83 アホ犬との再会

 天才犬のモフくんが死んだことになってから、俺の生活は多少不自由になった。何しろ、俺は死んでしまったとテレビで大々的に放送され、週刊誌も後追い記事を死ぬほど出したらしく、かなり世間に知られてしまったからだ。


 そんな俺がホイホイそのあたりを散歩するわけにはいかない。

 少なくとも近所で散歩ができなくなってしまったのだ。


 というわけで。

 俺は家族に「ポメ太」という、外でのみ呼ばれる名前を新たに付けられた。家では「モフ」だが、外では「ポメ太」という名前で呼び、天才犬モフに似ているのでは、と聞かれた時は「よく言われるんです〜。ね、ポメ太」という返しをするという作戦だ。


 じゃあ、俺の散歩はどうするんだって?

 本当に申し訳ないのだが、青葉ママが毎回車で連れて行ってくれることになった。お手数かけて本当にすみません、青葉ママ。


ちなみに、ママさんや友梨奈ちゃん、風太くんへは「モフが怪我をしたので、もう無理はさせられないから」という理由をつけて芸能界引退(死亡した演技を含む)を説得したらしい。


 今日やってきたのは、駒沢公園。

 俺が人間だった頃、飼い犬である「モップ」、つまり今の俺の飼い主である佐藤栄三さんをよく連れて行った場所だ。ああ、なんだかややこしいな。


 駒沢公園は、令和の世では「犬の聖地」と呼ばれる場所だ。なにしろ日本で初めて「ドッグラン」ができた場所だ。だがそれは2002年のこと。

 俺がいまいる時代、1989年にはまだ影も形も存在しないのだ。


 とはいえ、近隣の犬好き住民たちにとっては、犬の散歩に最適な場所であることに変わりはない。

 俺は青葉ママにリードを引かれ、駒沢公園の外周を存分に散歩させてもらっていた。


 やはり、さまざまな人間や犬から注目を浴びる。そりゃそうだ、あの悲劇の天才犬である「モフくん」にそっくりな犬が元気に散歩しているんだから。


 ――え? あれモフちゃんじゃないの?――


 ――ポメラニアンってみんなあんな感じだったっけ?――


 特に犬好き、つまり犬の散歩をしている人たちはほぼ100%、俺のことをじっと見ては、俺がモフにそっくりだと思っていた。そりゃそうだ、本人というか本犬だもの。


「こんにちは。そのワンちゃん、CMに出てたモフちゃんにそっくりね」


 中にはやはり話しかけてくるおばちゃんもいる。


「そうなんですの。よく言われるんですよ、似てるって。ねえポメ太、オホホホホ」


 青葉さん、セリフが棒読みすぎだよ……逆に怪しくなっちゃう。



 その後、ママさんと俺は駒沢公園のジャブジャブ池のあたりを歩いていると、可愛らしい柴犬を連れているスーツ姿の男性に出会った。

 珍しいな、こんな真っ昼間からスーツ姿の男が犬の散歩をしているなんて。


「やあこんにちは。あらら、これまたこの前ツキノワグマと戦って、負傷した傷がもとで亡くなってしまった、CMやテレビ番組で大人気だった天才犬のモフくんにそっくりなワンちゃんですね」


 スーツ男性はまるで周囲にすべて説明するかの如く、流暢に青葉ママに話しかけた。


「オホホホ、そうなんですよ。ねぇ、ポメ太」

「ポメ太くんって名前ですが。いやあこれはわかりやすい。まるで仮に付けた名前みたいな、とっても可愛らしい名前ですねぇ。なるほどなるほどー」


 なんだろう、少しイラッとする喋り方だ。慇懃だが、すこし無礼な内容だし。


 気づくと、その男性が連れていた柴犬が、じっとこちらを見ていた。あ、そうだ。知らない土地に来たら、そこの地元の犬にちゃんと挨拶しないとね。


「こんちは! 僕はモ……ポメ太です。よろしく!」

「……」


 何も言わないな、この犬。もう少し話しかけてみよう。


「今日は遠くから、ママさんに連れられて車でやってきました。この公園、とても素敵ですね!」

「……」


 柴犬は、じっとこちらを見たまま何も言わない。あれ、もう少し話が必要か?


