60 勇者の帰還
その後、皇居で起こった事をまとめて話しておこうか。
まずは、俺の飼い主である佐藤家のパパさん。彼の正体というかお仕事は、宮内庁で「管理部」と呼ばれる部署勤めだということがわかった。
説明しよう。
宮内庁管理部とは、皇室の財産などの管理や、宮中行事の食事やお茶会、そして皇族の食事の調理などを担当する部門で、皇居のほか那須、須崎、葉山などの御用邸の管理や業務を担当しているのである。
そのパパさんとの偶然の出会いがあり、俺は賢者ソースとの相談の結果、一度世田谷にある我が家に戻ることになった。
旅の目的であった『進化の秘宝』を無事手に入れた俺たちパーティは、一度いろんな意味でも体制を立て直す必要があった、というのも大きな理由だ。
『進化の秘宝』だが、約束通り地下帝国のモグラの女王、モグザベスから受け渡しをされた。
進化の秘宝はビー玉ほどの大きさの石で、濁った真珠のような色をしていた。俺はまるで白マテリアみたいだな、なんて思ったが、この時代にはまだそんなゲームは存在していないし、口に出すのはやめておいた。
説明しよう。
白マテリアとは、日本を代表するゲームソフト「ファイナルファンタジー」に登場するアイテムである。令和時代までに16までナンバリングが続いているほどの名シリーズだが、1989年当時はまだファイナルファンタジー2までしか発売されておらず。その中にはまだ「マテリア」というアイテムの概念はなかったのである。
とにかく、だ。その白マテリア、いや進化の秘宝の取り扱いについても、モグザベスは懇切丁寧に教えてくれたのだった。
「ケケ、いいか。ちゃんと覚えておけよ。
進化の秘宝を、動物がその口に含むと、たちまちその動物は進化する。どんな姿になるかは、その動物のルーツだったり、上位互換の生物だったり、ただの巨大化だったりとまちまちだ」
なるほど。チュン太のおじいちゃんである「チュン之介」の場合、スズメから鷹に進化したと聞いた。これは上位互換になったと見て間違いないだろう。
モグザベスの場合は、巨大化だ。巨大化することで知能が上がり、体力や攻撃力も大幅にアップするらしい。
もうひとつの「その動物のルーツ」というのは現時点ではわからない。まあとにかく、進化の秘宝を口に含むと、数日にわたってその姿が維持されるというのがモグザベスの説明だった。
「だから私は、3日に1度、進化の秘宝を口に含んで巨大化を維持していたのだ。お主たちに渡したら、20年続いた私の天下も終わりだがな、ケケ」
それを聞くと、少しだけ可哀想に思えてくる。だが人間の世界でも、20年も政権が変わらないと内部が腐ってくることがほとんどだ。この際、地下帝国が変革を迎えるのも悪くないだろう。モグザベスには気の毒だけどね。
「そして、忘れてはならない注意点がある。この進化の秘宝を万が一飲み込んでしまうと、一生進化した姿のままになってしまうのだ」
「僕のおじいちゃんは、そのパターンだったチュン!」
「そうか、ケケ。まあその生活も悪くないが、私はちょっと怖かったのだよ。永遠に、巨大化したままのモグラでいることがな……ケケ」
その後のことは、以前チュン太に説明してもらっている。
進化の秘宝を飲み込んだ動物は、子孫を残すと「永遠の命」という効果が消え、本来の寿命で生涯を終えることになる、ということだった。
永遠の命……とても不思議で、これまで秦の始皇帝をはじめ、様々な権力者が追い求めてきた力だが、実際にそんなことが可能になる秘宝があるなんて思いもしなかった。
いや、待てよ?
そう言えば、旧約聖書のモーゼとか、人間ではあり得ないほどの長寿だったよな? あと日本の神話でも、たとえば神武天皇とか神話時代に存在されたとされる人物は、みんな長寿だった。まさか彼らは、進化の秘宝を飲み込んでいたのでは……?
とっても興味深いテーマだが、一介の合気道好きポメラニアンには手に負えそうにない。それに、すでに子孫を残していた場合はどうカウントされるんだろう? ……ま、とりあえず置いておくしかないか。
「とりあえず、進化の秘宝はモフ、お主が持っておくように」
うっひゃ〜、めっちゃ重要な役割振られてしまったぞ? 誰か俺の他に……と思ったが、賢者ソースだと一瞬で奪われそうだし、サバトラはメス猫にプレゼントしてしまいそうな危うさがある。チュン太がおじいちゃんに倣い、鷹に進化しても困るし……まあ、俺しかいないか、今んとこ。
俺は首に巻いている青のバンダナに落ちないよう進化の石を入れてもらった。これ、寝ぼけて飲み込んだりしないよう気をつけないとね……
◇◇◇
その日の夕方。
俺とソース様、サバトラの3匹は、佐藤家のパパさん(相変わらず名前はわからないし、なぜか彼だけは俺のスキルでも感情が読み取れない)の車に乗せられた。
チュン太は「僕は先に帰って、みんなに知らせておくよ!」と飛び立っていった。奴はいつだって家に帰れるんだな。やっぱり鳥ってうらやましいかも。かといって、鳥に転生したいってわけじゃないから、神様だかなんだかしらないけど、俺を転生させた人、鳥に転生させるのはやめてくださいね!
