59 動物に詳しい男

 そのお方は、俺に向かって気軽に話しかけてくれた。まるで、園遊会みたいに。


「おお、ふわふわのワンちゃん。元気になったみたいだね」


 その声を聞き、隣でだらしなく仰向けで寝ていたサバトラも目覚めたらしい。


「うニャ〜。人がせっかく気持ちよく寝てるのに、誰だニャ」


 サバトラはゆっくりと起き上がると、そのお方に目をやり、動かなくなった。かと思うと、徐々に体が小刻みに震えている。


「も、もしかして、て、てんの……」

「サバ! 黙れ」


 ワン、と俺は短めにサバトラを諌めた。あまり気軽に呼び捨てにできるようなお方ではない。俺はもと人間だ。今は犬でも、あのお方に対する敬意は当然あるのだ。


「おお、猫ちゃんも元気か。よかったよかった。どれ、ついておいで」


 その方はくるりと振り向くと、奥に見える大きな建物の方に歩いていく。

 そうか、ここは俺たちが目指そうとしていた「吹上地区」だ。目の前の池はたぶん大池、そしてあの方が俺たちを招こうとしているのは、皇居御所だろう、多分。なんて畏れ多い。


 でも、いまの俺はただのポメラニアン。不法侵入はしているが、まあ言うなれば犬がただ紛れ込んだだけとみられてもおかしくはない。

 本当は徳川幕府が密かに溜め込んだ「徳川埋蔵金」を掘り起こしにきた犬だとわかれば、どんな処置が待ち受けているものか考えるだけでも恐ろしいが、まあバレるわけはない。


 数分後、俺たちは御所の軒下に案内された。そこには青いビニールシートが広げられていて、その上に包帯を巻かれた賢者ソースと、同じく包帯でぐるぐる巻きにされたモグラの女王モグザベスが横たわっていた。


「君たち、ケンカしたんだろう? だめだよ、仲良くしなくちゃ」


 ケンカ……まあ、そうだよね。当人というか、当犬は命懸けだったけど、人間から見ると犬とモグラの戦いなんて、ケンカみたいなものかもしれない。


「それにしても、こんな大きなモグラは初めてみたよ。君たちもさぞかし吃驚びっくりしたんだろう? で、ケンカしちゃったんだね」


 うん、まあ、そういうことでいいか……。説明できないし、もし説明できたら世の中がいろんな意味でひっくり返っちゃうよ。なにせ俺は、未来を知っている犬だ。少なくとも令和5年までの歴史、けっこう覚えてるしね。


 あれ? 今まで考えもしなかったけど、いろんな小説やアニメでは、過去にタイムスリップした人間は、ギャンブルで大儲けしようと考えることが多かったような気がするぞ? うむ、犬である俺には無意味だけどな! まあ覚えていたら、何かに役立てることもあるかもしれないな。


 すると、ビニールシートに横たわっていたフレンチブルの体がピクピクと動き、パチリと目を開けた。


「む、ここは……御所ではないか」

「おお、しわくちゃ犬が目を覚ましたか」


 ちょっと、いくらあなたでも、賢者様に向かって「しわくちゃ犬」という呼び方はひどくない? この人、明治の有名な総理大臣だったこともあるみたいだよ?


「む!……そういうことか」


 賢者ソースはそのお方を見て一瞬固まったが、すぐに状況をある程度理解したらしい。さす賢、と俺はソースの頭の回転の速さに舌を巻いた。

 そして、もう1匹の動物、つまり巨大モグラのモグザベスが今度は「うーん」と一言唸り、ゆっくりと起き上がった。


「……うむ? 助かったのか……」


 戦いの直前までとは違い、すっかりおとなしくなっている。無理もない、頭部を包帯でぐるぐる巻きにされているということは、かなりの重傷だったのだろう。モグラなので日陰に置かれていたモグザベスは、匂いと気配で俺たちを察知したらしく、静かに話しかけてきた。


「私の、完敗のようだな。まさか子犬と猫如きに負けるとはな。私もヤキが回ったようだ、ケケ」

「まあ、ギリギリの勝利だったけどな」


 俺は本当の事を言った。もう一度戦ったとして、勝てるかどうかわからない。それに俺一人では倒せなかったに違いない。サバトラとの連携があったからこそ、この強力な巨大モグラに勝つことができたのだから。


