49 中年男の弱さと強さ

 ポメラニアンに転生した俺のファーストキッスの相手、無精髭のおやじ。こいつの心を読んだ時、読み取れた考えはこうだった。


 ――犬ってかわいいなぁ。人間とは大違いだ。うーん、チューしちゃおう――


 すっごい嫌だけど、ポメラニアンの俺が可愛くいて、ついチューしたらしい。「人間とは大違い」って、何か辛いことでもあったのだろうか。

 もし過去にタイムトラベルできるのなら、無精髭おやじとのキスは取り消したい。それほど嫌な体験だったが、そんなことが俺にできようはずもない。


「よーしスピッツちゃん。いい子だ。俺はな、汐田剛次しおたごうじっていうんだ。ちょっと俺の話、聞いてくれるか?」


 汐田と名乗る無精髭おやじは俺を地面に下ろすと、背中を広い手のひらで撫でた。手のひらはとても暖かくて、撫でられて不快どころか心地よい撫で方だった。俺は少し機嫌を直し、お座りをして汐田の方を見る。


「お、聞いてくれるかスピッツ。ありがてぇ」


 俺はスピッツじゃなくてポメラニアンだ! アイデンティティの崩壊に繋がりそうなのでそこは強く否定したいのだが、そもそもポメラニアンとスピッツの違いがわからない人には説明のしようがない。


 ああもどかしい。人間の考えていることはわかるのに、ポメラニアンである俺の考えを伝える方法は無いものなのか……?


「俺な、今日どうしようも無いことがあってな。自分の馬鹿さ加減にゃあ、父ちゃん情けなくって涙が出てくらい! って感じだったんだ」


 おい、そのセリフずいぶんと懐かしいなぁ。「あばれはっちゃく」の父ちゃんのセリフかよ。


 説明しよう。

「あばれはっちゃく」とは1979年から1985年までテレビで放送された子供向けのドラマで、小学生である正義のガキ大将・桜間長太郎がひらめきで数々の事件を解決するという内容が人気を博し、長期にわたってシリーズ化された名作である。


 主人公の父親は「ザ・昭和の親父」で、長太郎が間違ったことをすると殴ってぶっ飛ばし「テメェの馬鹿さ加減にゃあ、父ちゃん情けなくって涙が出てくらい!」というお決まりのセリフを毎回言うのだが、これが意外に視聴者の心をつかんでいたのである。


 まあ、あばれはっちゃくのセリフはいいとして、言いたいことはわかる。


 人間やっていると、どうしようもないことって沢山あるし、避けられないよね。俺も人間時代は何回もそんなことあったよ。でも、まさか犬に転生しても同じだとは思いもしなかったけどね。

 俺は小さく「ワン!」と吠えて、汐田のおっちゃんに同意した。


「おお、わかってくれるかスピ公。あのな、おっちゃんなー。今日、嫁が子供を連れて実家に帰っちゃったんだよ……。でな、その時つい『二度と戻ってくるんじゃねえ!』なんて嫁に言っちまってなぁ。ほんとはそんなこと、思ってもいなかったのになぁ。謝ろうと思ってたのになぁ……」


 あらあら、なるほどね。おっちゃんの嫁さんが実家に帰る理由はわかんないけど、昭和の男ってついつい荒い言葉遣いしちゃうことって、よくあったんだよねー。

 俺も小学生の頃、父親と母親が夜中に大喧嘩して、次の朝、母親に連れられて一週間ぐらいおじいちゃん家に行ったことがあったなぁ、なんて思い出す。


「おっちゃんな、この街で合気道の道場開いてんだよ。でも流行ってなくてな、いつもカツカツで生活してんだ。それに愛想を尽かされちゃったんだよなぁ」


 うーん、経済的理由かぁ。これは、どうもしようがないなぁ。

 俺は曖昧に「クゥーン」とおっちゃんに話しかけるに留めた。


「そうなんだよ、どうしようも無いんだ。でな、35年間続けてきた合気道をやめて、トラックの運転手になろうかと思ってな。嫁に相談したらなぜかブチ切れて、で、喧嘩になっちゃったんだよぉ。なあスピ公、なんで嫁は怒ったんだ? 合気道の道場より、確実に毎月お金が入るはずなんだけどなぁ」


 なるほど、当人は気づいていないみたいだけど、側から客観的に聞くと、なんとなく答えはわかる気がする。おっちゃんの嫁さんは、貧乏な生活が耐えられなくなったんじゃなく、おっちゃんが合気道をやめることが嫌なんじゃないかな?


「嫁がな、『あんた、もっと強くなりなよ!』って言ってたんだ。俺、これでも合気道日本一なんだけどなぁ。強いんだけどなぁ。あれ、どういう意味なんだろうなぁ」


 それはきっと「心を強く」という意味だろう。

 嫁さん、この汐田のおっちゃんのこと、本当に好きなんだろう。

 だから合気道をやめて欲しくなかったんだろう。


「ま、そんなとこだ。話を聞いてくれてありがとうよ、スピ公と猫ちゃん」


 俺がこの親父にキスされた時に逃げ出していたサバトラが、いつの間にか横にちょこんと座っている。と、なぜかサバトラが攻撃耐性をとり始めた。


「ロイエンさんの仇ニャー、覚悟するニャー!」


 ダメだこいつ、まだ酔っ払ってるわ。

 サバトラは素早く汐田のおっちゃんの顔目掛け、爪を立てて攻撃した。


 だがおっちゃんの動きは素早かった。突進してくるサバトラの体を、横から掬い上げるように掴むと、そのまま自分の胸に抱き寄せた。


「猫ちゃんもカワイイなぁ。どれ、チューしてやる!」

「ニャっ? やめるニャ!」


 サバトラ、無理無理。お前のファーストキスも、汐田のおっちゃんになるなぁ。俺とはキス兄弟になっちゃうなぁ。


 長〜いキスを終えて解放されたサバトラは、そのままフラフラと地面に倒れ込んだ。


「うん、猫ちゃんなかなか素早い攻撃だったなぁ。でも、単調なんだよ。あんなの合気道なら余裕で反撃できるってもんだ」


 攻撃が単調? 余裕で反撃?

 まあそりゃそうか。おっちゃん、合気道日本一だって自分で言ってたしな。


 ん、待てよ?

 俺のこの小さくて非力なポメラニアンの体じゃ「魔王の四天王」、巨大なチベット犬に真っ向勝負はまず不可能だ。でも……合気道なら。相手の力を受け流して倒せる、合気道なら?


 最弱ポメラニアンが強くなるには、もしかして合気道っていいんじゃないか?


 俺は少しだけ、未来への光明を見つけた気がした。このおっちゃんに、合気道を習いたい! でも、どうすればいいんだろう?

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