2 転生

 いや待て。自分の境遇を面白おかしく表現するために吾輩などと名乗ってきたが、実際の一人称は俺、だ。人間時代もオス、いや男だった。

 しかも「転生者」って簡単に言ったけど、これ普通はありえんだろ。

 小説投稿サイトやアニメの中では人気設定らしいが、ここは明らかに現実の世界。

 しかもニッポン、東京。

 ファンタジー世界ならまだしも、現代日本に転生ってどうなのよ?


 もちろん良いこともある。ちょっと良い点を挙げてみようか。

 まず「日本語がわかること」。

 なにせ俺は元日本人だ。多分英語も高校までの英語力ならギリあるし、英会話はろくに話せないが、なんとなくなら意味がわかることも多い。一時期英語を猛勉強していたこともあるしね。


 また、良い点でけっこう大きいのは「前の人生の知識があること」。

 曲がりなりにも社会人だった俺には、蓄えられた様々な知識と経験がある。

 元に昨日までは、元人間の知識を生かして大冒険を繰り広げ、大活躍だった。


 まあ結局、大冒険は大悲劇へと変わり、大活躍どころか大失敗してしまったのだが。


 いかんいかん、この大冒険の話はまだ俺の中で処理しきれないトラウマだ。

 一旦この件は置いておこうか。さて、思考を続けよう。



 次に悪いことだ。

 悪い点は、自分が犬であることに尽きるだろう。


 なに?蛇とかミトコンドリアじゃなくて良いじゃんって?

 まあ確かにそうに違いないが、人間ではない時点でいろいろ詰んでいることには変わりないだろう。なにせ元人間だし、犬に転生じゃあ明らかにランクダウンしている感じだよ。


 俺は元の人生でも犬を飼っていたし、犬は好きだよ、猫よりも。

 でも自分が転生したら犬になるっていうのは、話が違いすぎると思わない?

 犬好きだ!とかまったく関係ないよね。

 それに人間時代も例えばメス犬に欲情するとか、そんな特殊な性癖持ちじゃなかったしさ。つまり犬に転生したからといって、俺にとってのメリットは皆無ということだ。


 そういえば「転生」といえば、よくある設定ってあるじゃん?

 神様が間違えました!とか、最弱スキルかと思いきや実は使い勝手の良いスキルを持っていました!とか。

 魔法が使える!とか、ステータス画面が出て便利!とかのご都合的ストーリー展開もよく見るよね。

 でも、こんな便利設定は特にないみたいだね。


 今のところ、転生しただけ。

 これって・・・仏教の輪廻転生じゃね?

 輪廻を巡って、六道の人間界から畜生界に落ちたってこと?

 俺、前の人生でそんな悪いことしたのかな?

 ちょっと思い出してみよう。


 俺は、犯罪を犯したことはない。

(駐車違反とかスピード違反とか、そのくらいならしたことならあるけどね)


 人を騙したり、それで恨まれるようなこともしてない。

(同棲していた彼女に黙って他の女の子を酔って口説いて、彼女をめちゃめちゃ傷つけたことはあるけどね)


 詐欺とか薬物とか、そういうのもしてない。

(若い頃、出張先のアメリカで少し葉・・・いやこの話はやめておこう)


 あれ?

 こういったちょっとしたことが積み重なっての畜生界落ち、もしかしてあったりする?