佐藤パパの車は、懐かしい「六本木のカローラ」ことBMW320iだ。小気味良い直列6気筒のエンジン音を聞きながら、俺たちは暮れなずむ街をドライブする。目的地は、懐かしの佐藤家だ。
ソースとサバトラは、車の揺れが気持ち良いのか、後部座席ですぐに寝息を立て始めた。俺はというと、助手席に座らせてもらい、助手席の窓を開けてもらい、風を感じながら1989年6月の東京を堪能していた。
「モフ、なんか音楽でもかけてやろうか?」
「ワン!」
ガチャガチャ、とダッシュボードを探ると、パパさんは透明なカセットテープを取り出した。おお懐かしい! AXIAのPS-IIじゃねえか! ノーマルテープじゃないぞ、クロームテープだ!
説明しよう。
1989年当時、車内で音楽をかけるソースの中心となっていたのはカセットテープであった。カセットテープは音質の悪い方から「ノーマル」「クローム」「メタル」となっており、それぞれ値段と音質が違うのだが、普通クロームテープに入れる音楽はお気に入りのアーチストに限られるというのが普通の音楽好きの日常であったのである。
ガチャコン、とカーステレオにテープを入れると、音楽が再生された。
ベースのリズミカルな音と、いかにもバブル時代っぽいシンセサイザーのメロディ、そしてギターの音。前奏を終えると、パワフルな女性シンガーの声が聞こえてきた。
な、懐かしい。これはプリプリの大ヒット曲「ダイアモンド」じゃねーか!
説明しよう。
プリンセス・プリンセス、通称プリプリは1983年のデビュー後、1986年にバンド名を変えた女性のみの5人のバンドである。1989年4月21日にリリースした「ダイヤモンド」は、ソニーのカセットテープのCMで毎日のようにテレビから流れ、1989年のオリコン年間シングルチャート1位になった名曲なのである。
「ワンワワンワンワンワーン」
「お、モフ、この曲知ってるのか。さすがだな〜」
そりゃそうさ、俺この曲、人間時代にカラオケで何回歌ったことか。フルコーラス、犬の声で歌ったろか?
他にも昨年からのヒット曲である「Runner」や演歌「酒よ」など、ごちゃ混ぜに録音されたカセットテープを聞いているうちに、車は懐かしの我が家、というか我が飼い主一家が暮らすアパートに到着した。
2月末、『破魔の剣』と『進化の秘宝』を探す旅に出るため、このアパートを飛び出して約3ヶ月。生後5ヶ月だった俺も生後8ヶ月となり、もう単純に「子犬」といった見た目ではなくなっている。今はもう、小さめの「成犬」といった感じだ。
そのことを考えると、飼い主の一家には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。可愛い時代の子犬を見せられなかった俺は、なんと家族不幸な飼い犬なのだろう。日本を救うという目的があるとはいえ、直接この家族に関係があるのか、わからないし。
ちょっと、ドキドキしてきた。みんな怒っていたらどうしよう。ママの青葉さん、俺がいなくなってきっと泣いただろうな。感受性豊かな人だから、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
中学生の友梨奈ちゃん、小学生の風太君も、俺を連れて毎日散歩に連れていってくれた。到着先では放っておかれることもあったけど、一緒に遊んでくれたし、ママの青葉さんに内緒でおやつをくれたのもいい思い出だ。
「さて、と。まずはフレンチブルの彼は、この辺の地域犬だから、ここでバイバイだね」
へっ? 賢者ソース様ったら、いつの間にそんな設定を作ってたの? 確かに彼には飼い主がいないけどさ。
確かに出発前、ソース様は「お前たちの飼い主に関しては、我が手を回しておく」なんて言ってたけど、自分のことまでちゃんと処理していたんだ、へ〜、と改めて賢者の実力に舌を巻く。
「では勇者モフよ、明日また連絡する。それまで家族とゆっくりするが良い」
そう言い残すと、フレンチブルの賢者ソースは1匹でトコトコと立ち去っていった。
「で、猫ちゃんは、一人で帰れるよな、お家」
「ニャー(当然だニャー)」
そう言うと、サバトラは俺にウインクして軽やかに塀を登り、去っていった。
あとは、俺だけだ。
佐藤パパさんの腕に抱かれ、アパートのドアへと歩いていく。ヤバい、なんだかとっても緊張してきた。チビっちゃいそうだ。
巨大モグラに勝利し、もう「最弱ポメラニアン」という名前は返上してもいいんじゃないかと思っていた自分だが、こういうビビりなとこは相変わらず「最弱」の名に相応しそうだ。
「じゃ、ドア開けるよ。元気な姿、みんなに見せてあげな、モフ」
そそそ、そんなこと言われましてもも、ままま、まだ心の準備がががが。
ガチャリ。
内側から扉が開いたかと思うと、そこには懐かしい青葉ママの姿があった。彼女の顔を恐る恐る見ると、青葉さんは目いっぱいに涙を溜めていた。
「モフ、心配したんだよー!」
言うと同時にパパさんから俺を奪い取った青葉ママは、その豊満な胸で俺をギュッと抱きしめる。ちょっとちょっと奥さん、胸が、胸があああ!
