102 一緒に逃げ出さない?

 隣のケージで顔を背けているポメラニアンを気にしつつ、なんとかトイレを終えた私。体がスッキリすると、頭もなんとなくスッキリする。


 よく考えたら私、犬なんだよね。別に他の犬にトイレ見られたって、なんてことないじゃん。もう人間の女性じゃないんだしね。

 とはいえ、うーん。やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしいよね……


 まだ顔を背けているポメラニアンを見てみる。たしかペットショップに来る子犬って、生後3ヶ月くらいだよね。まだ毛も柔らかそうで、マジでカワイイ。

 いいなー、私もこんな犬、飼ってみたかったな。


 なんてことを考えていると、ポメラニアンもこっちを向いた。うわ、ふわっふわでカワイイ! なんだか暖かそう。


 そうそう、外を歩く人を見ると、いまは冬っぽいんだよね。冬はやっぱり、毛が長い犬の方がトイプードルの私よりいいよねー。


「うーん、ポメラニアンか。そっちの方が毛も長いし、寒くなさそうで良かったかもねー」


 まあ、なんてことのない独り言だけどね。

 ポメラニアンの子犬はずっと私の方を向いていた。まるで、私の言葉を理解しているみたいにね。

 ま、そんなはずないんだけど。


 私は伏せて、ここは東京なのかな、とか、どんな人に買われるんだろ、なんてつぶやいた。そんなことを考えているうちに、やっぱり悲しくなってきた。


「……ママには、2度と会えないんだろうな」


 思い出すのは、不倫していた教授の顔じゃなく、お母さんの顔だけだった。なんだか、彼の顔はもう忘れかけていた。


 私、本当はあの人が好きだったんじゃなかったのかも。パパみたいな存在に憧れていただけなのかも。今更そんなこと思っても、もうどうしようもないんだけどさ……


 ◇◇◇


 翌日、私たち子犬は店の奥の運動場に運ばれた。

 周りには、いろんな犬がいる。


 昨日の、白いポメラニアン。


 いつも寝ている、ミニチュアシュナウザー。


 やたらと背筋を伸ばしてキリっと座っている、フレンチブルドッグ。


「ねえ知ってるー?」とうるさい、柴犬。


 意地悪なことばかり言って柴犬のボールを奪う、チワワ。


 ケージのアクリル板に映る自分の姿をじーっと見つめている、シェトランド・シープドッグ。


 ほんと、いろんな犬がいるんだなぁ。私、けっこう犬種詳しいじゃん、なんて自分でも思った。そうそう、小学生の時に犬が欲しくて、友達の家にあった「犬のひみつ」とかをずっと見て覚えたんだよね。


 そんなことを思い出していると、お腹が空いてきた。私はドッグフードが入ったお皿に近づき、パクパク食べる。昨日はちょっとためらいがあったけど、食べてみると意外にも美味しかった。


 すると、白いポメラニアンがいつの間にか私のそばに来ていた。目をドッグフードに向けて動かさない。食べたいんだったら食べれば良いのにね。

 すこしお腹がふくれた私は、ポメラニアンに皿を譲ってあげると、ポメラニアンはものすごい勢いでドッグフードを食べ始め、10秒ほどで完食した。


 うーん、いい食べっぷり! この子、多分オスだよね。そうそう、男の子はご飯いっぱい食べた方がいいよ! 少食な男の子なんてモテないからね! なんて人間の感覚で思ってしまうのが自分でもおかしかった。


 それにしても、このポメラニアン、ほんとにカワイイ! それに、他の犬も。


「結構可愛い犬多いなぁ。ヤバい私、売れないかも」


 大丈夫だよね、私。トイプードルってたしか、一番人気だよね?でもそれって私が人間として生きていた令和時代のことか。あれれ、昭和63年、つまりこの時代の私って、人気あったのかな?


 たぶん、大丈夫だと思うけど……


 そんなことを考えていると、さっきのポメラニアンが私の前に立っていた。

 なんだか、少しだけモジモジしている。カワイイ。

 なんだろ、私と遊びたいのかな? まだ子犬だもんね、ちょっと遊んであげようかな?


