36 賢者と乱暴者の対話

 一週間後。

 体の痛みが引き、俺は賢者ソースと、その護衛として同行するチャトランと共に、多摩川17地区の海老名さん宅に訪れた。

 家まで案内をしてくれたのは、17地区リーダー、アレクサンドルの配下だという三毛猫のブチくんだ。


「賢者様、ささ、こちらでござる」


 ブチくんはまだ若い三毛猫だが、なかなかしっかりとしたオス猫だ。口調だけがなんだか忍者っぽいのが気になるけど。


 たどり着いた海老名さん宅は庭が広く、200坪はあろうかという大きな邸宅だった。ブチくんの案内で、塀と塀に空いていた隙間から庭に侵入する。


 すると、庭になぜか海老名さんのおばあさんがいて、庭木を眺めていた。時期は1月末、夜11時は過ぎている。とても冷える時間なのに、何をしているんだろう?


 賢者はしばらくおばあさんの姿を庭木の影から観察していたが、やがて小声で俺に話しかけた。


「モフよ、姿を現してあのおばあさんに挨拶してこい。尻尾を振るのを忘れないようにな」


 よくわからんが、やってみよう。

 俺はおばあさんの目の前に移動し、ブンブンと尻尾を振りながら、できるだけ可愛く吠えてみた。


「ワフン!」(こんばんは!)



 おばあさんは俺の姿を見つめたかと思うと、やがて笑顔で話しかけてきた。


「あらあら、くーちゃんの友達かしら? 遊びにきたのね。こっちにいらっしゃい」


 なんともあっけなく、家の中に案内してもらう。俺に続き、ソースとチャトランも何食わぬ顔で家の中に入れてもらう。


「あっしは念のため、外で見張っておりやす」


 ブチくんを残し、海老名家の廊下を歩くおばあさんと3匹の犬猫。

 廊下の一番奥の襖を開けると、そこはテレビが置いてあるリビングのようだ。


 入ると大きなコタツがあり、海老名さんのご主人がコタツに入ったまま、座椅子で眠りこけていた。

 そして今回の目的である乱暴チワワ・くーちゃんは、ご主人のかたわらでうずくまって眠っている。


 おばあさんはチワワに近づくと、その体を揺り動かした。


「くーちゃん、お友達が来ましたよ」


 おい起こすなよ! と思ったが後の祭り。

 チワワはビクッと体を震わせるとすぐに立ち上がり、俺たちの姿を確認するなり戦闘体制に入った。


「俺のものは! 俺のもの!」


 まただ。こいつ、これしか言葉を知らないんじゃないかってぐらい、同じセリフを繰り返すな。


 チャトランはすでに体を低くし、尻尾をピンと直立させ、低く唸り声を上げてこれまた戦闘体制をとっていた。

 だが賢者ソースは、険悪な雰囲気をまるで感じていないかのようにチワワに近づき、一言話しかけた。


「Hello, good evening. My name is Sauce.」(やあ、こんばんは。私の名前はソースだ)


 あれれ、なぜに英語? しかも「ワンワン」とかの犬語ではなく、賢者ソースの口からはちゃんとした「人間の英語」の発音が発せられていた。


 チワワのくーちゃんは一瞬驚き、その後、犬語で何かを話しだした。


「Bakit ka nagsasalita ng Ingles?」


 おい、何語だこれ? ちょっと聞き覚えがあるような発音だけど、意味はまったくわからないぞ。少なくとも英語やフランス語、スペイン語といったメジャー言語ではない。


 賢者ソースは引き続きわからない言葉でくーちゃんに話しかけた。くーちゃんはその一言で戦闘体制をやめ、しばらくソースと何かを会話する。


「チャトランさん、これってどういうこと?」

「私にもさっぱりわからん。何を話しておるのじゃろう?」


 チャトランも低い体制を解き、俺の横で不思議そうに会話を続ける2匹の犬の姿を見つめている。


 しばらくして、チワワのくーちゃんは大きく頷くと、大人しくお座り体制になって口を閉じた。同時に賢者ソースも俺とチャトランの横に移動してくる。


「やはり、我が思ったとおりだった。お前たちにも説明しよう」


 賢者ソースは、今の対話内容を説明してくれた。


「結論から言うと、くーちゃんは我らの仲間になってくれることに合意した」

「え!? そんな簡単に……一体どんな話をしたんですか?」


 ソースとくーちゃんが話したのは、以下のようなことだった。


 くーちゃんは元々。フィリピンのミンダナオ島出身で、フィリピン船籍の船で働いていた、なんと人間だったという。


「フィリピン出身の、もと人間だって?」

「そうだ。お前と一緒の転生者だ」

「そんな! 俺とプー以外にも、ワンニャン王国に転生者がいたってことですか?」

「そうなるな。しかも、だ」


 しかもくーちゃんは令和時代の超大型台風の日、つまり俺とプーが亡くなったのと同じ日、日本近海で台風に遭遇し、座礁して沈没した船の乗組員だったというのだ。


「くーちゃんがロクに話ができなかった理由は、日本語が話せなかったからだ。我は元々、世界の言語にある程度精通しておるゆえ、彼の話を聞くことができた、というわけだ」

「じゃ、さっき話していた言葉は……?」

「フィリピンのタガログ語だ」


 なるほど、やっぱりあの犬くーちゃんは日本語がロクに話せなかったということなのか。

 でも奴の決めセリフ、日本の超有名いじめっ子が使う「お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの」は、なぜ話すことができたのだろう?


「あの犬はな、人間時代、日本のアニメが大好きだったそうだ。同じ船に乗っていた日本人の船長に、その言葉だけ教えてもらったらしいぞ」


 よくいるよね、外国人に変な日本語教える人。その日本人船長、もっとマシな言葉を教えてやれよ……と思ったけど、その船長も亡くなっちゃったんだろうな、たぶん。


「お前たちに攻撃した理由だが、話も通じなくて怖かったからだ、と言っている。なにせスラム育ちで、ろくな教育も受けておらんかったようだ」


 話が通じない異国で、なぜか犬に転生。周りはみんな敵、彼がそう思っても不思議ではないのかもしれない。やっと、今までの彼の行動が腑に落ちた気がした。


 なんにせよ、乱暴者の黒白チワワ「くーちゃん」は、賢者の説得により俺たちの仲間となる約束をしてくれた。


 勇者、賢者、乱暴者。なんだかいびつなパーティだけど、これでまた一歩、魔王と対決するための準備が整った。

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