こちとら、元はいいオッサンですぜ? そのオッサンに巨乳人妻の胸を押し付けるなんて! 旦那さんが見てますぜ、奥さん? NTRになっちゃいますぜ?
そんな俺の心底どうでもいいツッコミを無視し、青葉さんはオイオイと泣き始める。なんだか、心から申し訳なく思ってきた。こんなに俺のことを心配してくれてたなんて……それなのに青葉さんの胸のことしか考えていない俺なんて、爆発すればいいのに!
ぐすっ、ぐすっとしゃくりあげながら、青葉さんは俺に話しかける。
「モフがね、いろいろ訓練が必要だからね、しかたなく訓練に出して。でも、悲しかったんだよ〜」
お、訓練? なんの訓練という設定なんだろう? これも多分、賢者ソースが手を回した結果なんだろうな。ちゃんと設定教えてもらわないと困惑するなぁ。
すると、青葉さんの後ろから二つの顔がぴょこりと現れた。もちろん、お姉ちゃんの友梨奈ちゃんと弟の風太君だ。
「モフ、おかえり〜!」
姉弟にもみくちゃにされる俺。大きくなったね、でも可愛いままだね。あしたからまた散歩一緒にしよう、モフ侍ごっこしよう、など二人は矢継ぎ早に俺に話しかける。うんうん、これだけ俺って愛されてたんだ。ほんと幸せない犬だよ、俺って奴は。
だが同時に、こんな考えが頭に浮かんできた。
(青葉ママによると、俺は訓練で外に出されたことになっているらしい。なのに、皇居でパパさんが俺を見た時、パパさんは明らかにびっくりしていた。なぜこんなところに? という顔だった)
(なのに、なんの疑問もなく、俺を家に連れて帰ってくれた。しかも仲間である賢者ソースとサバトラも連れて)
(なぜパパさんは、何事もなかったようにふるまっているんだろう?)
(なぜ人間の中で、パパさんだけ、俺が心を読むことができないんだろう?)
俺はパパさんを改めて見る。パパさんは人の良さそうな顔で、娘と息子が俺を可愛がる様子をニコニコと見ていた。
(このパパさん、謎がいっぱいだ。宮内庁の職員だということはわかったけど、なんで、心を読むことができないんだろう……?)
俺の心に生まれた、パパさんへの疑問。だが……今はいい。
今日は佐藤家に久しぶりに帰ってきた記念日だ。パパさんのことは、これから賢者にも相談してみよう。それからでも遅くない。
俺はその晩、たくさんのおやつと餌を与えられ、俺のために用意したというゴザが敷かれた寝床で、涼しく眠ることができた。
やっぱり、我が家はいいなぁ……
◇◇◇
だが翌日。この日俺が起こされたのは、午前5時。
「さ、モフ。今からお風呂でシャンプーするぞ」
パパさんとママさんの手によって、体の隅々までシャンプーをされ、ドライヤーを注意深くかけられたあと、入念なブラッシング。もちろん大事な進化の秘宝が入った青のバンダナは、前日夜に俺だけしか知らない隠し場所に入れておいたから、まず安心だろう。
まあ、3ヶ月も風呂に入っていないからさぞかし臭かったことだろう。すぐにでもシャンプーしたくなる気持ちもわかるよ。と思ったら、今度は車に乗せられて、パパさんママさんとお出かけ。あれ、どこにいくのかな?
ママさん、ちょっと心を読ませてちょうだいね。
――緊張する〜! モフ、合格するかなぁ?――
――シャンプーしたし、ブラッシングしたし、爪も切ったし、耳掃除もしたし。多分、大丈夫だと思うけど。うちの子、可愛いから!――
うーむ、どうやら何かの大会にでも出されるらしい。それにしてもいきなりだなぁ。俺、昨日帰ってきたばかりだぜ? すこしぐらいゆっくり昼寝したかったんだけどなぁ。
だが。
その日の一週間後、俺の人生、いや犬生は大きな曲がり角を迎えることになる。
なんとポメラニアンのモフ、つまり俺は、日本で一番有名な犬となってしまうのだ。それもなんと、芸能界で。
第三章 完
◇◇◇
三章までお読みいただき、本当に心から感謝いたします。
ポメラニアンの勇者モフの旅はまだ続きます。
続いては「芸能界編」。芸能界デビューしたポメラニアンが、さらに魔王軍との戦いは続けていきます。
これからも応援よろしくお願いします。
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