「仕方ない。そなたらの望みは『進化の秘宝』だったな。20年前に偶然見つけて、力を得ていた大事な宝だが、そなたたちに渡すしかあるまいな。ケケケッ」


 俺たち動物が大事な話をしている様子を、あのお方はもの珍しそうにじーっと眺めていた。まあ、珍しいだろう。ワンワン、ニャー、ケケケッと、3種類の動物が交互に会話している様子なんて、普通なら一生見ることができない光景だろうしね。


「どこに隠しておるのじゃ? 進化の秘宝は」

「このすぐ近くだよ。大池。その池の真下で20年前、私は偶然宝を見つけたんだ。その中にあったのが、進化の秘宝さ」


 そうか、池の下に埋められていたのか。きっと埋める際、池の水を全部抜き去り、テレビカメラが入り、レポーターが騒ぎ、外来種とか魚とかを見つけ出したり、近所の人がみんな見にきたりしてたんだろうな。

 いや、江戸時代にそんなテレビ番組、ないか。


「怪我が治ったら、久々に掘り起こしに行く。そしてお前たちに渡そう。約束する」


 殊勝な態度で女王は言った。


「本当か? 怪我が治ったら、また俺たちを不意に襲うんじゃないだろうな?」

「ケケッ、私はこれでも誇り高い地下帝国の女王だよ? 一度口に出したことは決して言を違えることはないぞ」

「信じてもよいであろう、勇者モフよ」

「まあ、賢者様がそう言うなら」

「それにな、ケケ。正直、お前らとはもう戦いとうないわ。なんだか勝てる気がせん。なんだ、あの魔法のような武術は」


 心から残念、といった声で女王モグザベスがこぼした。それを聞き、俺は汐田のおっちゃんが教えてくれた言葉をもう一度思い出した。


(いいか、スピ公。合気道とは、自分を殺しに来た相手と仲良くすることだ)


 自分を殺しにきた巨大モグラと、仲良くなることができた。さすが合気道日本一! 言うことが違うぜ! と俺は汐田のおっちゃんに心の中で感謝した。


「よしよし、仲直りできたようだね。じゃ、みんなで仲良くご飯でもどうだい?」


「ニャー! ごはん食べたいニャー!」

「ケケケッ、私も一緒にいいのかのう?」

「もちろんじゃ! と言っても我が馳走するわけではないがの!」


 みんなご飯と聞いた途端に急に元気になったようだ。たしかに俺もお腹ぺこぺこだ。まあ一生に一度あるかないかの機会だ。あのお方と一緒に、ご飯食べさせてもらおう!



 ◇◇◇


 御所の中の情景は、敢えて詳細には伝えないでおこう。日本国の象徴が住まわれる、秘中の秘の場所でもあるしな。

 とにかく俺たち2匹の犬、1匹の猫、1匹の巨大モグラ、そして紛れ込んできた1羽のスズメは、あの方の近くで美味しいご飯を食べるという貴重な体験をすることができたのだ。


 ご飯を終えた後、俺たちは快適な室内で、昼寝タイムまでもらえた。

 う〜ん、満腹満腹。空調も効いていて暑くも寒くもなく、ほんと快適だよ。そんなことを思いながら、俺はふかふかの絨毯にゴロゴロしていたのだが、軽いノック音がしたのち、あのお方と動物たちがいる部屋に一人の男が入ってきた。


「お呼びでしょうか?」

「ああ、君は動物に詳しいと前に話していたよね。この子たち、怪我をしていたから治療して、ご飯をあげてたんだけど」

「はあ……」

「多分、皇居に紛れ込んでしまったんだと思うので、しかるべきところに返してあげたいんだ」

「なるほど、承知いたしました」


 俺は、その人物を見た瞬間から動きを止めていた。

 その姿、その声。忘れるはずもない、懐かしいその人物の姿を。


「では、あなたにこの子たちをお任せしますよ、佐藤さん」

「かしこまりました、陛下」


 その男は、初めてこちらをちゃんと見た。そして、俺に目を向けると、そのまま凝視する。じーっと、俺を見つめる。そして、俺に近づく。


「お前……もしかして……モフなのか?」

「ワンワンワン!」


 その人物こそ、この時代の俺の飼い主である、佐藤家のパパさんだった。

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