 いやいやいや、これくらいで人間界から追放だなんて、そんな殺生な。


 と、そこまで考えた時。

 ふと右の後ろ足に鈍い痛みが走った。


 ふわふわした毛に紛れて飼い主やペットショップのお姉さんには気づかれなかったが、ヤツに噛まれた場所がズキズキ傷み出した。

 今まで傷のことを忘れていたほどだから、後遺症が残るほどの怪我では無さそうだけど、噛み傷に雑菌が入っていないことを祈るしかない。

 犬で足が使えないとなると詰んじゃうからね。


 噛み傷の痛みとともに、あの時の「彼女」の絶望的な声も同時に思い出す。

 ヤツさえいなければ、彼女を救うことができたはずなのに。

 もっとうまくやれたはずなのに。

 ヤツのせいで、全ての計画がご破算となってしまった。

 後悔してもしきれないトラウマが俺の心を覆った。



 と。

 ここまで考えを巡らせたところで、優しそうな丸顔の奥さんがご主人と一緒に俺のケージに近づいてきた。

 リビングの広い窓の外は暗く、いつの間にか夜になっていたようだ。

 俺のケージはリビングの片隅に置かれていて、リビングの反対側にはテレビが番組を映しているのが見える。なんだか、ずいぶんずんぐりとしたテレビだ。


 ところでこの奥さんだが、丸顔だしスレンダーとは言い難い、いわゆるぽっちゃり系だ。でも二人の子持ちだし、顔はかわいいし、何より優しそうで良い感じの女性だ。

 若い頃は結構モテたんじゃないかな?って感じの奥さんだ。


「こんなに可愛いポメラニアン、見つかって良かった!あなた探しまくった甲斐があったんじゃない?」

「そだね。六本木で偶然通りがかったペットショップでガラス越しに見た瞬間、一目惚れしちゃったよ!可愛いポメいた!ってね」

「そうだよ、あなたが今まで写真送ってくれたポメの中で、一番可愛かったもん!」


 そうか、俺は一目惚れされるほど可愛いのか。

 うんうん、自分ではそう思っていたけど、改めて容姿を褒められると嬉しいもんだな。

 思えば前の人生では、別にイケメンじゃなかったからそんな風に目前で褒められるとなんだかむず痒い気分になるもんだな。

 自分がプリティだということに早く慣れなければ!


「ほんと良かった、可愛いポメ見つかって」


 と、奥さんのその言葉と同時に、ある感情が奥さんの姿に重なった。


 <<可愛いけど、高いよね・・・>>


 可愛いけど、高い?

 高いとは、普通に考えると値段が高かったってことだろう。

 そうかな?俺みたいなカワイイ幼犬のポメラニアンが血統書付きで20万円以下は、そこそこリーズナブルだと思うけどな。


 いや、いま話すのはそのことじゃない。

 ある感情が奥さんの姿に重なったって、これはどういうこと?


 そう。

 実は俺も、今の奥さんの感情を聞くまで忘れていたことがある。


 神も魔法もない、ごく普通の日常世界。

 だが、俺にはいわゆる「スキルらしきもの」があることに気づいたのは、あの事件の数日前だった。


 ポメラニアンに転生した俺は、なぜか「人間の感情を大まかに読み取ること」ができるようになっていたのだ。


 この特殊能力、仮に「感情読み取り」とでもしておこうか。これは全ての時間、全ての感情を読み取れるわけではない。

 強く、はっきりとした感情。強い思い。そんなものがたまに、フワッと声のように聞こえる時があるのだ。


 こんな能力があれば、人間時代も便利だったのに。

 いやそれとも、相手の言葉と裏腹な感情を読み取れたら、当時はアタマが混乱しちゃってたかも。

 もし相手が自分を嫌っている声が聞こえたりしたら、ある意味地獄かもね。


 兎にも角にも、ポメラニアンである俺の唯一の能力は、人間の感情をたまに読み取れること、なのだ。

 無双できそうな特殊能力ではないが、現実世界だから敵がいるわけでもなさそうだし、別に構わんだろう。まあうまく能力と付き合っていこうと思う。



 しかも俺にはもうひとつ、ポメラニアンに転生して驚いたことがある。

 それは、今流れているリビングのテレビ、そのニュース内容を見ると明らかだ。

 ニュースでは、記者がある方の病状について語っていた。


「・・・官房長官によると、陛下の容体に変化の可能性があり・・・」


 陛下、すなわち天皇陛下の容態が良くないというニュースだ。


 そのニュースのあと、テレビでは車のコマーシャルが流れている。

 サングラスをかけたミュージシャンが車に乗り、にこやかに何かをこちらに語りかけている映像だ。でもなぜか声は聞こえず、ミュージシャンの歌だけが流れている。

 このCM、見覚えがあるぞ。


 説明しよう。

 昭和の終わり頃、高齢だった当時の天皇陛下の容体が悪化し、世間は少し混乱した。

 陛下の容態が悪いのに楽しいことなんてできない、なんて風潮が広がり、世間は「自粛」ブームとなった。

 当時の明るい話題やイベントはすべて中止、または変更を余儀なくされたのだ。


 このCMも最初はミュージシャンが「みんなお元気?」的なことを言っているCMだったのだが「陛下が元気じゃない時にお元気?なんてお気楽すぎてヤバいかも」という広告代理店だか車メーカーだかの判断で、コメントのみ自粛して放送していたのである。


 つまり俺が転生したこの時代は、令和でなく平成でもなく、なんと「昭和時代」なのだ。

 テレビも普通の液晶テレビじゃなく、画面が湾曲しているブラウン管だ。クソ重くてでっかいくせに、画質はイマイチなやつだ。



 つまり俺は異世界ではなく、人間界に、ポメラニアンとして転生。

 しかも時代は中途半端な、昭和末期にタイムスリップした、というわけだ。


 一体、どうしてこうなった?

 俺はこのあと犬として、どうやって生きていけば良いんだろう?


 その後ケージの前には息子ちゃんも再登場し、散々撫でくりまわされたあと、俺はちょっと面倒になって寝たふりをした。

 しばらく寝顔を三人に見つめられ、カワイイだの食べちゃいたいだの言われたあと、10分ほどでやっと俺は解放された。


 目を瞑ったまま、俺は自分がどうしてこうなったのか、昨日までのことをじっくり振り返ってみることにした。

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