22 多摩川の主との遭遇

 ちょっと考えれば、すぐにわかりそうなものだった。

 俺が命を落とした場所は、多摩川の土手沿い。東名高速道路の高架があり、その付近で異常に増水した水に流され、意識を失った。

 もと住んでいた家からは車で5分程度。同じ町内で歩いているならば、俺が命を落とした場所に来てもおかしくはない。

 なのに、俺はあまりのショックに声も出なかった。


「モフ、到着したよ」

「風太、紐外しちゃっていいよ! 一緒に遊ぼ!」


 悪いが、ちょっと遊んであげる気にはなれなかった。何しろ、俺が死んだ場所はすぐその辺りなのだ。今は通常の水位で、川沿いには広場やグラウンドが広がっているが、まさにその辺で亡くなったと思われる場所だ。

 誰がそんな場所で能天気に遊べるものか。


「風太、ジャーン。これ、使う?」

「あ! ねーね、それ貸して!」


 友梨奈が取り出したのは、ゴルフボール大のカラフルなスポンジボールだった。なんだ? それで俺と遊ぼうってのか。悪いが今はそんな気分じゃない。勘弁してくれ。

 風太はそんな俺の心などもちろん知らず、ボールを掴んで思いっきり広場の中央に向かって投げた。


「ほらモフ、とってこい!」

「ワンっ!」


 心と裏腹に、俺はボールを一心不乱に追いかけていた。

 本能か? 狩猟本能なのか? 気づくと俺はボールをくわえ、その場で「ガルルル」とボールを噛み砕いて遊んでいた。なんやこれ、俺の意志とは正反対に尻尾がちぎれそうに触れているのがわかる。

 俺の体ってば、めっちゃ楽しいらしい。


「ダメだよーモフ、ちゃんと持ってこないと」


 風太くんが俺の近くにやってきて、俺からボールを取り上げた。その時、俺はここに至ってついに自分の行動原理がわかった気がした。心は元人間、これは紛れもない事実だ。だがどうやら犬の習性や行動が体に残っている、というか俺がポメラニアンである限り避けられないようだ。


 例えば『魔王の使徒』と自称していたミニチュアシュナウザーと対峙した時。『魔王』と聞いた瞬間、体の震えが止まらなくなってしまった。心の中では「なんだそれ?」と思っていたのにも関わらず、だ。


 今だってそうだ。自分の心は沈み切っているのに、ボール遊びをしたいという子犬の習性の方が勝っていた。これはマズイ。いや、どうなんだ? 犬だから、仕方ないのだろうか?



 風太くんと友梨奈ちゃんはしばらく俺とボール遊びをしていたが、10回ほどで飽きたらしく、今度は二人で落ちている枝を使ってチャンバラ遊びに興じていた。


 やっと解放された俺は、葦が茂っている側で伏せて休憩する。と、急にあるニオイが鼻に飛び込んできた。


 何かが、いる。生臭いような、腐ったような、例えるならば「川のニオイ」が動いている感覚がある。

 すると葦の影から、ポメラニアンの俺と同じくらいの大きさの、あるモノが現れた。

 なんだ、これは?


「グモー」


 そいつの鳴き声は、腹に響くような低音。姿は茶色と黄土色が混じったような色で、犬でいうと「お座り」の体制で俺を睥睨へいげいしていた。


 カエルだ。いや、ただのカエルではない。巨大な、子犬ぐらいのサイズのカエルだ。な、なんだこれ? また俺、ビビって動けなくなっちゃうのか?


 だが俺の予想とは裏腹に尻尾はピンと屹立し、いつのまにか低い唸り声を上げ、カエルと対峙していた。


「グルルルル……」


 お? 俺の体ってば今回は戦闘体制、結構「やる気」みたいだ。心ではちょっとキモいと思っているが、まさか犬がカエルごときに負けることはないだろう。よし、やってやる。この巨大カエルを倒してやる。


 巨大なカエルは変わらず微動だにせず俺を眺めている。俺はしばらく唸った後、カエルに向かって駆け出し、牙を突き立てようとした。


 ベチャ。そんな音がしたかと思うと、次の瞬間、俺の体はカエルの右足で押さえつけられていた。カエルは意外に重く、逃げ出すことができない。


 ま、まさかカエルごときに負けるとは……俺ってもしかして、超弱いんじゃないか?


「大人しくするんじゃな、子犬よ」

「な! あんた、喋れるのか?」

「当たり前じゃろうが。ワシは、多摩川のこの辺りでは『ぬし』と呼ばれておる。喋れないわけがなかろうが」


 まさか、犬とカエルが会話できるとは予想もしなかった。


「それにしても子犬よ、いきなりワシに飛びかかってくるとは失礼千万じゃな。だいたいお前、この辺では見たことがない顔だのう?」

「俺は、ポメラニアンの『モフ』だ。つい先日ペットショップで買われてこの辺りに来たばかりだ。ほら、あの子供たちと散歩に来たんだ」


 飼い犬がカエルに踏み潰されているというのに、姉弟は遠くで大声をあげて斬り合いをしている最中だった。おいおい、買ったばかりの子犬を放置するなよ……


「ふむ……お主、子犬にしてはやたらとしっかりしておるのう。ふつう、子犬はあんまり喋れないもんじゃがな……」

「ああ、ちょっとワケありでね。それよりカエルさん、そろそろ俺を解放してもらえませんかね?」


 相変わらずカエルに押さえつけられたままの俺は、解放をお願いした。


「いや、そうはいかん。お主にひとつ、確認せねばならんことがある」

「確認? なんだよ」


 巨大カエルは俺を押さえつけたまま、重々しく俺に尋ねた。


「お主、もしかして、魔王の眷属けんぞくではなかろうな?」

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