10 計画
マジか。
語彙力ゼロだが「この店から脱出できる方法がわかった」と聞かされた瞬間の感想は、たったの一言だった。
「どうやって脱出するの?」
「うん。あの柴ちゃん、すっごい落ち着きないんだよね。昼でも、夜でも」
柴ちゃん(いつの間にかそんな名称が定着している)は確かにアホの子だ。
でもそれが脱出方法とどんな関係があるんだろう?
「でね。バックルームのケージあるでしょ?夜に私たちが入れられる檻のことだけど」
「ケージか。でも、あれ鍵がかかっていて開ける事できないよね」
「普通ならそうなんだけど。あの子、多分ここにきた日だと思うんだけど、ケージの鍵を開けたことがあるの。そんな映像が柴ちゃんの上に見えたのよ」
ケージの入り口には、外側に鍵というか、上にずらすと扉が開き、引っ掛けると閉まるタイプの簡単な掛け金がある。知識がある人間ならば開けるのは容易だが、ケージの内側にいる犬には普通開けることはできないはずだ。
俺がそう言うと、プーはすこし笑いながら話を続けた。
「普通なら、ね。多分私もポメも足が短いし、掛け金に足が届かないと思う。でもね、あの子は開けたのよ。どうやったと思う?」
「まさかあのアホ犬に念動力が備わっていて、それで開けたとか?」
「マンガの見過ぎ!そんなのあるわけないじゃん。正解は単純なの。柴ちゃんは何度かドアに突進して、少しずつ掛け金をずらして脱走したの」
へ、そんな簡単に開くもんなの?
「それじゃ不良品じゃん。そのケージ作ったメーカー、問題あるんじゃない?」
「その通り、そのケージの掛け金は不良品なのか、それとも壊れているかわかんないけど、とにかくそうやって開けることができる。だから、私たちのどっちかがその不良品ケージに入ることができれば、扉に突進して開けることができそうってこと」
「いや、ちょっと待って。柴ちゃんはケージから脱走した後、どうなったの?」
「あの子が脱走したのは、閉店後すぐだったみたいよ。犬飼店長にすぐにつかまって、他のケージに入れられちゃったみたい。その日以来、彼のケージには特別に南京錠もつけられるようになったけど」
「そっか、なるほど。でも……問題が何個かあるよね」
プーは大きく頷いた。
「そう。私かポメのどちらかが、柴ちゃんが入っていたケージに何とかして入らないとダメ。どっちかが脱出できたら、外からもう一匹のケージの留め金をずらして開ければ良いんだけどね。
まずは何とかして不良品ケージに入らなきゃダメ。これが問題その1ね」
うん、その通りだ。
だけど問題はそれだけではない。
「問題その2。ケージからうまく脱出できたとして、事務所から外へはどうやって出る?」
事務所のドアの鍵がどうなっているか、ちゃんと見たことがない。
でも普通は人間の手の高さのところにあるドアノブなどに鍵があって、ドアの外から鍵を回してかけることになるだろう。
「うん、それもクリアできるみたいよ」
プーの説明によると、事務所の鍵はサムターン錠。
ドアの室内側にあるツマミを回すと、内側からは鍵なしでドアが開けられる。
だが普通なら俺たちのような子犬には届かないような高さにツマミがあるはずなのだが……
「ドアのすぐそばにね、犬飼店長のデスクがあるの。それに登れば、なんとか開けることができそう」
このことも、プーは柴ちゃんの視線の記憶から見ることができたのだという。
つまり、こういうことだろうか。
「プー、今の話をちょっと整理するね。
その1、柴ちゃんが以前脱走したケージに、プーか俺のどちらかが入れられるようになんとかして画策する。
その2、脱走ケージで扉に突進を繰り返し、脱走。残る一匹が入るケージの留め金をなんとかして外から開ける。
その3、店長の机になんとかして登り、なんとかしてサムターンを開け、店から脱走する。
以上、3点のクリアが必要になるってことでオッケーですかね?」
「さすが元サラリーマン!まとめるの得意だね」
尻尾を振りながらプーは笑顔でワンと吠えた。
だが俺は思わず大きなため息をついた。
「ねえ、プー様」
「なあに?ポメ様」
「あのさ、いま説明した中に『なんとかして』って言う単語が4つもあったの気づいた?」
「うーん、4つもあったっけ?」
「あるよ。こんなの脱獄ドラマだったらクソ台本だよ」
俺が今までに見たアメリカの脱獄ドラマは、もっと緻密かつダイナミックで、頭が良い人たちが必死こいて考えたトリック満載って感じだった。
だからこそ、それを乗り越えた脱獄囚たちに「スゲー!」って共感できたんだと思う。
なのに、今のところトイプードルとポメラニアンの脱走計画は『なんとかして』だらけ。これじゃ成功の確率はかなり低いだろう。
「うーん、ポメは悲観的なだなぁ。もしかしてペシミスト?」
「説明しよう。ペシミストとは悲観論者のことで、わかりやすく言い換えると、マイナス思考の持ち主という意味である。ってよく知ってるね、ペシミストなんて言葉!」
「こう見えても大学の文学部なんですよ、わたし!」
エヘン、といったポーズを取るトイプードル。そんなポーズとる犬なんていないだろ。
それはそうと、やっぱり彼女は大学生だったのか。ちょっと可愛いイメージあるね、文学部の女子大生って。
「そんな悲観的なことばっかり考えてたら、できることもできなくなっちゃいますよ。だから試してみない?今夜早速、ね!」
……明るい。
俺がペシミストだとすれば彼女はオプティミスト、楽観論者だな。
確かに俺も昔は物事を楽観的に捉える方だった。失敗しても明日がある。また今度頑張ればいい。そう思えたのは20代の頃までだった。
社会人を続けるうち、失敗を重ねるうち、心には知らぬうちに澱が溜まる。
その暗闇に気づかないように目を背けるうち、楽観的だった心は徐々に変貌を遂げていく。
いつしか俺は彼女の言うように、ペシミストになっていたのかも知れない。
「試してみる、ね。そっか、今晩脱走に成功しなくても、まだ大丈夫だよな」
「そ!ダメなら別の手を考えようよ」
ニッコリと笑うプーは尻尾をプリプリと振っている。
俺もすっかり、彼女の明るさに影響されてしまったようだ。
「よっしゃ!やってみっか」
「うん!でもね、実はもう一つ問題があるの」
おっとこの落差、結構心にクルな。なんだよ問題って一体?
「この事務所を出た後、何があるかはわかんない。事務所のドアの外は、多分このビルの廊下になってるいんだと思う。でもビルを出る手段はいまのところ、全然わかんないの」
確かにプーの言う通りだ。
でもそれこそ、一度事務所の外に出ないと判断つかない。
ん、待てよ?
「あのさ、俺たち今さ、プーの『動物脳内覗いてドッキリ!スキル』で脱走計画を練っているじゃない?」
「人のスキルに、なんか古くさくてエロい名前を勝手につけないでよ!」
「でもさ、その先はペットショップの犬たちからは情報とれそうにないじゃん?でも俺の『真相心理読解能力』を使えば、なんとかなるかもよ?」
「なんで自分の能力は一見カッコ良さげなのよ!でもポメが思うほどイケてないよ、そのスキル名」
まだ具体的なプランがあるわけじゃない。
でも自分のスキルをどう使うか、いずれはちゃんと考えないとダメだ。
うまくいくかどうかは別として、一度試してみる価値はある。
「なんとかして、猫田さんか犬飼店長の心、読んでみるよ」
「わかった。ポメ先輩、おねしゃーす!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます