31 多摩川17地区の捜索

 平成元年1月21日。

 この前日、テレビではアメリカ合衆国の第41代大統領、ブッシュ大統領の就任式が華々しく放送されていた。俺にとっては懐かしい顔だ。パパブッシュだ。


 説明しよう。

 第41代大統領のジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ大統領は当時、普通に「ブッシュ大統領」と呼ばれていたが、2001年にその息子である第43代大統領ジョージ・ウォーカー・ブッシュの時代になると、名前が同じ両者の区別をつけるために先代の大統領を「パパブッシュ」と呼ばれるようになったのである。


 この日は土曜日。佐藤家は朝からママの青葉さんがサンドイッチを大量に作り、娘の友梨奈ちゃんもそれを手伝っている。

 俺もその様子を見ながら、尻尾を振っている。


「ママ、まだ行かないの?」

「ちょっと待ちなさい、風太。もう少しでお弁当できるからね」


 パパはレジャーシートをリビングで広げて、穴がないかをチェックしている。そう、この日は家族揃ってピクニックにでかけるのだ。


 普段外に出るのは散歩だけ(たまに夜抜け出すけど)の俺にとっても、運動不足解消のいいチャンスになりそうだ。目的地は近く、二子玉川の河川敷に行くとのこと。


 風太くんはパパさんを手伝って、キャンプ用の小さい椅子を車に運んでいた。家族みんなの心を読んでも、みんなとてもウキウキしている。いいな、この家族は本当に仲が良くて、飼い犬の俺としても鼻が高いよ。ほんと、佐藤家に来られて良かった。


 そして俺にはもうひとつ、ある目的があった。

 二子玉川の河川敷は、動物たちの区分でいうところの『多摩川第17地区』に相当する場所の中心地とのこと。つまり、賢者ソースがいうところの武力に長けた仲間候補、くーちゃんが住んでいると思われる地区なのだ。


 まあそう簡単には見つかるまいが、俺が出歩けるのは夜中のみだから、くーちゃんと呼ばれる動物を探し出すのは非常に困難だ。

 今日、何かしらかのヒントでも掴めると良いのだが。


 ◇◇◇


 東急新玉川線・二子玉川園駅。令和の世では「東急田園都市線・二子玉川駅」だが、この当時はまだ路線名も駅名も違っていた時代だ。

 その二子玉川園駅から徒歩で10分ほどの場所が、この日のピクニックの目的地の河川敷だ。


 佐藤家はパパさんの愛車であるBMW320iに乗り、俺は友梨奈ちゃんと風太くんに挟まれて後部座席に乗っていた。

 佐藤家からは車で10分程度の近さだが、普段パパさんの仕事が忙しいらしく、なかなか家族でお出かけする機会がないらしい。


「キャンプ楽しみ!」と風太くん。

「風太、キャンプじゃなくてピクニックだよ。泊まらないからね!」


 パパさんもママさんも楽しそうに話している。ママさんの心の声は、ひたすら久しぶりにパパさんと1日過ごせる嬉しさに溢れている。なんかほっこりするな。相変わらずパパさんの心は一切読めないけど。


 そんな佐藤一家を見ていると、ふと自分の家族を思い出してしまう。

 仕事場で出会った妻、その妻との間に産まれた一人息子。台風の日に家族の大黒柱が行方不明になり、あの二人は途方に暮れたことだろう。


 俺はなんて浅はかだったのだろう、台風で暴れ狂う川をわざわざ見に行くなんて。後悔の念が心に渦巻いてくるが、もうあの時の自分を止めることはできない。人間だった俺は、ポメラニアンに転生して過去にタイムスリップしてしまったのだから。


「さ、着いたよ。荷物下ろして場所を決めようか」


 パパさんの陽気な声で、考えに沈み込んでいた俺はハッと顔を上げる。

 車の外は1月とは思えぬほど暖かく、まるで春のような陽気で絶好のピクニック日和だ。


 俺はリードをつけられ、ママさんと一緒に佐藤一家の先頭を歩く。目的地はどうやら、川沿いにある小山のふもと辺りのようだ。

 たしかこの小山は……思い出した、兵庫島だ。


 説明しよう。

 兵庫島とは元々、二子玉川近くの多摩川に存在した中洲だが、1988年に兵庫島河川公園として整備された緑地である。近辺の住人にとっては憩いの場であり、多摩川の河川敷で全面的に禁止となるまでバーベキューをする人も多かった人気スポットなのである。


「ママ、この辺りはどうかな?」

「いいんじゃない。じゃ、レジャーシート敷こうか」


 ママさんと風太くんがシートを広げ、その上にパパさんがキャンプ用の椅子を4つと小さなテーブルを設置。その上に友梨奈ちゃんがサンドイッチが入ったケースを載せる。


 天気が良いからか、佐藤家の他にも家族連れや犬の散歩に来ている人がたくさんいた。俺がこのあたりに来るのは犬に転生してから初めてなので、犬たちに注目してみる。


 目立つのは、体高80センチはあろうかという大型犬だ。あの細っこくて高貴な顔立ちの犬は、たしかボルゾイだ。ロシアの貴族に愛されていた犬だったよな。とにかくデカいな。


 そのすぐ近くには、ゴールデンレトリバーがいる。柔和な顔だちで人気の犬だが、体高は60センチぐらいある、こちらも大型犬だ。


 ボルゾイとゴールデンレトリバーが俺をじっと見ているので、俺は挨拶くらいちゃんとしておこうと思い、一声かけた。


 ワンワン、ワン!(多摩川18地区のモフです。よろしく)


 すると、すぐにゴールデンレトリバーが答えてくれた。


 バウ!バウバウ!(ご挨拶どうも。地元のタロウです)

 言いながら、ゴールデンレトリバーはものすごく尻尾を振っている。とても愛想の良い犬だな。


 ウォン!(アレキサンドルだ。よろしく)とボルゾイも一言。こっちはクールというか、なんだかかっこいいな。アレキサンドルって名前も高貴な感じで似合っているしね。


 うん、こういうコミュニケーションはやっぱり人間でも犬でも大事だよな……おっと、そう言えば聞きたいことがあるんだった。


「ちょっとお尋ねしたいのですが、多摩川17地区に『くーちゃん』という名前の動物はいませんか?」


 ゴールデンレトリバーは尻尾をピタリととめ、首を捻った。そしてボルゾイの方を見るが、ボルゾイは同じく首を少し捻る。


「僕たちはこのあたりの動物はすべて知り合いだけど『くーちゃん』っていう名前は知らないなぁ」

「たとえば本当の名前はクーガーとか空太郎とかで、飼い主だけに『くーちゃん』と呼ばれているとか、いませんかね?」


 だがやはりレトリバーは残念そうな顔で首を捻った。


「いや、そういうのも含めて考えたんだけど、やっぱりいないよ。ごめんね」

「そうですか。わかりました、ありがとう」


 嘘をついているような感じは見受けられない。となれば、この2匹でも知らない動物がいて、その名前が『くーちゃん』なのだろうか。


 他にも近くにいたマルチーズやミックス犬(ちなみにこの当時は「雑種」と呼ばれていた犬)、甲斐犬などに尋ねてみたが、どの犬も同じ答えだった。犬に限らず動物で聞いているので、やはり『くーちゃん』はいないらしい。


 あれまあ、早くも行き詰まってしまったな。

 多摩川17地区にいると賢者ソースが予知した『くーちゃん』だが、予知が外れることもあるのかもしれないな。


 だが結論から言うと『くーちゃん』は確かに多摩川17地区に存在していた。しかもそれは、俺の予想もしない形で見つかることになるのだ。

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