9 能力

 プーが提案してきたのは、ペットショップからの脱走だった。


 プーの意見をまとめると。

 私がこのまま犬として、ちゃんとした飼い主に飼われるなら、まだ良い。でも彼女はテレビのドキュメンタリーで見たことがある。

 ペットショップで売れ残った犬の悲惨な末路を。


 ましてこの時代は昭和。

 動物の命なんて、バブリーなこの時代の大多数の人にとってはどうでも良いものと思われることが多そうだ。

 自分が生き残れるのか、幸せな生活を送れるのか、不安で仕方ない。

 それなら人間の知識を持ったまま、犬として自分なりに生を全うしたい。


「私だけで逃げ出しても、東京の地理がわからないから無理だと思ってたんだ。だけどポメがいるなら、犬だけで平穏に暮らしていける場所、どこか見つけられそうじゃない?」


 俺は考える。

 ペットショップを脱走するということは、すなわち野良犬になるということ。

 令和の世、日本では野良犬はほとんど見たことがないが、昭和時代は野良犬がまだたまに見かけていた気がする。


 とはいえ、東京の街中で野良犬を見かけることは稀だったのも確かだ。

 もし脱走に成功して野良犬になったら、少しでも繁華街を離れないとすぐに捕まって、保健所送りになってしまうだろう。

 保健所に送られてしまったら、ごく一部を除いていずれ殺処分が待ち受けていると聞いたことがある。

 でも繁華街を出ると、逆に餌を調達するのが難しくなりそうだ。


「うん、プーの意見は尤もだ。けど逃げ出した後どうするか。そもそもどうやって逃げ出すか。いろいろ考えなきゃいけないことがありそうだね」

「うん……そうだけど」


 プーは心配そうに目を細める。


「でも、いつまでこのペットショップにいられるかわかんないんだよ?子犬じゃなくなったら、きっと誰にも飼ってもらえない。それにたとえ明日飼い主が決まったとしても、その人がいい人だとは限らないんだよ?」


 確かにその通りだ。

 だが実際問題、ここからどうやって逃げ出す?

 特殊なスキルもなく、異世界転生ものにありがちな魔力なんてものもない。

 ましてやチート能力なんてとんでもない。

 単なる転生タイムスリッパー。しかも人間じゃなくて、子犬。夜中に檻を折り曲げたり、窓ガラスを破ったりと無理だろ。体重だって1キロぐらいしかないぞ?