「ところで、あなたはとても素敵な毛並みですね。僕みたいにふわふわしてると、今みたいな冬はいいけど、夏は地獄ですよ。その点、日本犬って毛が短くて、夏は快適そうですよね」

「……」


 おい、いいかげんなんか言えよ柴犬。かなりイラッとしてきたが、もう一度だけ話しかけようかな、と俺が口を開きかけた時、柴犬は口を開いた。


「ねえ、知ってる? ここの公園の犬は、全部僕より弱いんだよ」

「へっ?」

「ねえ、知ってる? 僕は今日初めてこの公園に連れてこられたんだけど、東京は臭くて人が多くて犬も弱くて、うんざりなんだよ」


 この柴犬が話す、冒頭の文脈。2度繰り返されて、俺はやっと気づいた。


「ねえ知ってる? 僕たちは初めましてではなくて、2度目ましてなんだよ。それに気づかない白フワ犬は、やっぱり頭が良くないんだよ」


 やはりそうだ。

 この柴犬、確かに初めて会った犬ではない。


 六本木のペットショップ「ワンニャン王国」にいた、あのアホ犬だ。「ねぇ、知ってる?」としか言わず、「お前のものは俺のもの」しか言わないくーちゃんにいじめられていた、あの柴犬だ。


「お前、あの時の柴犬か! 久しぶりだなぁ、よく俺がわかったな」

「知ってる? 僕はとても頭も鼻もいいし、力も強いんだよ。君みたいな凡犬とはわけが違うんだよ」


 失礼な言い草だが、コイツの言い方はなんだか憎めないところもある。


「お前、あのあと、このサラリーマンに飼われたのか。どこに住んでるんだ?」


 柴犬は相変わらず、じっとこちらを見つめながら、まるで笑っているかのような顔で、しかも尻尾をフリフリと振りながら言った。


「知ってる? 僕はお金持ちに飼われているんだよ。今日はご主人のお仕事のお供で、この公園にやってきたんだよ」

「ああ、飼い主さんの仕事のついでか」


 俺は飼い主のサラリーマンを見上げる。彼は相変わらず長いトークを繰り出し続け、青葉ママを困惑させているようだ。


「そうだよ。でも、さっき『もうすぐ仕事が終わる』って言ってたから、そろそろ昼ごはんの時間なんだよ。ねえ知ってる? 僕は骨付きの生肉が大好きなんだよ」

「骨付き生肉か! 贅沢だなぁ」


 まあ俺はあまり好きじゃないけどね。ただ犬の習性で、骨は永遠にかじっていられるほど好きだ。


「あ、そうだ。お前、名前は何ていうんだ?」

「僕の名前は、豆之助っていうんだ。よろしくね」

「豆之助か。俺は、モ……ポメ太だ。よろしくな」

「ねえ、知ってる? 僕って、少しだけ未来が見えるんだ。君とはこの先、何度も顔を合わせる気がするよ」

「未来が見える?」


 突然の発言にドキッとした。ああ、そうか。

 確かに、俺たちがいた六本木の「ワンニャン王国」のワンちゃんたちは、みな何かしらかの過去や能力を持っていた。


 俺は転生者で、人間の心が読める。

 プーも転生者で、動物の心が読める。

 くーちゃんも転生者で、底知れぬパワーを持っている。

 そして賢者ソースとアフロディーテは、何度も転生を繰り返しているらしい。


 ならば、この豆之助に「予知能力」があってもおかしくないのか。


 一体、なぜワンニャン王国の犬たちは、特殊なヤツばかりがそろっていたのだろうか? たしか賢者は自分であそこにやってきたとは言っていたが……


「どうせまた会えるから、さよならは言わないんだよ。じゃあね」


 豆之助はあっさりと挨拶すると、まだ話し続けているサラリーマンをリード紐で強く引っ張った。


「あららら豆之助さん、もう帰るんですか? 奥さんすみません、彼がもう帰りたいらしいので、今日はこれで。そちらのポメ太くんも、さようなら。せっかくの機会なのでもう少しお話ししたかったのですが……」


 遠ざかる最後まで、何かを話し続けていたサラリーマン。なんだか変わった人だなぁ。豆之助によるとお金持ちらしいし、お金持ちは変人が多いらしいからなぁ、と俺は勝手に納得する。


「じゃ、私たちもそろそろ帰ろっか?」

「ワン!」


 駐車場に向かいながら、俺はまた考えに沈み込んでいた。

 俺には、やらなければならないことが、どうやらたくさんあるようだ。


 一つ目は、魔王の四天王、あと2匹を探すこと。そして魔王の正体を探ること。

 二つ目は、ワンニャン王国の謎を探ること。


 そして三つ目。これは前の二つに比べると、プライベートに近いことだが、俺にとっては重要なことだ。


 そう、三つ目は、トイプードルの「プー」を探すことだ。

 夢の中の彼女は「私を探して」と言っていた。たかが夢の話、なのかもしれない。だけど、なぜか気になる。


 もしかしたら、彼女の身に何か危険が迫っているのかもしれない。もしくは、他の犬と婚約させられるのかも知れない。特に後者は、許しがたい。


 俺は心に決めた。

 賢者やサバトラと会う前に佐藤パパと相談して、プーを探そう。プライベートなことでとても恥ずかしい気持ちもあるけど、うん。


 俺はただ、プーに会いたいだけなんだ。

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