82 天才犬モフ、死す

 1989年12月3日。

 この日は世界史に新たな1ページを刻む、あるニュースが報じられた。

 アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ最高会議議長がマルタ島で会談を行い、冷戦の終結を宣言したのだ。


 説明しよう。

 第二次大戦以降、アメリカを中心とした資本主義国家とソ連を中心とした共産・社会主義国家は長く対立し、東西冷戦と呼ばれる状態が44年続いた。その時期にはキューバ危機のような第三次世界大戦寸前になるような危険な状態が度々起こっていたのだが、ソ連のゴルバチョフによるペレストロイカにより、急激に資本主義国家との関係改善が起こり、この日の会談に結びついたのである。



 その日、チワワのくーちゃんが飼われている老夫婦の家で、俺と佐藤パパさんは抱き合っていた。


 しばらくしてパパさんが俺を放し、少し照れたような顔で言った。


「ああみんな、ごめんな。ずっとこの話、モフとしたかったんだ。みんなには関係ない話ですまないね」

「いや……羨ましいよ。君たちは、互いを思いやれる素晴らしい主従関係だったんだな」


 アレキサンドルが感心したような顔で言ってくれた。


「本当だワン! 僕の飼い主にも見習わせたいワン」


 タロウ、お前、あんまり飼い主に可愛がられていないのか……?


「それはそうと、本題を続けないとね。いいかな、モフ」


 そうだ。ずっとパパさんの正体、つまりパパさんは俺の元飼い犬のモップで、40年前に人間に転生し、魔王を倒すために俺を探していた、という話の途中だった。


「もちろん。続けて、モップ。いや、パパさん」


 周囲からクスリと笑い声が起こる。今の自分の飼い主である人間に対して、ペット時代の名前を呼ぶなんて確かにおかしいよね。


「じゃあ、続けよう。僕はもともと動物だから、動物語は小さい頃からわかっていた。逆に小さい頃は周囲の人間が動物の言葉がわからないことに疑問を持っていたくらいだよ」


 まあ、さもありなんだね。動物の言葉がわかる人間なんて、ファンタジーの世界にしか存在しないだろう。ムツゴロウさんでもあるまいし。


 説明しよう。

 ムツゴロウさんとは、小説家で動物研究科だった人物で、元は東大出身の秀才だった人物である。だが一般的に有名なのは、1980年から20年以上続いたテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の出演で、番組内では動物を愛するムツゴロウさんの姿がふんだんに描かれた。その中で、ムツゴロウさんは「僕は動物を話ができるんです!」などと言っていた時期もあったのである。


「いろんな動物や人間と話をしているうちに、僕は自分が犬として住んでいた時代よりかなり過去に転生したということがわかった。そこから必死にいろんなことを学んだんだ。それで、ある組織に入った」


 おっと、いきなり話が90度変わったぞ? ある組織って、なんぞや?


「その組織のことは、今はまだみんなに話さないでおこう。万が一その組織のことが漏れて、俺以外に動物の言葉がわかる人間や、魔王にバレるとまずいことになるからね」


 佐藤パパさんって、宮内庁の職員じゃなかったっけ?

