第六章 魔王の誕生

101 売れ残りだけは絶対にイヤ!

 私はトイプードルである。名前はまだない。


 なんて、明治時代の名作のように語り出してみたけど、実はわたし、マジでこの時は困ってた。


 だって、周りは子犬だらけ。しかも自分も今、どうやら犬っぽい。手を見ると、茶色というかアプリコット色で、しかも巻き毛。


 声を出してみると「キャン!」という可愛い声が出た。

 信じたくないけど、どうやら私、トイプードルになっちゃったみたい。


 だけど、私の意思と反して体を動かすことができない。ただひたすら、母犬のおっぱいを吸って、柔らかいドッグフードを食べているうちに、何日間か過ぎた。


 そして私1匹だけどこかに連れられてきたのが昨日のこと。多分ここはペットショップだと思う。いろんな犬がいるし。


 窓の外を見ると、道路はすごい大渋滞。これって、もしかして東京じゃないの?

 いやいやいや、そんなのどこでもいいよー!


 問題は、なぜ人間だった私が、トイプードルになったかってことだよ!

 なんだか頭の一部にモヤがかかっているような感じがするけど、思い出せる限りのこと、順に辿ってみようかな。


 ◇◇◇


 私が生まれ育ったのは、神奈川県の海沿いの町、二宮町。

 小さい頃からお母さんと二人暮らしの母子家庭で団地住まい。お父さんは、いない。お母さんに聞いても、お父さんのことは一切教えてくれなかった。


 だけど、私、見ちゃったの。お母さんに誰か知らない人から送られてきた、古い手紙を。お父さんは、刑務所にいるみたい。


 そして大学に入る時、自分で戸籍謄本を取りに行った時、お父さんの名前がわかるかと思ったけど、戸籍の父の欄に名前は見当たらなかった。


 なんで父の名前がないのか、スマホで調べてみた。

 いろいろなパターンがあるけど、どうやら認知されていないっぽい。


 つまりお母さんはお父さんと関係があったけど、そのタイミングなのかそのあとなのかわかんないけど、お父さんが警察に捕まっちゃった。

 だから私に迷惑がかからないように、認知を求めなかったんじゃないかな。


 お父さんがいなくて寂しいことは何度もあった。でも物心がついたときからずっとお父さんがいないと、それはそれで普通の状態だから、あまり気にすることもなかった。


 本当のお父さんはどんな人か調べたかったけど、それも止めた。知らない方が良いような気もするし、第一、お母さんは私に知って欲しくないだろうと思ったから。


 お母さんは看護師としてずっと頑張っていて、私を大学にまで行かせてくれた。私もなるべく頑張って、地元の国立大学に進学できた。

 これから良いところに勤めて、お母さんを楽にしてあげたい。それが私の望みだった。



 でも、人生って何があるかわかんないよね。

 父がいないせいかどうかわかんないけど、私は昔から年上の男性にしか興味を持てなかった。


 自分ではよくわかんないけど、私はそこそこイケてる顔っぽいし、愛想も良いから、先生や先輩から結構可愛がられていた。


 進学した大学では1年から教授に気に入られ、毎日教授のお手伝いをしているうちに、ズルズルと男女の関係になってしまった。教授には奥さんも子供もいるのに。


 悩んだけど、好きになってしまったのはどうしようもない。もちろんお母さんにも相談できないし、大学の友人なんてもってのほかだ。


 でも、やっぱり不倫なんてダメだって、今なら冷静に思う。でも不倫中は、そんなこと気にしなかった。しなかったというより、気にしないように努めていた、っていう感じ。


 結局悩みに悩んだ末、私はボロボロになった。大学生活も、教授との関係も。

 あの日は、もしかしたら自分で命を断とうと思っていたような気もする。


 あの超大型台風の日。私は学校にも行かず、カッパを着込んで海沿いにいた。

 大好きな、大磯海水浴場。小さい頃、お母さんと何度も泳ぎに来ていた、思い出の場所。


