女性タレントさんが俺に近づいて「モフちゃ〜ん」と話しかけたら、俺は首をかしげて「キュ〜ン」と鳴く、というワンパターン展開。それをすると、スタジオ観覧者から「かわい〜!」と歓声があがり、司会者が驚き、芸人が騒ぎ、女性タレントさんが破顔するという展開になるのだ。


 最初の1、2回は楽しかったが、3回目のテレビ出演ぐらいから正直飽きてきた。なんでテレビってこんなに同じこと繰り返すんだろう。令和の世ではもうテレビなんぞ見なくなったが、この1989年当時はテレビを見てなければ学校や職場で話題についていけなくなるほど、娯楽の王様の位置を占めていたから、まあ仕方ないと言えばそれまでだが。


 毎日のようにテレビに出たり、その準備として美容院に行ってシャンプー・カット・ブロー・ブラッシングをしてもらったり。


 そういえば、佐藤家に帰ってきてからと、他の動物に全然会えてないよ。一緒に旅をした賢者ソース、サバトラ、チュン太。それに多摩川18地区の仲間たちであるウシダ師匠、女帝チャトランにも帰還の挨拶すらできていない。


 うーん、みんなに会いたいよぉ。よし、決めた!

 今晩、久しぶりに家から脱走しよう!


 ◇◇◇


 その夜、深夜12時頃、佐藤家リビング。

 一度眠ってから再度目覚めた俺は、体力的にも十分。幼犬の時は届かなかったリビングのドアも、今ではギリギリ前足が届くので、リビングのドアを器用に開け、玄関の猫ドアを潜り抜ける。


 久しぶりの、夜の世田谷。7月末なので、夜でも蒸し暑い。特に俺は毛が全身フワフワなので、夏の暑さはこたえる。でもたまに風が吹くので、少し心地良い時もあるのが救いだ。


 俺は多摩川、ウシダ師匠の住まう辺りを目指した。土手を登ろうとした直前、1匹の見慣れない子猫が俺をじっと見ているのに気づく。


「……ニャー! テレビに出てる、うるうる犬だニャー! サインして欲しいニャー!」


 子猫は俺の元に走り寄ると、キラキラとした憧れの眼差しで俺を見つめる。ふむ、今の俺はこんな子猫にまで顔を知られているのか、と少し驚く。これ人間に見つかったら、大騒ぎになるだろうなぁ。


 もちろんサインなどできないので、子猫の頭をひと撫でしたあと「これからも応援ヨロシクっ!」などと芸能人ばりのセリフを発し、俺は再びウシダ師匠の元へ向かう。


 すると、いた。ウシダ師匠が、まるで俺がくるのを予期していたかのようにドンと座ってこっちをみていた。隣には、この辺りの猫を統べる女帝チャトラン。懐かしい! 俺は急いで2匹の近くに駆け寄り、頭を下げた。


「ご無沙汰しております、ウシダ師匠、そしてチャトランさん」

「おお、久しいのう、勇者モフよ」

「元気そうで、私も嬉しく思うぞ」

「すぐにご挨拶に伺いたかったのですが、いろいろ多忙になりまして、大変ご挨拶が遅れて申し訳ございません」


 今こそ、俺のサラリーマン時代に培った謝罪スキルを最大限に発揮する時だ。こちらから思いっきり謝っておけば、まさか叱られることはあるまい。そんな小狡い感情で、俺は必要以上にへりくだって見せた。


「良い良い。これも全て、賢者ソース殿の作戦どおりじゃよ」


 うん? 全て作戦通りってどういうことなんだ?


「今夜辺り来ると思っておった。そこで勇者モフ、お主に賢者ソース殿からの次なる指令を与える」


 あれ? ソース様はなぜここにいないんだろう。なぜウシダ師匠から指令がでるんだろうかね。そんな俺の疑問を吹き飛ばすような指令が、ウシダの口から飛び出した。


「モフよ、次のCM撮影の時、魔王に宣戦布告をしてもらいたいのじゃ」


 魔王に、宣戦布告だって?  いったいどういうこと?

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