 と思っていたら、ポメラニアンはいきなり流量な言葉で話しかけてきた。


「やあ! 僕はポメラニアンのポメリン。わるい犬じゃないよ」


 ……なに、これ。

 なんだか聞いたことある言い回しだけど、なんだっけ?

 うーん、マンガかアニメに出てきたセリフだっけ?


 まあ、思い出せないからそれはいっか。そんなことより……


「キミ、普通に言葉を話せるの?」

「はい、普通に。僕も元は人間です。令和からやってきました」


 一瞬、なんのことかわからなかった。だって、相手は犬だよ? 白いフワフワのポメラニアンの子犬だよ。それが元人間って、意味わかんないよね。


 あ、でも私も今はトイプードルなんだ。そして私も令和……、あ!


「もと、人間? あたしの他にもいたんだ……」


 やっと、頭が働いた。犬に転生したのは、私だけじゃないんだ!

 心の底から、嬉しい気持ちが湧き上がってきた。だって、他の犬に話しかけても、ろくな答えが帰ってこないんだもん。


 正直、すっごく嬉しい。だって、やっぱり心細かったから。それにこの人、いや、この犬、結構礼儀正しい気がする。言葉とか、ちゃんとしてるもん。

 元は大人の人だったのかな?


 私は自分がブリーダーのところで意識が目覚めたこと、そのあとこの店に連れてこられたことを話し、ポメラニアンはたしか2日ほど前から店にいたことなどを教えてあげた。するとポメラニアンは。


「失礼ですが、お名前は?」


 これは、今の私、つまり犬の名前のことではないと思う。人間の時の名前のことだよね。すごく丁寧な聞き方だけど、うーん。やっぱり、人間の時の名前を言うのは抵抗があるなぁ……


「名前はまだないわ、飼われてないから。人間の時の名前は……ちょっとまだ言いたくない」

「ですよね、わかります」


 あれ、すんなり受け入れてくれた。やっぱこの犬、イイやつじゃない?


「僕も名前はまだありません。でも便宜上、僕のことはポメと呼んでください」

「ポメリンって名前じゃないの?」

「ごめん、あれはちょっとしたパクリで冗談なんで!」


 パクリ? わかんないけど、やっぱりマンガとかアニメとかのセリフだよね、きっと。

 そっか、ポメラニアンのポメくんか。うん、なんとなくだけど、好印象です!

 私は、どんな名前がいいのかなー……うん。


「わかった。私はそうね、トイプーだからプーと呼んで。熊じゃないけどね」


 その後、ポメくんは人間時代の「最後の瞬間」を聞いてきた。

 私はまた、あの時のことを思い出す。絶望して、死にたい気分だったあの日のことを。自殺したわけじゃないけど、それに近い感覚だった時のことを。


 だから私は、台風の日に海で溺れて死んだ、という事実だけを教えた。


 驚いたことに、私と同じ日、ポメくんも川で流されて亡くなったらしい。

 これって、どういうことなんだろう?

 なんで同じ日に死んだ人間が、同じペットショップにいるんだろう?


 その後も、いろんな話をした。私ってば、すごく寂しかったみたい。ポメくんもそうだったのかもしれない。だって、すごく尻尾振ってたから、楽しそうだったもん。あ、私も尻尾振ってたかもね。


 私たちは、バックトゥザフューチャーみたいだとか、ポメくんが東京の世田谷に住んでたサラリーマンだったとか、そんな身の上話を聞いたりした。


 それでわかったけど、うん。

 このポメくん、やっぱり信用できそう。だって、すごく気を使って話してくれるし、といって壁があるわけじゃない。


 年上の男性だった、ということが私にとっては一番の信頼ポイントかもしれないけどね。あー、生まれ変わっても私、ファザコンなんだなぁ。


 だから私、数日前から思ってたことをポメくんに相談してみようって決めたんだ。


「ポメさぁ、私からひとつ提案があるんだけど、聞いてくれる?」

「提案? なになに?」

「このペットショップから、一緒に逃げ出さない?」


 ポメくんは、カワイイ目をさらにまんまるにして私を見つめていた。

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