100 魔王の正体

 その『魔王』は静かな声で語り出した。


「カール、そいつには手を出すなと言ったはずだが?」


 低いトーンだが、まるで子供のような声。

 あらためて見ると、シルエットもまるで子犬のように小さい。


『魔王は覚醒していない』、確かサバトラは、魔王の使徒カールがそう動物たちに演説しているのを聞いたと言っていた。


「しかし、魔王様。これは絶好のチャンスです! この機会に勇者を倒しておけば、あなたの悲願は……」


「もう一度言う。手を出すなと言ったはずだが?」

「ヒッ!」


 あの傲岸不遜な魔王の使徒・カールが顔を恐怖で歪ませた。そのままカールはブルブルと体を震わせると、ヘナヘナとその場に崩れ落ち、そのまま失神した。


球磨嵐くまあらし。お前はもう秋田の山に帰れと命じたはずだが?」

「……俺の意思じゃねぇ。カールが俺をそそのかしたんだ」

「そうか? 私が聞いた話とは別だな。チャンスがあれば私に取って代わろうとしていると、お前の世話係の人間に聞いたがな」

「何ぃ? くそ、アイツめ……」

「お前も寝ておれ」


『魔王』がそう言った途端、球磨嵐の目がぐるりと白目をむき、ドサリと大きな巨体がその場に倒れ込んだ。


 ……恐ろしい。

『魔王』が動物を自在に操ることができるとは聞いていた。だが、これほど簡単に四天王2匹を無力化することができるなんて、想定外もいいところだ。

 こんな能力を持ったヤツに俺が対抗できるとは、到底思えない。


 だが。

 なぜかこの『魔王』は、俺に手を出すなと命じていたらしい。

 一体、なぜなのか。


 勇者である俺がいなくなれば、『魔王』の野望は叶ったも同然だ。

 それなのに、なぜ俺を生かしておく?

 なんのメリットがあるのか。


 何にしても、俺は勇者として『魔王』と話さねばならない。


「……『魔王』か、お前が」

「…………そうだ」


『魔王』は、ゆっくりと語り出した。


「勇者よ。いずれ、お前とは決着をつけねばならない。だが今回は見逃してやろう」

「……なぜだ?」

「今はまだ『その時』ではないからだ」

「……その時?」


 どういうことだ? 魔王は、何かのタイミングを狙っているのだろうか。

 まるで、この先の未来を知っているかのような言いぶりだ。


「なぜ『その時』なんてわかるんだ?」


『魔王』はしばらく動きを止め、何も言わなくなった。たっぷり1分はそのまま過ぎただろうか、再び『魔王』は語り出した。


真王しんおう教が、まだその時ではないことを知っているからだ」


 真王しんおう教、それは確か真王まおう教と呼ばれ、魔王を崇め奉っているはずだった。なのに『魔王』は、その時ではないと言っている。


「どういうことだ? 『その時』はいつ来るんだ?」


 何が何なのか、さっぱり理解できない。


「……『その時』は、永遠に訪れないかもしれない。だが……」


『魔王』は、何かをためらうように、ポツリポツリと話を繋ぐ。


「……勇者よ。お前も『その時』に関わるかもしれない。だから、待つのだ」

「俺が、何にどう関わるって言うんだ? 何を待てば良いんだよ? さっぱりワケがわからないぞ、魔王!」


 叫びながら俺はとてつもない違和感を感じていた。


 魔王軍の誰もが恐れる、絶対的存在の『魔王』。佐藤パパさんが所属する人間の『組織』も、その存在を危険視している『魔王』。


 なのに。

 俺に対しては、ちゃんと理解してほしいかのように。

 今はまだ話せないと言い訳するかのように。

 まるで友人のように、『魔王』は俺に語りかけているのだ。


 いや、違和感ではない。

 俺はなぜか、『魔王』に親近感すら覚えている。

 もしかして……俺はある思いつきを『魔王』にぶつけてみることにした。


「おい、『魔王』。お前もしかして、俺と同じ『転生者』なのか?」

「…………」


『魔王』は何も返さない。


「お前が言う『その時』って、お前が未来を知っているからではないのか? 俺と同じ、未来から転生してきた、元人間なんじゃないのか?」

「…………」


『魔王』は無言のまま。そのシルエットがくるりと階段方向に向きを変えた。


「……また会おう、勇者。カールと球磨嵐は連れて帰らせてもらう」


 そう『魔王』が言った瞬間、ムクリとカールと球磨嵐が起き上がった。その目は半開きで、意識があるようには見えない。

 これも多分、魔王が操っているのだろう。


「待て、魔王! 俺の質問に答えてくれ!」

「もう、遅い」


『魔王』は、まるで苦しみを絞り出すような声で答える。


「何が遅いんだ、魔王?」

「お前が、私を、探すのが遅かった」


『魔王』の姿をシルエットにしていた電灯の明かりから、魔王が一歩踏み出したその瞬間。

 俺は『魔王』の姿をやっと目にすることになった。


『魔王』の姿は、驚くほど小さかった。

 茶色、いやアプリコット色の、くるくるとした巻き毛。

 記憶にある幼犬時代よりは大きくなったが、まだ若い犬。


 そして記憶にあるその匂い。その声。その姿。


「だから、私を探して、って言ったのだ。もう遅いのだ、ポメ」


 俺が転生したこの時代で唯一、俺のことをポメと呼ぶ、愛しいメス犬。


「なぜ、なぜなんだ…… プー……」


『魔王』、その正体は。

 俺がこの世で一番愛しい犬、トイプードルのプーだった。


「なぜ……」


 俺の視線に入るプーが、やがて揺らめいていく。

 待ってくれ、プー。せっかく会えたのに、やっと会えたのに。

 なぜキミが『魔王』なんかに……


 そのまま俺の意識は遠のき、床に倒れ込んだ。



 第五章 完


****

魔王の正体が判明したこの話で、2024年の毎日投稿を一旦止めます。

再開は4月中旬を予定しております。


なぜ魔王になったのか、勇者と魔王はなぜ生まれるのか。

真王教との関連は。日本はどうなるのか。

第六章ではその辺りを詳らかにしていきます。

今後も応援よろしくお願いいたします。

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