 そこまで考えて一つ思い出した。

 そういえば、俺には一つだけスキルっぽいのがあったな。

 それは「人間の心をぼんやりと読めること」

 即物的なスキルではないが、全くないよりはマシだろう。


 一体何をどうすれば良いのか、現時点では予想もつかない。

 まずは少し実験なり練習なりをしないとな。


「そういえばプー。君には何か特別な能力みたいなのはないの?魔法が使えたりとか、剣を出せたりとか」


 プーは頭を振って答えた。


「そんな異世界転生ものみたいなの、あるわけないじゃん。フツーの犬だよ」


 異世界でないだけで転生とかタイムスリップとかしてるんだけどな、と思いつつ、確かに現実世界で魔法とかあり得ないな、確かに。

 まあそれを言うなら「心を読める」ってのもおかしなことになるが。

 溺れて死んだ人間が転生するとタイムスリップして犬になって人の心を読む。

 どれも、何の関連性も見出せない。

 意味は、ないのだろうか。今のところはノーヒントだ。


「ポメにはあるの?火の玉出したりとか風魔法使ったりとか」

「おっ、詳しいねぇ」

「まあね。従兄弟の影響でSwitchのRPGとかよくやってたし」

「そうなんだ。でも残念ながらそんな魔法は持ってない」


 俺の能力を話すべきか一瞬迷ったが、特に隠しておくようなことでもない。

 俺はプーに打ち明けることにした。


「実は俺、人の心をざっくり読むことができるんだ」

「……」


 プーは目を丸くした。尻尾がなぜかピン!と立っている。


「……」

「マジで?」


 プーは犬なのに「ゲッ?」という驚愕の表情を作った。

 犬もよく見ると、いろんな表情できるもんなんだなあ、と少し感動。


「マジで、読める」

「もしかして、私の心も読んでたの?」

「あ、違う違う。読めるのは人間だけ。犬の気持ちはわかんない」

「……確かに犬だけど、なんかちょっと凹むなー、その言い方」


 プーは表情を普通の顔に戻して言った。


「人の心が読める、かぁ。何かできるのかな?」

「今のところは当然ノープランだけど、犬飼店長と猫田さんから、何か情報を読み出してみるよ」

「うん、わかった。頼りにしてるから」



 頼りにされてしまったが、自分でも言ったように現状はどうすればいいかわからないノープラン状態だ。

 でも、プーのためにもちょっと頑張ってみるか。

 年下の女の子に頼られると、男ってのは頑張れるもんだ。


 こうして、しばらくポメラニアンとトイプードルは傍目からはワン!とかキャン、とかウーウーとか話していたのだが、そんな俺たち二匹の前に一匹の子犬が割り込んだ。

 ん、一体なんだこの犬?

 その子犬は千切れんばかりに尻尾を振りながら、大きな声で叫んだ。


「ねぇ知ってる?」


 アホみたいにでかい声だ。子犬だから可愛い音色だけど、音量がとにかくデカい。

 犬の聴力は人間よりずっと良いんだから、ちょっとボリューム下げて欲しい。

 その犬は、さっき白黒のいじめっ子チワワにボールを奪われていた柴犬だった。


「ぼくお腹すいたんだけど、いっしょに遊んで!」


 そんなん知らんわ。言葉も全部繋がってなくて意味不明だ。

 しかし柴犬は目をキラキラさせながら俺とプーを交互に見て、さらに尻尾をぶん回す。

 これ、典型的なアホ犬だ。犬としては可愛いけど、話し相手としてはウザい事この上ない。


「あっちのチワワが遊んでくれるってさ。さ、行ってこい!」


 そう言うと俺はたまたま足元にあった骨状の犬のおもちゃを咥え、チワワの方に放り投げた。

 柴犬は目を輝かせ、歓喜の表情でおもちゃを追いかけて走り去っていった。

 その様子を見て、呆然とした表情を浮かべるプー。


「子犬って悪気がないから仕方ないけど、ちょっとウザいよね」

「うん……そうなんだけどさ、うーん、ほんとかな」


 なんだかプーの歯切れが悪い。


「どうしたの、プー?」

「えっと、あのね。これってどう思うかな」


 ためらいがちにプーは話し出す。


「あのね、ポメは人間の心が読めるんだよね」

「そうだね。さっきも言ったけど、犬の心は読めないよ」

「知ってる。でね、いまわかったんだけど」


 意を決したように、プーは宣言した。


「私、さっきの柴ちゃんが今までに見た風景が見えたの」

「柴犬の、見た……風景?」

「うん。音とか聞こえないけど。あの、スマホで動画を見るような感じで、私の頭に柴ちゃんが見た風景が流れてきたの」


 一体どんな能力なのだろう?犬の感情を読む?いや感情ではない。

 犬の網膜に映った映像を読み取る力、とでも言うのだろうか。


「待って。俺も犬だけど、俺が見た過去の風景も見えるの?」

「あっ、そうだよね。ちょっと試してみる」


 プーは視線が合っていないような、少し遠いものを見るような眼差しを俺の頭上くらいに向け、しばらくその辺りを見ていた。


「……見える。窓越しに、交差点?ピンク色の喫茶店を見ていなかった?」

「マジか!それ、昨日の夜のことだよ。ここは一体どこなのか、窓の外の風景を見ていた時の風景だ」


 プーは視線を俺の頭上から下ろすと、ゆっくりと目を閉じ、再びゆっくりと開く。


「なんだかすごく目の奥が疲れる。でも、これって便利かも」


 犬が過去に見た風景を見ることができる。

 一見すごい能力に聞こえるかもしれない。

 だがよく考えると、何に使えるかさっぱり思いつかないんだけど。


「……プー、それ、何かに役に立つかな?」

「立つよ!」

「たとえば?」


 プーは顔に犬らしからぬドヤ顔を浮かべつつ言った。


「あの柴ちゃんのおかげで、ここから脱出できる方法がわかったわ」

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