48 勇者の酒宴

 六郷橋の下で一晩過ごした後、俺たち勇者パーティは早朝に出発、人間に見つからないよう慎重に移動を再開した。


 神奈川県は人口が多い県だが、東京はそれ以上だ。東京に入ってしまうと、特に俺と賢者の子犬2匹がチョロチョロ歩いているのはとても目立つ。

 最悪、不意に通行人に捕まってしまう可能性もあるし、保健所の職員に通報されたら一巻の終わりだ。


 裏道をさぐり、人の通行を確かめていない瞬間にダッシュし、人が来たらすぐさま電柱に隠れる。そんな移動を一日中していると、心がだんだん削れてくる。


 雑色ぞうしきを抜け、JR蒲田駅近くにやってきた時にはもうすっかり日が暮れていた。いつもと変わらず空を自由に飛んでいるチュン太、塀や屋根をピョンピョン飛び回るサバトラはともかく、賢者ソースとポメラニアンの俺はすっかり疲労しきっていた。


「すまんな、我は今晩、早めに休ませてもらおう」


 チュン太が見つけてきた期限切れ弁当の残りを食べ終わると、サバトラが地元の猫たちに教えてもらった民家の軒先で、賢者ソースは寝息を立て始めた。


 俺も疲れ切っていたが、それ以上にやるせない気分が上回っている。原因は、昨晩のチベット犬、魔王の四天王・黒煙ヘイヤンの存在だ。今の俺では、100%あいつに勝てないどころか、善戦すらできないだろう。突き飛ばされ、ねじ伏せられ、噛み砕かれて終了だ。


 自分の不甲斐なさに、やるせない気持ちになる。ポメラニアンに転生してから、ままならないことはたくさんあった。でも、ここまで自分が無力感にさいなまれるのは初めての経験だ。


「ねえ、モフさん。ちょっといいかニャ?」


 焦点が合わない目でボーッとしていたであろう俺に話しかけてきたのは、サバトラだ。見ると、彼も少し疲れた顔をしている。そうだな、猫なら移動が楽だということはないか。サバトラだって、地元の動物たちと毎晩交渉するのは大変なことだろう。どうも自分だけが大変だって思いがちだな、俺は。反省反省。


「どうした、サバトラ?」

「お互い、とっても疲れてる感じだニャ。で、ひとつ相談なんだけどニャ?」

「なんだ?」

「実は、最近人間の間で話題になっている『ビール』がタダで飲める場所を見つけたニャ。『スーパードライ』っていうビールが開いたまま置いてあるんだニャ」


 説明しよう。

 アサヒビールの代表的なブランドのひとつ「スーパードライ」は1987年に発売、あれよあれよという間に大ヒットとなり、それまでずっと1位だったキリンビールを抜き、1988年にはビール出荷量の3分の1を占めるほどになったのである。


「サバトラ、お前に説明しよう。人間が大好きなビールだが、犬や猫にとっては『毒』そのものだ。特に俺のような小型犬は、ひと舐めしただけで死に至る危険性もある。もちろん、お前もマタタビ状態になる、だけでは済まないぞ」

「ニャンだって? 僕、ご主人様たちによくビール舐めさせてもらってたけど、平気だったニャ?」


 弁護士夫婦だとかいうサバトラのご主人様たち、なんてことしてたんだよ……

 まあ、個体差はあるが犬猫にアルコールが毒というのは常識だ。

 とはいえ、だ。たぶんサバトラが俺に言いたいのは、一緒に気分転換でもしないか? ということだろう。


 人間なら、ままならない気分の時に酒を飲んで馬鹿騒ぎをすることで、少し気が楽になることもある。根本的な解決にならなくても、心の状態を維持するために必要なことの一つなのだろうな。


「……わかった。ほんのひと舐めだけ、つきあおうか」

「さすが勇者モフ! 話がわかるニャ!」


 俺とサバトラは、ゴミゴミした蒲田の裏路地に入っていった。


 ◇◇◇


 1時間後。蒲田の飲み屋街の隙間にある路地裏では、フラフラになった白いポメラニアンと灰色のアメリカンショートヘアがくだを巻いていた。


「だから、ロイエンさんの声の方がセクシーだって言ってるニャ!」

「ハッ、ガキは黙ってろ! プーの可愛い声の方がグッと来るに決まってるだろ!」

「それはロリコンだニャ! 大人の女性の方が包容力があって良いのニャ!」

「ロリコンじゃねぇ! 俺とプーはどっちも0歳の子犬だ!」


 周囲に散らばる缶ビールの空き缶いっぱい。それをすべて舐めとったオイラ、ワンワンとニャンコはすっかり理性を失って、今はただひたすら、自分の言いたいことを怒鳴りあっている悲惨な状況だよーん。


 理性があるように言ってるけど、自分も何がなんだかよくわからんぞー。とにかくプーが可愛いってことだけは、このアホ猫に教え込まねば! 叩き込まねば!

 そう思い「プーの可愛さを100個教えてやる!」と叫ぼうとした時、俺たちのいた路地に、一人の人間のおっさんが入ってきた。


 ――ん、なんだ? 犬と猫が口喧嘩してんのかぁ?――


 おっさんの思考が頭に流れ込んできた。

 デカい体に長髪、顔は無精髭だらけ、40がらみの中年おっさんだ。本来なら逃げ出すところだが、今の俺なら、魔王でも一撃で倒せる、きっと。

 だから、おっさんに恐れたりはしない。ちょっとビビらせてやろう。


「キャン!」

「お! お前可愛いじゃねえか。どれどれ」


 おっさんは俺を軽く抱き上げると、自分の顔の前に、俺の顔を持ってきた。

 くっさ! 加齢臭と口臭とウイスキーが入り混じったニオイだ。まじくっさー! 俺、犬に生まれて今ほど後悔したことはない。なんだか気が遠くなってくるほどの臭さだ。


「かわいいスピッツだなぁ、お前!」


 ちょ待てよ! 誰がスピッツやねん! 誰がマサムネやねん!


 説明しよう。

 ここでのスピッツは犬の種類のことで、1987年から活動を開始したバンド名のことではない。

 犬の種類である「日本スピッツ」は日本原産の白い犬で、日本では戦後から行動成長期にかけて爆発的な人気を誇った犬である。1950年には日本で登録される犬の4割を占めたとされるが、キャンキャン吠える姿が敬遠され、今では見た目がそっくりなポメラニアンに人気がとって代わられた、可哀想な犬種なのである。


「よしよし、おじさんがチューしてやろうか?」


 ま、まてー!

 俺がチューしたいのは茶色い可愛いトイプードルで、決してこの目の前の無精髭だらけの臭いおっさんではない!!

 必死にもがく。ポメラニアンに転生して以来、これほど必死に体を動かした経験があろうか、いやない。酔った頭と体で可能な限り、必死に俺は暴れ続ける。


 だが、おっさんの力は圧倒的だった。

 俺は、ポメラニアン転生後のファーストキッスを無精髭おやじに奪われてしまった。





 ◇◇◇


 このお話はフィクションですので、犬と猫がお酒を飲むシーンが記載されております。本来はお酒を少し舐めるだけでも体に変調をきたす可能性がございますので、犬や猫には決してアルコールを与えないでください!

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