 なんだか、まだまだ謎が多い人物だなぁ、と俺は思った。俺の買っていたモップは、とても優秀なんだなぁ、とも。


「でね。その組織が、魔王軍の情報を掴んだんだ。それで、僕はずっと勇者を探していた。つまり君、モフをね」

「……よくわからないけど、とにかく魔王軍の情報を手に入れたんだね」

「そうだ」


 次に、ウシダ師匠が言葉を繋いだ。


「ワシは他の地区のリーダーから佐藤さんを紹介された。そこからずっと情報交換を行っていて、賢者ソース殿も含め、魔王軍の動向を探っていたのだ」

「なるほど、ずっとパパさんと知り合いだったんですね」

「仲間、と言っても良い。そしてある日、佐藤さんから聞いたのだ。『ついに勇者を見つけた、これから迎えに行ってくる』とな」


 六本木で俺がパパさんに出会ったのは偶然でもなんでもなかった。パパさんが勇者である俺をずっと探していた結果なのだという。


「そしてモフ、これからの動きを君に伝えたいと思う」


 パパさんが真剣な表情で俺に言う。俺も居住まいを正し、話を聞く。


「賢者ソースと調査の旅に出ていたサバトラが、あと2匹の魔王四天王の正体を掴んだ。君は、進化の秘宝の効果が一旦切れてポメラニアンに戻ったら、すぐに横浜で彼らに合流してほしい」


 進化の秘宝によって、ポメラニアンである俺が今の状態である「サモエド」に進化できるのは1ヶ月程度だと聞いてる。だとすると、まもなく俺はポメラニアンに戻るはずなのだ。


「君がCMデビューしたのは、僕と賢者ソースの作戦だ。魔王軍に君の姿を見せて、宣戦布告をする。そのことで、魔王四天王をすべて炙り出したかったんだ。元にツキノワグマの球磨嵐くまあらし、あいつは居場所も正体も知れなかったのだけど、自分からノコノコ姿を現してくれたしね」


 なるほど、それで俺はオーディションを受けることになったのか。おかげで日本一有名なワンちゃんになれたよ。モテモテになれたよ!


「でも、君はもう引退だ」

「へっ!?」


 変な声が出た。あれ、人気者のポメラニアン、引退しなきゃダメなの?


「君の芸能犬としての役割は終わった。次は、あと2匹の四天王を倒し、魔王の正体を探らないとならない」

「魔王の、正体……まだ、わからないんですか?」

「ああ……まだ、だけどね」


 俺が六本木のテレビ朝日で戦った「魔王の使徒」を名乗るミニチュア・シュナウザー。その時に初めて聞いた「魔王」という存在。

 その後、魔王の四天王が次々と現れたが、その中心の存在である「魔王」は、まだその正体も掴めていないのか。


「君は、世間的には死んだことになってもらう。実は、この前のツキノワグマ脱走事件は大ニュースになったんだ。あのとき君が傷を負ったのを、例の黒煙の飼い主である『恭子』という女性が見ている。その戦いの傷が元で、君が死んだことにしておきたいんだ」

「……魔王軍を油断させる、ということですか?」

「うん、それもある。いずれはバレるだろうが、時間を稼ぎたい。君は姿を隠し、賢者やサバトラといろいろ探って欲しいんだ。もちろん、僕も横浜までは同行しよう」


 今度の旅は、人間である佐藤パパさんと一緒に行けるのか! それは心強いな。車で一気に移動できそうだしね。


 ◇◇◇


 それから一週間後。

 サモエドからポメラニアンに戻った(退化した?)俺は、天才犬最後の演技をテレビカメラの前で行った。

 俺の家に来たワイドショーのテレビクルーは、犬用の棺に収められた俺の姿をテレビカメラで撮影している。


 天才犬、モフは死んだ。だから、俺は棺の中でピクリとも動いてはいけない。

 なんだかあっという間の芸能犬生活だったなぁ、なんて思いながら、俺は死亡した犬の演技を続けていた。


 黒いスーツを着た女性リポーターが、悲しみのリポートをテレビカメラに伝えている。


「あの天才犬、ポメラニアンのモフくんが、脱走したツキノワグマに襲われ、死亡したという悲しいニュースは、日本中のモフくんファンの心に深い悲しみをもたらしました……」


 あれ、青葉ママや友梨奈ちゃん、風太くんまで泣いてるよ? パパさん、家族にも嘘をついているのかな?

 と思ったら、風太くんは「えーんえーん」と棒読みで、涙を流していなかった。どうやら佐藤ファミリーは、一家揃って俺が死んだという演技をしてくれているらしいね。


 とにかくこの日をもって、華やかな俺の天才犬生活は終わりを告げたのだった。

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