 荒れ狂う波を見ながら、私の心は空っぽだった。死にたいのか、それとも生きたいのか、自分でもよくわからなかった。

 だから、気がついたら波打ち際に立っていた自分に驚いた。


 信じられないほどの大波が自分を飲み込んだとき、もちろん驚いていたけど、なんだか「これでいいかも」と思った気がした。

 それにすぐ、意識が途切れたし。


 ◇◇◇


 で、気づいたらここにいたというワケ。ワケがわかんないよね。


 これって、転生だよね。アニメとかでよくあるやつ。

 でも、犬かぁ〜。うーん、第二の人生としてどうなんだろ? 少なくとも不倫とか、母子家庭とかはないのかなぁ。


 あ、でも嫌なこと、ひとつ思い出しちゃった。

 わたし動物とか好きだから、家でよく動物番組とかテレビで見てたんだけど、その中で「売れ残ったペットが、保健所で処分されちゃう」っていう特集を見たことがある。


 あの時は怒りがあって「そんな可哀想な犬、私が全部引き取りたい!」って思ってた。でも人間時代の私は、全然裕福じゃないどころか、どっちかというと低所得者層だ。


 うん、そんなことはどうでもいいか。

 問題は、今の私が「売れ残るかどうか」だ。

 確かトイプードルって大人気の犬だし、友達も飼っている人が何人かいたから、多分大丈夫だと思う。うん、きっと大丈夫!


「売れ残りだけは、絶対にイヤ!」


 知らず、私は独り言でそう言っていた。


 でも。

 ある日、私は自分が今いる場所、たぶんペットショップにかかっているカレンダーを見て驚いちゃった。


 だって、そこには「昭和63年」って印刷してあったんだよ?

 何これ? 私が生まれたのは、平成15年だよ? ということは、えーと。私が生まれる、だいぶ前のカレンダーが飾ってあるんだよ?

 思わず、声が出ちゃったよ。


「えー? 昭和63年ってなに? 転生して、タイムスリップしたってこと?」


 転生でタイムスリップ? なんだか本格的にアニメか映画っぽいよぉ!


「昭和63年ってことは、西暦だと、ええと……1993年? 私が産まれるだいぶ前だよ。どーすんのこれ」


 あれ? 計算が違うか。うーんと、そっか、1988年か。どっちにしても古いなぁ。


 昭和って、平成に生まれた私にとっては、とにかく荒っぽい時代だってイメージしかない。戦争もあったし、いろんなことがメチャクチャだったって感じ。でも良い歌とかもいっぱいあるけど、うーん、とにかく昔!


「私が産まれるだいぶ前だよ。どーすんのこれ。はぁ。しかも犬だし。毛チリチリだし」


 トイプードルは可愛いと思うけど、人間時代の私は黒髪ロングのストレートが自慢だった。チリチリは、うーん。犬だからいいかぁ……

 そこまで考えた時、急に尿意が襲ってきた。


「はうっ? や、ヤバイ。で、出そう」


 元人間の女の子としては、これはイヤだ。だって、トイレないんだもん。あるけど、そこにあるけどー! ペット用のトイレって、壁ないじゃん。丸見えじゃん!


 我慢して、みんな眠ってからオシッコしよう。と思っけど、一度もよおした尿意は止まることを知らないみたい。


「も、もう、我慢できない」


 仕方なく、周囲を見渡す。せめて誰も見ていない時に、こっそりしよう。


 と、隣のケージに入っていた白いフワフワした犬と目が合う。

 あ、ポメラニアンだ。かわい〜! 携帯電話のCMとかに出てたよね〜。

 いやいや、今はそれどころじゃない。

 なにジッと見つめてるんだ、このワンちゃん?


「バウ!!(こっち見んな!!)」


 私は大声で吠えた。通じたらしく、その犬はすぐに顔を背けた。



 これが、トイプードルに生まれ変わった私と、最愛にして宿命の敵である、ポメとの最初の出会いだったんだ。

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